第13話 尾行

 ソフィアの手厚い看護を受け、タツヤは半日ほどで体力を回復した。翌朝、夜が開けぬうちにタツヤはソフィアの住む高級マンションを抜け出した。

 早朝の平壌市街はまだ人通りが少なかった。

 タツヤは頭の中の地図を確認しながら、暗殺の舞台となる平壌市街を歩いてみて回った。

 大同江の畔を歩き、金日成広場を確認し、軍事パレードの起点となる凱旋門までゆっくりと歩いてみる。

 机上の計画が現物を見ることで立体感を持って浮かび上がってくる。暗殺を実行する前には必ず現地を確認し、計画を肉付けしておかなければならない。それが暗殺者の流儀だ。

 タツヤは尾行が付いていることに気付いていた。

 ソフィアのマンションを出てすぐに尾行の存在に気付いたので、恐らくマンションを監視していたのだろう。

 タツヤは尾行を引き連れたまま一時間以上歩いているが、尾行はタツヤを拘束する気配は無い。タツヤを泳がせたまま行先を確認するつもりなのだろう。

 だとすれば、尾行は軍や警察では無いはずだ。

「尾行に付いているのは国家保衛省か」

 タツヤは独り言を呟いた。

 国家保衛省は北朝鮮の秘密警察だ。

 国内での政治犯やスパイの摘発など、国内の体制維持のために動いている。

 国家保衛省が動いているとするならばタツヤたちの計画が漏れている可能性もある。それを確認し被害評価を行う必要があった。


 平壌市街は通勤時間帯を迎え、道行く人々が増えてきていた。

 タツヤは地下鉄の駅に向かい、混雑する地下鉄に乗り込んだ。

 尾行を撒かないように気を付けながら、何度か地下鉄を乗り換えていく。尾行を撒くのは簡単だが、撒いてしまうと国家保衛省の意図を確認出来なくなる。混雑した人波に揉まれて動くタツヤを、尾行の男はしっかりと追ってきていた。

 タツヤの確認したところ、尾行はこの男ひとりだけのようだ。秘密警察の尾行は複数で行うことが原則だけに意外だった。

 集中力を高め知覚を拡張しているタツヤが、隠れている尾行に気付かない筈はない。尾行中、男がどこかへ連絡を取った様子も無かった。

 もしかすると、この尾行はタツヤを予め狙っていたものではなく、偶々張っていた網に、早朝に不審な動きをするタツヤが掛かっただけの話かもしれない。


 さんざん尾行を引き摺り回したタツヤは、旧市街の一角に入っていった。再開発が予定されている地域で空き家が並んでいる。

 タツヤは一軒の空き家に入っていった。尾行の男は空き家に近付き外から中の様子を覗っている。裏口から抜け出たタツヤは男の背後に回っていた。

「声を上げるなよ」

 後ろから関節を極めたタツヤは男を空き家に押し込む。

 男を床に押し倒すと、男が提げていた手錠で右手首と左足首を繋いだ。エビぞりになった男の喉元にナイフを当てながら、タツヤは尋ねた。

「なぜ追って来た?」

 男は固く口を結んだままだ。

 タツヤは男の靴下を脱がせると口を開け押し込んだ。

 コンクリートの床に男の左手を押し当て、左手の小指を切断する。

 男はくぐもった悲鳴をあげた。

「やめてくれ」

 詰めていた靴下を外してやると男が懇願する。

「さっさと喋れ」

 男は脂汗を流しながら首を横に振った。

 再び靴下を詰め、左手の薬指を切断する。

「俺を追えと言われたのか?」

 男は首を横に振る。

「じゃあ、なんで俺を追って来たんだ? あのマンションを監視していたのか?」

 左手の中指まで無くなった時、男の表情に諦念が浮かんだ。

 タツヤは再び靴下を外してやった。

「あのマンションには上司の愛人が住んでるんだ。俺は上司から愛人の浮気調査をしてくれと頼まれただけなんだ。なあ、アンタのことは黙っておく。だから、見逃してくれ」

 タツヤは拡張した知覚で男の脈拍や発汗の変化を観察していたが、男の言葉には嘘が無いようだった。

 タツヤを愛人の浮気相手と勘違いして追ってきていたというのは事実らしい。

 そんなくだらない事かとタツヤは唖然とした。

 ひとまず、タツヤたちの計画が漏れている恐れは無さそうだが、、監視の目が有るマンションには近付かない方が安全だろう。

 勿論、この男を見逃してやることは出来ない。

「ふーん、最近は国家保衛省で興信所みたいな仕事をしてるのか。残念ながら、俺は浮気相手じゃないぜ」

「アンタはいったい何者なんだ? いや言わなくて良い」

「遠慮するな教えてやる。俺は殺人者だ」

 そう言うと、タツヤは男の喉を切り裂いた。

 

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