2-4 夢を見る者  ……ペトリ

 教皇府郊外の宮廷都市群には山賊が蔓延っていた。〈教会〉の首都、大陸における最大の都市、文化と政治と経済の中枢を前にして、〈旅団〉から派遣された連中はほぼ全てが山賊と化していた。

 帝国軍による教皇府包囲が整いつつある中、前線となった宮廷都市群ではあらゆる非人道的行為が発生していた。帝国軍が管理する占領地は今まで通り秩序が保たれていたが、クリスティーナ一世より前線を任された〈旅団〉の連中は占領統治など端から頭にはなく、無法地帯で遊ぶばかりだった。もちろん、第三軍団配下となった個別の狼党ローンウルフズもそれは例外ではなかった。彼らは邪悪な笑みを浮かべながら、略奪、放火、破壊、強姦、拉致、人身売買、虐殺などあらゆる非人道的行為 に明け暮れていた。


 前線は騒々しかったが、全体としては静かだった。戦況は圧倒的に〈帝国〉側が優勢であり、首都に追い詰められた〈教会〉側は身動きする余力すらない。今、忙しく動き回っているのは帝国軍と教会軍とそれぞれ取引している業者たちであり、軍の主力同士はそれぞれの戦線構築を粛々と進めていた。


 あるとき、ペトリは奴隷商人から第三軍団だけ奴隷の上がりが少ないことを指摘された。そんなことは軍団長か主計長にでも言えと返事をしたが、回答がないので配下にも言って回っているようだった。

 顔馴染みである奴隷商人の頼みを無下に断るのも悪いと思ったため、ペトリは第三軍団の最前線を任せる個別の狼党ローンウルフズへ聞き取りに行った。一人だけでは不安なので、東部人とも話ができそうな者は何人か同行させた。

 街はずっと燃えていた。立ち上る煙の合間からは教皇府の影が見えた。前線からは断続的に砲声が聞こえた。

 前線に近づくにつれ、むせ返るほどの血の臭いが鼻を衝いた。個別の狼党ローンウルフズの陣地にはいくつもの首や死体が吊るされ、死体が打ち捨てられていた。

 個別の狼党ローンウルフズの連中は町に向かって大砲を撃っていた。訓練でもしているのか、ちょうどヴォルクとミッコもいた。砲口の先には十字架があり、そこには女が縛り付けられていた。大砲が火を噴き、放たれた砲弾が女を直撃した。女は十字架ごと真っ二つになり、内臓をまき散らしながら地面に倒れた。それを見てミッコや個別の狼党ローンウルフズの連中は歓声を上げ大喜びしていた。

「何をやっている?」

「あ? 試し打ちだけど」

 ペトリが声をかけると、ミッコは途端に不機嫌な顔になった。

「あの女は何かしたのか?」

「別に何も」

 ミッコは話をする気もなさそうだった。ヴォルクや周りの兵も露骨に邪魔者を見るかのような目をしていた。

「業者から第三軍団だけ奴隷の上がりが少ないと言われた。どういう状況なんだ?」

「そりゃ奴隷にせず殺してるから少ねぇわな」

「おいおい、男を殺すのは構わねぇが、女はやったら嫁にして、子供は奴隷商人にちゃんと売れ!」

 同行するコッコがミッコに注意した。先輩であり死んだ長兄の友人でもあったコッコの言葉にミッコは罰の悪そうな顔をして頷いたが、ミッコの横にいたヴォルクはコッコを睨んだ。

「黙れチビ」

「誰がチビだコラァ!」

 片言の大陸共通語で挑発するヴォルクにコッコが詰め寄る。コッコは小闘士ウォーハートの二つ名のとおり体が小さく、そのことを誰よりも気にしている。そして誰よりも血の気が多く、売られた喧嘩は必ず買う。

 二人とも武器を振り上げていた。流れるような速さで斬り結ぼうとするコッコをペトリは抑えた。幸い、それで二人の動きは止まった。コッコは軍人としての自制心を働かせ、ヴォルクは恐らくは決闘では太刀打ちできないと悟ったのだろう。

