1-12 燃え落ちる日々  ……トマス

 月盾の軍旗はまだはためいていた。


 戦乙女たちの会戦から一週間が経過した。信仰生存圏を突破されれば一週間で終わると言われていた戦争は、まだ続いていた。一週間で滅びると言われていた〈教会〉も、まだ生きていた。


「ここまでです。町を放棄し、退却します」

 副官のウィルバートはそう言うと、まだ残る建物に火を放って回った。

 たった三日の戦闘で、鉄の川の岸辺ラインメタルとその一帯は廃墟と化した。町にはまだ建物も多くあったし、多くの住人も残っていたが、都市を確保できない場合は敵軍の拠点とされぬよう、元帥からは破壊命令が下されていた。都市の破壊命令には反対する者もいたが、多くはウィルバート、エドワードらソドー親子のように従った。

 おそらく、ヘンリーは都市の破壊命令には反対しただろう──広がりゆく火の手を追いながら、トマスはそんなことを思った。


 退却の行軍はいつも通りだった。将兵はみな疲れ果てていた。落ちゆく民衆もいつも通りだった。その視線は冷たく、無言だった。

 往路を歩いていた者のいくらかは帰らなかった。一万の兵力のうち、損害は五百名以上に上っていた。回収できた遺体は馬車の荷台に並べられたが、多くは戦場跡に打ち捨てられた。物言わぬ遺体の車列の横では、負傷者の悲鳴と呻き声が響いていた。時折、力ない足取りの片隅から誰かの恨み言が聞こえてきては消えていった。


 吹き抜ける風はずっと燃えていた。自陣へ帰還しても、風はまだ炎と血を帯びていた。


「よくやった」

 本営に帰陣すると、車椅子の元帥が待っていた。表情は鉄仮面で相変わらずわからないが、叔父の声色は珍しく上機嫌だった。

「初めての勝利の味はどうだ?」

 疲れ切った兵士たちの足取りを横目に、元帥はトマスを労り、戦果と勝利を褒め称えた。しかしトマスは全く嬉しくなかった。


 帝国軍第三軍団との戦闘にロートリンゲン軍は敗北し、鉄の川の岸辺ラインメタルの町は失陥した。戦乙女たちの会戦のときより多い損害も被った。しかし戦略的には教会軍は目的を達成した。それは叔父の言葉通り、間違いなく勝利であった。

 足止めと時間稼ぎ──それがこの反撃の目的だった。教会軍の各軍の奮戦により、帝国軍の侵攻は初めて停止した。戦乙女たちの会戦から一週間が経過してもなお、〈帝国〉は戦争を終わらせるどころか教皇府にすら辿り着いていなかった。それは紛れもない事実だった。


 しかしこの勝利の先に何があるのか、トマスには全く見えなかった。ゆえに勝利という言葉もただ虚しいだけだった。


「こんなものが勝利なのですか……?」

 苛立ちから、思わずトマスは叔父の言葉を遮った。

 状況への、叔父への、自らへの、様々な感情がない交ぜになっては心をかき乱した──多くの将兵が死んだ。多くの民が死んだ。国土は荒廃し、戦火に追われた多くが難民となった。戦乙女たちの会戦には敗北し、旗印とした三人の聖女は奪われた。守ろうとした町は自らの手で破壊した。それらの結果を招いたロートリンゲン家は、罵倒され、嘲笑され、責任を追及されていた。トマスは恐怖するだけで、また何もできなかった。にも関わらず、勝利を唱えるのは皮肉以外の何物でもないと思った。

「こんなことがいつまで続くのですか……?」

 周りの目も憚らず、トマスは叔父に感情をぶつけた。

「戦わなくていい理由がほしいのなら残念だったな。仮にこの戦争が終わったとしても、また次の戦争が始まるだけだ」

 トマスは何かしらの答えを求めていたわけではなかったが、しかし会話は成立しなかった。とりあえず、目の前にいる教会軍の元帥はこの戦争を終わらせる気がないということはわかった。

「やる気が出ないならまた聖女を借りるか? 女がいた方が戦いは盛り上がるしな。ほら、あと四人も残ってんだろ?」

 無神経な叔父の発言にトマスは絶句した──この人は、旗印とした三人の聖女たちを使い捨てにしたうえ、さらなる犠牲を強いようというのか……。

 身勝手な叔父の発言にトマスは憤慨した──この人は、残る四人の中に自らの血縁者がいることを理解しているのか……。

 〈教会七聖女〉の第四席、第四聖女エルはトマスの姉だった──美しい金色の長髪に、鮮やかな青い瞳を湛えた聖女──しかし生まれてすぐに生き別れた四つ年上のその人は、トマスからすればほぼ他人だった。そして鼻で笑う叔父にとってもまた、他人同然でしかないようだった。

