2-3 破壊者たちの剣先  ……ペトリ

 喉元には剣先を突き付けた。いよいよ、帝国軍は教皇府に攻め入ろうとしていた。


 〈教会〉の首都を囲むように築かれた宮廷都市群の郊外には、総兵力十万を越える〈帝国〉側の軍勢が展開していた。ペトリの所属する第三軍団も、今まさに行われている目の前の戦いに勝てば教皇府へと辿り着く。


 馬上、手綱を握るペトリの手はいつものように震えていた。しかしこの手の震えが何によるものなのか、今はよくわからなかった。


 戦場に立ち込める白煙の向こう側、地平線を覆う宮廷都市群の影を見るたびペトリは目まいに襲われた。ペトリの知る大都市、雪と酒と戦いの街と謳われる帝都などは比べ物にさえならぬほどに小さかった。目の前に現れた都市は同じ人間が築いたものとは思えぬほど大きかった。

 偉大なる〈神の依り代たる十字架〉を信仰を司る地が、〈教会〉と覇を争った先帝陛下がついに届かなかった地が、クリスティーナ一世陛下が戦争を終わらせるべく目指す最終目的地が、とうとうその姿を現そうとしている──光の大聖堂ホワイトチャペル旧壁門アット・ザ・ゲイツ地下書庫インナーサークル……──しかし大陸のあらゆる文化と歴史を内包するその場所に何があるのか、ペトリにはまるで想像できなかった。


 手の震えはいつも以上に激しかった。戦いの最中だというのにペトリは戦いに集中できないでいた。

「いつまで浮かれてんだ田舎者ども! どこが戦場だろうがいつも通り戦え!」

 副官のイエロッテの飛ばす檄で、ペトリは戦場に立っていることができた。イエロッテ本人も最初はこの宮廷都市群の大きさに驚いていたが、戦いが始まるといつも通りの峻厳な副官へと戻っていた。

「この戦に勝てば戦争終結は目前だ! 遅れることなく前に進め!」

 ペトリは自らを鼓舞するように檄を飛ばし、サーベルの剣先を敵軍へと向けた。

 戦場の左翼、帝国軍第三軍団軍の戦列の最左翼に位置する黒騎兵オールブラックス は、教会軍主力のケリー王の軍勢と対峙していた。

 敵はもはや虫の息であることは間違いなかった。敵軍主力を構成していたヴァイヒェルト家が〈帝国〉に恭順した今、残るはロートリンゲン家とエピタフ家から派遣されたケリー王のみであり、その他は小粒な王侯貴族がいるだけに過ぎない。兵力も今や常備軍と傭兵だけでは足りず、食い詰め浪人やほぼ素人の民兵まで動員してやっと三万が揃う程度しかいない。

 とはいえ、戦争初期から矢面に立って戦い続けるロートリンゲン家、教会軍でも数少ない武闘派として名を馳せるケリー王はやはり難敵だった。数と練度はともかく、軍の士気は依然保たれている。十二年にも渡る戦争に嫌気が差している者が確かにいる一方、今も戦う者の多くは〈帝国〉を信仰と生存を脅かす侵略者だと敵視していた。これ以上の戦線の縮小は首都決戦を意味するが、そこまで追い詰められても──追い詰められているからこそか──まだ〈教会〉の人々の戦意は高かった。


 戦いの音を風が切る。黒い春風が熱を帯び、血を帯びていく。


 黒い風が駆ける。小闘士ウォーハートのコッコの軽騎兵が縦横を駆け回り、ユングストロムの胸甲騎兵が圧力をかける。騎馬民の弓馬の術、燧石式拳銃フリントロック・ピストルの肉薄弾幕と胸甲騎兵の抜刀突撃、汎用騎兵としての対応力……、それらは長きに渡る戦いで培われ研ぎ澄まされた黒騎兵オールブラックスの戦い方である。

 しかし、対峙する地獄旗の軍隊は、赤い服の騎兵隊は、真っ向からそれを受け止め押し返そうとしていた。

 相手はケリー王配下の騎兵隊、赤服スレイヤーである。数は黒騎兵オールブラックスと同数の三千。指揮官のアラヤはケリー王が頭を下げて連れてくるほどの歴戦であり、騎兵指揮官としてはペトリよりも遥かに上手である。旧王族のエピタフ家の所領は大陸西部と海外植民地であり、決して騎兵が精強な地域ではない。にも関わらず、赤服スレイヤーの名はケリー王とアラヤの武勇とともに精強で名を馳せていた。

 赤服スレイヤーはとにかく殺傷能力に特化していた。攻撃でも防御でも、ひたすらに相手に損害を強いる。その戦いぶりはストロムブラード将軍がまだ騎兵隊長だったころの黒騎兵オールブラックスの姿を彷彿とさせた。その意味で今の黒騎兵オールブラックスは、ある意味で器用になってしまったとも言える。同化政策のもと騎馬民を吸収し、その騎馬民たちも様々な運用に対応できるよう努力した結果ではあるのだが、しかし今は個性を欠いていた。