「俺、女、嫌い。だから、殺す」

「女が嫌いってお前ら本当に男か? そういう宗教か何かか? 女に相手にされねぇからって男同士で盛りやがって、気持ち悪ぃ。東で大した実績もないくせに、弱い奴らが群れてデカいツラしてんじゃねぇよ」

 同行する通訳は何も言わなかった。大陸共通語で話すコッコの罵詈雑言は通じていないだろうが、しかし悪口であることは伝わっていそうだった。

 ペトリはコッコを後ろに下がらせ、ヴォルクたちと距離を取った。しばらくの間、沈黙が続いた。睨み合いのあと、おもむろに破壊者イコノクラストのヴォルクは語った。東の覇王プレスター・ジョンが広めた東の古語で。なぜ戦うのか、戦う者の、その意志を……。


 彼はずっと待っていた。


 見捨てられた東の地で生まれて四十年、日銭を稼ぐだけのちんけな傭兵のままで終わると思っていた。しかし今、時は来た。今、十二年も続く未曽有の規模の国家間戦争が行われている。大陸の覇権を巡る大戦である。歴史に残る大戦である。

 歴史に名を残したかった。しかし何もなかった。女も子供も家族もいなかった。何かを生み出すことはできなかった。今までと同じように、ただ戦い、ただ壊すことしかできなかった。だから壊した。そして殺した。そうして破壊者イコノクラストの二つ名を名乗り、同じような境遇の男たちで個別の狼党ローンウルフズを結成した。

 殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して、殺し尽くす。二百年前、大陸の東半分を蹂躙した東の覇王プレスター・ジョンがそうして英雄になったように……。


 彼は、彼らは夢を見ていた。そして夢を追い求めてここにいた。


 ペトリはこの男が味方であることに絶望した。彼は利害で動いていなかった。彼らは社会を破壊したいだけだった。彼とその傭兵団は平和など微塵も望んでいなかった。


 ペトリはヴォルクに問われた──黒き吹雪よ。誉れ高き強き北風ノーサーの息子よ。自らの部族を滅ぼした若き後継者よ。お前はなぜ戦う? お前は戦場に何を望む? 東の覇王プレスター・ジョンが遺した遥かなる地平線の言葉を唱えながら、お前はどう生きていく? ──ペトリは何も答えられなかった。


 もう話し合う気は失せていた。ヴォルクとは無関係でいたかったし、ミッコのことは営巣に入れたままにしておくべきだったと後悔した。

「戦いに意味なんか求めてんのかよ? あんた頭おかしいな」

 ヴォルクの発言にペトリが呆れ果てる中、ミッコは心底面白そうに笑っていた。それは黒騎兵オールブラックス にいたときは決して見せない笑顔だった。それを見てペトリはこの弟が軍人ではなく、父のようなただの破壊者であることを改めて思い知った。


 兄が生きていれば……──そう思うことばかりだった。兄がいれば、部族は今も残っていただろう。兄がいれば、ストロムブラード将軍から黒騎兵オールブラックスを任されることもなかっただろう。兄がいれば、ペトリは兵士になってすらいなかっただろう。

 兄が死に、父が死んだあと、ペトリは部族の長となった。しかし、かつて強き北風ノーサーの武勇のもとに名を馳せた、北風の騎士を輩出したその部族は今はない。そして十年の歳月の間に部族の名は失われた。

 〈帝国〉の同化政策により部族はゆっくりと帝国軍へ吸収されていった。そしてペトリはストロムブラード将軍の跡を継ぎ、黒騎兵オールブラックスの隊長に任じられた。

 性格的には妹のヴィヴィカや弟のミッコの方が長に適していた。しかし後継者と目されていた長兄が死に、族長であった父の死後、その直系の血縁で一番の年長者はペトリだった。


 過ぎたことを考えても仕方なかった。時は戻らない。ミッコはともかく、ヴィヴィカは長兄の二つ名であった北風の騎士の名を継ぎ、皇帝近衛兵として自らの道を歩んでいる。ペトリも黒き吹雪の二つ名が示すように、黒騎兵オールブラックスの一員として前に進んでいくしかない。これまでと同じように、これからも、ずっと、恐らくは死ぬまで……。

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