第14話 工作
ソフィアのマンションに戻ることは危険だと判断したタツヤは、平壌市街から郊外に向かった。
市街を抜け出すと貧しい農村地帯が拡がっていた。
平壌市街には高層建築物が立ち並び、一見すると現代的な都市のように見えるが、郊外に出れば、未だに農耕用の牛馬が使用されている貧しい農村が拡がっているのだ。それが、この国の実態を表しているのだろう。
また、平壌市街には劇場や遊園地、ショッピングセンターなどは整備されているが、いわゆる繁華街と呼ばれる場所は無い。平壌市街は清潔で無機質な街なのだ。
タツヤは平壌郊外の町にある売春窟に身を潜めた。
平壌市街から排斥された「都合の悪いもの」の吹き溜まりが、郊外には何箇所か存在していた。
板張りの窓の無い部屋には、折り畳み式のちゃぶ台と黴臭い布団だけが置かれていた。タツヤは女に金を握らせて部屋から追い払っていたが、部屋には安っぽい化粧の匂いが残っていた。
「連れて来ましたよ」
タツヤの部屋に顔を出したのは、北朝鮮内部の脱北支援組織の男だった。
男の名前はウヌ、中国朝鮮族で「蛇頭」のメンバーでもある。
ワンウェイの伝手でタツヤに協力することになっているが、タツヤたちの計画については何も知らされていなかった。
ウヌが連れてきたのは北朝鮮軍の軍服を着た男だった。
売春窟の薄汚い部屋の中で、昼間からドングリ焼酎を飲んでいるタツヤを警戒しているようだ。
「御足労頂き恐縮です。朴上尉」
タツヤが慇懃に声を掛ける。
「ウヌ、ちょっと席を外してくれるか、朴上尉と二人で話したい」
タツヤは人払いを済ませると、部屋の中で朴上尉と二人きりになった。朴上尉は緊張を解けないままでいる。タツヤが差し出したドングリ焼酎の入ったコップに口も付けていない。
「そんなに警戒しないで下さい。朴さんにとって良い話を持って来たんですから。ところで、お子さんはお元気ですか?」
タツヤは気安い感じで朴上尉に声を掛ける。
「息子は半年前に火事で死んだ」
朴上尉の息子ヒョヌは、母親と共に実家に里帰りしている時に火事に巻き込まれて死んだ。老朽化したオンドルからの失火で、ヒョヌと母親と祖父母の四人が亡くなったと当局には記録されている。
タツヤは懐からスマートフォンを出すと、再生した動画を朴上尉に見せた。その動画には、どこかの外国の公園で元気そうに走り回る子供が映っていた。
「ヒョヌ。。。 アンタの目的は一体何なんだ」
朴上尉が殺気を孕んだ目でタツヤを睨みつける。
「そんな怖い顔をしないでよ。俺のことはタツヤと呼んでくれ。アンタのことはウジュと呼んでいいかい? ウジュ、ヒョヌと一緒に暮らしたくはないかい」
「なんだって、そんなことを、、、」
半年前、ウジュは妻とヒョヌを極秘裏に脱北させていた。
ウジュの両親は孫のためにアリバイ工作を引き受け、自宅に火を放って焼身自殺したのだ。発見された母子の遺体は、行き倒れになった誰とも知れぬ母子の死体を用意したものだった。
ヒョヌは生まれつき心臓に病を抱えていた。
北朝鮮国内ではヒョヌに必要な手術は受けられず、ウジュは脱北支援組織を頼りにヒョヌを海外に逃がすことを決意したのだ。
その見返りは、軍内部の情報を脱北組織を経由して中国軍に売り渡すことだった。
「もし、俺たちに協力してくれたら、もう一度、ヒョヌと一緒に暮らせるようにしてあげるよ」
タツヤはウジュに囁いた。
ウジュは、元気そうなヒョヌが映る動画を、涙で霞む目で見つめていた。
「ウジュ、アンタもこの国に将来が無いことは分かってるんだろう。だからヒョヌを脱北させ中国のスパイになった」
ウジュの目が泳ぐ。
「俺は、アンタの事なら、アンタの知らない事まで知ってるのさ」
タツヤの言葉は悪魔の囁きだった。
ウジュは力なく首を縦に振った。
タツヤは将軍様の暗殺計画をウジュに打ち明けた。
すべての説明を聞き終えて、暫く考え込んでいたウジュが口を開いた。
「タツヤ、悪いがアンタたちの計画は不可能だと思う」
国家に対する絶望的な恐怖心を抱く北朝鮮人民を、僅か数時間の会話で説得できるとはタツヤも考えていなかった。
恐怖にはそれを上回る恐怖で対抗するしかない。
「ウジュ、この計画が成功したら、アンタたち家族が一生遊んで暮らせるだけの報酬は用意する。まんいち計画が失敗した場合でもヒョヌたち母子の生活と安全は仲間が保証する。但し、この計画に協力しなかったり情報が漏れた場合には、さっき見せた動画は国家保衛省に流れることになる。分かっているとは思うが、国家保衛省は脱北者をどこまでも追いかけて始末するぞ。もうアンタと俺とは一蓮托生なんだよ」
タツヤはウジュの反応を確かめながら、後手でアイスピックを握りしめた。
それでもウジュが降りると言うなら、暗殺計画を知ったウジュを、この場で始末するしかない。
ウジュは口を付けていなかったドングリ焼酎を一気に飲み干すと擦れた声で答えた。
「分かった。協力しよう」
タツヤは何食わぬ顔で、アイスピックで砕いた氷とドングリ焼酎を、ウジュが持つコップに注いでやった。
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