第9話 訓練
ソフィアが日本を離れて一カ月、タツヤとソフィアは予め打ち合わせた計画に従って、独自に準備を進めていた。
タツヤの下には兄妹から引き続き北朝鮮の情報が集まっている。ボブからは米朝の裏交渉の状況が、ワンウェイからは中国共産党内部の北朝鮮情報が、イジュンからは韓国左派政権内部に潜入している北のスパイの情報が送られて来ていた。
北朝鮮を取り巻く状況は更に悪化していた。
ベルギーに住む兄のトーマスからは小包が送られてきた。
トーマスは表向きアントワープで古書店を経営しているが、彼の本業は書類偽造だった。送られてきた小包の中身は数種類のパスポートと身分証、偽造された軍の命令書などだった。それらの書類の多くは、ソフィアが盗み見た記憶をもとに偽造されたものだ。
ソフィアからの連絡は途絶えているが、ワンウェイの情報によれば、無事に平壌に潜り込めているようだ。
この一カ月間、タツヤは呼吸法の鍛錬を続けていた。任務に必要な心身は出来上がってきている。後は、出発前に最後の仕上げを行うだけだ。
その夜、タツヤはバイクに乗って別荘を降りた。
陸上自衛隊の東富士演習場の傍でバイクを乗り捨てると、タツヤは演習場内に潜入した。
東富士演習場では夜間砲撃訓練が行われており、訓練スケジュールは公開されているため誰でも入手可能だ。
演習場内に潜入したタツヤは、155㍉榴弾砲による実弾射撃訓練が始まるのを待っていた。
革製のジャケットとプロテクター、フルフェイスのヘルメットに暗視装置を付けて、演習場内の窪地に潜んでいる。
訓練の最後の仕上げに必要なことは、死の恐怖に直面することだった。
訓練開始時刻になり砲撃が始まる。
目標付近に生きた人間が潜んでいるとは思っても居ない自衛隊は、容赦なく砲撃を続ける。
タツヤは暗視装置で確認していた地形に身を隠しながら、着弾点に接近していった。恐怖で乱れる呼吸を整え、跳ね上がる心臓を意思で押さえつける。
勿論、目標地点は事前に確認しており、砲弾の直撃を浴びるつもりは無いが、訓練である以上、標的を逸れるものもある。
研ぎ澄ました集中力が砲弾の飛翔音の異変を察知する。
タツヤが窪地に身を投げると同時に、標的を外した砲弾が至近で炸裂した。吹きあがった土砂が伏せているタツヤに降り注ぐ。
呼吸を整える。呼吸を整える。呼吸を整える。
鍛錬の成果で、すぐに体内に気が巡り始める。
身体が熱くなり五感による知覚が拡がっていく。
限界突破した集中力が危険を察知し、降りそそぐ砲弾を紙一重で回避していく。
タツヤには周りがストップモーションで動いているように見えていた。
訓練場の窪地を伝って砲撃の着弾点ぎりぎりに接近していく。
極限状態の中で集中力を研ぎ澄まし、気配を察知し、瞬間的に判断する。
非科学的ではあるが、あえて死線を彷徨うことで心身を飛躍的に強化するのだ。それが、タツヤが暗殺者に変身するための最後のハードルだった。
二十分間の実弾演習が終了した時、タツヤは土砂にまみれ、傷だらけだったが生き残っていた。
すべての準備は整ったのだ。
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