第18話 氷の女王

 タツヤが北朝鮮へ潜入した頃、労働党組織指導部では、内外の諜報情報の報告に来ていた国家保衛相が直立不動の姿勢で冷や汗をかいていた。

 保衛相の前に座っている女性は将軍様の妹であり、北朝鮮政府の実質的なナンバーツーである組織指導部長だった。

 儚げな外見とは別に、その性格が極めて苛烈であることは政権内部では良く知られている。

 保衛相のかつての上司たちも、彼女の命令で粛清され命を落としていた。その為、彼女は政権内部で「氷の女王」と呼ばれている。

「それで、例の財閥の状況はどうなの?」

「はっ、財閥から親中派の軍高官に資金が流れているようです。最近、財閥は軍との関係を深めており、先月からは平壌に現地支配人を駐在させています」

 保衛相は隠し撮りしたらしい女性の写真を机に置いた。

「名前はソフィア、フィリピン人で73号棟に居住しています」

「へえ、結構美人じゃない。73号棟ってことは女主人の愛人ってこと?」

「現地支配人ということで申請されていますが恐らくそうかと」

「ふーん、フィリピン人なの。西側のスパイの可能性は?」

「二年ほど前から何度か平壌に出入りをしており監視を続けておりますが、その可能性は無いかと。現地支配人として赴任する前に一度フィリピンに帰国していますが、それ以外に海外への渡航はありません」

 保衛相はソフィアの足取をマニラで見失ったことは黙っていた。余計な報告は身を亡ぼす。

「分かった。もう少し泳がしておきましょう。但し監視は続けるのよ。そうだ、73号棟と言えば貴方の愛人も居たわね。セシルと言ったかしら? 彼女を接近させて情報を集めさせなさい」

「はっ、恐縮であります。ご命令通りに」

 保衛相の背中を冷や汗が流れ落ちた。愛人のことまで知られてしまっていたのは誤算だった。

 保衛相は慌てて話題を切り替えた。

「ところで、中国軍の動きでありますが、、、」

 二週間ほど前から中朝国境沿いに中国軍が集結しつつあるという情報が入っていた。公式には大規模な動員演習という名目になっていたが、実際のところは米朝が緊張を高める三十八度線の状況に対して、中国のプレゼンスを示すということだろう。

「中国軍内部では、親中派の軍高官が平壌でクーデターを起こすと言う噂が流れているようです」

「兄さんの目が黒いうちは、あの老いぼれにクーデターなんか起こせるわけ無いわよ」

「ははは、まったくその通りでございますな」

 追従笑いをする保衛相に、将軍様の妹は愛想笑いを返した。

 しかし、中国が北朝鮮に見切りをつけ、親中派の軍人を使嗾して兄の暗殺を考えているとしたら、政権転覆の可能性は無い訳では無い。

 その場合、状況をどう利用すればよいのか?

 最近の兄は常軌を逸している。

 核兵器を振りかざして冒険主義的な行動に出れば、この国はあっけなく滅びてしまうだろう。

 それだけは避けなければならない。本来、父がこの国を託そうとしていたのは自分なのだから。

 将軍様の妹は、次に打つべき手を考え始めていた。

 しかし、将軍様の暗殺計画と、報告を受けたソフィアの存在とを繋げて考えることは出来なかった。

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