 言葉に詰まるトマスとは対照的に叔父は饒舌だった。それが勝利の余韻からなのか、いつもの見境ない憎悪からなのか、理由はわからなかった。

「何が聖女だ。どいつもこいつも二百年前の迷信で盛り上がりやがって……。バカの一つ覚えで神の教えを説くだけの女が敵を討ち払ったり国を救ったりするわけねぇだろ……」

 また、表情なき鉄仮面から憎悪が漏れ出した。〈教会〉という国家に生きながら、〈教会〉という国家の象徴である〈神の依り代たる十字架〉を叔父は毛嫌いしていた。味方であるはずの〈教会七聖女〉に対する憎悪は、これまで見たどんなものよりも激しかった。


「お前は戦争を何だと思っていた? まさか神の正義やら騎士道精神を信じてたわけはないだろうな? いいか、政治的正統性なんぞ後付けに過ぎん。破壊と混沌、それが戦争だ。醜く、汚く、破滅的な泥沼。人が死に、社会が壊れる。戦争なんてそんなもんだ」


 この死にかけの教会軍の元帥は、戦争を終わらせるどころか、戦争を望んでいた。その戦い続ける意志の原動力が、底なし沼のような憎悪であることは間違いなかった。


「ならば、正しき月盾の騎士の姿とは何なのですか……?」


 ロートリンゲン家の家訓モットー、『高貴なる道、高貴なる勝利者』とは何なのか──トマスは声を振り絞り、訊ねた。


 少しだけ、沈黙が流れた。その間に鉄仮面の奥の青い瞳からは澱みが消えていた。


「トマス。お前はいいやつだ。だが愚かだ。だからこそ、お前は正しき月盾の騎士になれる。俺はそう思っている」


 珍しく、その言葉は無感情だった。馬鹿にしたような言葉だったが、叔父の目は全く笑っていなかった。それどころか真摯ですらあった。

 意味がわからなかった。しかしそれはどんな言葉よりも深く心に突き刺さった。トマスは言いたいことすら見失い、完全に言葉を失った。立ち尽くすトマスを尻目に、叔父は去っていった。


 しばらくして、なぜか涙がこみ上げてきた。震える涙には怒りが滲んでいた。


 涙が零れそうになる寸前、騎士たちがトマスの周りに立ち、壁を作った。副官のウィルバートはトマスの背中にコートをかけてくれた。

「顔を上げて下さい」

 俯くトマスの前にウィルバートが膝をつく。肩に添えられた手は大きく、温かい。

「辛いかもしれませんが、あなたはまだ生きています。そして、世界もまだ終わっていません」

 置かれた現実をウィルバートは語った。その声はいつも通り厳しいものだったが、目元は優しかった。

「この日を、これまでの日々を、どうか忘れないでください。それは辛く苦しいことです。しかし、いずれあなたが真に起つとき、自らの手で未来を切り拓こうとしたとき、この日々は必ずあなたの支えとなります」

 トマスはずっと孤独だった。父は生まれる前に亡く、母は産褥死し、姉のエルも世俗を離れて〈教会七聖女〉となっていた。叔父のアンダースは唯一頼れる親族であったが、それだけの存在だった。そんなトマスを支えてくれたのは、彼らロートリンゲン家の月盾の騎士たちだった。

 なぜか、肖像画でしか知らない父の顔がトマスの脳裏を過ぎった。若くして逞しく凛々しい月盾の長であった父の姿と、中年の無骨な武人であるウィルバート・ソドーは似ても似つかなかったが、しかし重なり合う面影にトマスは泣いていた。涙は拭うたびに止めどなく溢れた。

「ヘンリーのことは……、すまないと思っている……」

 もっと他に謝るべきことはあった。ヘンリー以外にも死んだ者は大勢いた。しかし今は嗚咽を抑えるだけで精いっぱいだった。

「息子は自らの信念に従い戦いました。後悔はないはずです」

 次男であるヘンリーを亡くした直後にも関わらず、ウィルバートは優しかった。一瞬伏せた目も、振り返るときには微笑んでいた。それを目の当たりにし、トマスは改めて事の顛末を自覚し、打ち震えた。


 トマスは空を見上げた。炎に焼かれる風の向こうには、まだうっすらと雪が舞っていた。


 なぜ戦うのか──トマスにはまだそれがわからなかった。


 何のための戦いなのか──いくら考えても、答えはなかった。


 終着点を見失ってなお、戦争は終わらない。戦い殺し合う日々の終わりも、未だ見えない。

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