 お互いに決定機を探りながらの殴り合いが続いていた。しかし思わぬところから均衡は崩れた。

個別の狼党ローンウルフズの連中が敵の中央を崩しました!」

「中央を崩しただと!? そんなバカな!?」

 誰もが伝令の言葉に驚いた。第三軍団の中央戦線は個別の狼党ローンウルフズが担当していた。していたが、彼らに期待している者などいなかった。誰もが敵の正面圧力を受けるだけの捨て駒だと思っていた。

 潮目が変わるとその後の展開は早かった。形成不利と見るや、赤服スレイヤーは整然と後退し、ケリー王もまたロートリンゲン軍ら他戦線の味方を顧みることなくさっさと退却した。

 追撃もそこそこに、第三軍団の戦いは終わった。今、不要な犠牲は払わずとも優位は確定している。しかし個別の狼党ローンウルフズだけは止まらなかった。

 ペトリら黒騎兵オールブラックスは急遽彼らの後詰として中央に向かった。異様な光景だった。整然とした戦場ではない、犠牲を顧みず好き勝手に暴れまわった乱戦のあと。だからだろう、損害は勝っている側の個別の狼党ローンウルフズの方が遥かに多かった。

 個別の狼党ローンウルフズは勢いのままケリー王を追撃し、そのまま教皇府外苑の宮廷都市群に雪崩れ込んだ。ただ、さすがにそれは撃退された。しかし帰ってくる彼らは晴れやだった。多くの犠牲を出しながらも、誰もが戦い切ったという表情をしていた。やはり異様な光景だった。彼らは傭兵にしては士気が高すぎだった。


 戦いのあと、論功行賞で最も称賛されたのは破壊者イコノクラストのヴォルクと個別の狼党ローンウルフズだった。ただ、ストロムブラード将軍こそべた褒めするものの、多くの者は面白くなさそうだったし、ペトリも同じだった。

 彼ら〈旅団〉から派遣されてきた連中はあくまで部外者である。どれだけ活躍しようが、ただの駒に過ぎない。しかしその駒に対し、ストロムブラード将軍は明らかに肩入れし始めていた。

個別の狼党ローンウルフズに正式に軍事顧問を付ける。黒騎兵オールブラックスからも誰か出せ」

「なぜ奴らに軍事顧問を? どうせ揉めて殺し合いになるのがオチです」

「そうかもしれんが、潜在能力は目を見張るものがある。うまく育てれば今後も使える」

 軍事顧問を付けるということは協力関係をより密にする前提となる。第三軍団の幕僚の多くは怪訝な顔をしていたが、ストロムブラード将軍だけは前のめりだった。

 ペトリには上官の思惑が掴み切れなかった──軍閥でも作るつもりか──一瞬だけそんなことが頭を過ったが、さすがにそこまで大それた野心はないだろうと思い口には出さなかった。

「誰を出しましょうか?」

「ミッコを出します」

「いいんですか? 弟でしょう?」

「あいつなら揉め事になっても平気でしょうから」

 副官のイエロッテは気を使ったが、ペトリはほとんど即決していた。このときはいい厄介払いができる程度にしか思わなかった。

 鉄の川の岸辺ラインメタルでの命令不服従や放火の罪で営巣に入れていたミッコを呼び出した。弟は不貞腐れていた。ストロムブラード将軍を睨みつけるその視線も相変わらずで、反省しているようには見えなかった。

 今後についてを説明すると、ミッコは敬礼さえせず生返事だけして帰ろうとした。さすがに目に余る態度だったので、ペトリは弟を呼び止めた。

「上官に対してその態度は何だ? 鉄の川の岸辺ラインメタルでの失態はもちろん、これまでの罪でいつ処分されてもおかしくないのに、なぜいたずらに盾突くようなマネをするのだ?」

「処分処分って、殺そうとしないのに何が処分だよ? ムカつくなら殺してみろよ?」

 足元を見るようにミッコは挑発した。ペトリのはらわたは煮えくり返ったが、しかしサーベルを抜くことはストロムブラード将軍に止められた。

「ミッコ。うまく奴らの手綱を握れよ。誰が一番強いかを教えてやれ」

 ストロムブラード将軍は激励したが、ミッコは返事もせず唾を吐き捨て去っていった。

「弟がいつもすいません……」

「気にすんな。お前の親父も若いときはあんな感じだった」

 ストロムブラード将軍の言葉に、ペトリは実際そうだったんだろうなと頷いた。父は豪傑だったが、ペトリは怒鳴り殴られた記憶しかなかった。

「ペトリ。お前は強き北風ノーサーの一族の中で唯一いい子ちゃんすぎる」

 ストロムブラード将軍は乾いた笑みを浮かべた。それの何がいけないのか、軍人であるペトリにはわからなかった。


 平和には秩序が必要である。秩序を蔑ろにする者はたとえどんなに優れていようとも処分しなければならない。しかし、〈帝国〉の勝利を、戦争の終わりを目前にして、状況はその混沌さを増していた。


 〈帝国〉、〈教会〉、〈旅団〉……。クリスティーナ一世、ストロムブラード将軍、破壊者イコノクラストのヴォルク……。ユーロニモス教皇、ロートリンゲン、ケリー王……。誰もが好き勝手に動いていた。今、たとえこのまま戦争が終わったとしても、ペトリには荒れる未来しか想像できなかった。

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