1-11 炎と血  ……トマス

 風が戦いの音を運んでくる。


 反撃が始まった。トマスは剣を手に、戦場に立った。


 戦いの音が響く。砲声が大地を揺らす。鬨の声に背中を押されながら、マスケット銃兵と長槍兵の戦列がそれに続く。これまでのような小競り合いではない。一万のロートリンゲン軍ほぼ全てを動員しての大規模戦闘である。

「若き月盾の長が見ているぞ! みな、一歩も退くな!」

 ウィルバート・ソドーの檄に呼応し、軍靴と鼓笛が激しさを増していく。

 月盾の騎士たちはみな燃えていた──信仰生存圏が突破されれば、戦争は一週間で終わる、〈教会〉は一週間で滅びる──戦乙女たちの会戦から四日後、誰もが〈教会〉の首都陥落は時間の問題だと噂する中で、あえてその流れに立ち向かう男たちの士気は凄まじいものがあった。士官階級である騎士たちの意志に当てられたのか、今は傭兵たちもその熱量に動かされていた。


 ぶつかり合う風は血と鉄と硝煙の臭いを帯びていた。


 トマスは本営を置く鉄の川の岸辺ラインメタルの町の市庁舎から戦場を眺めた。町は銃砲火の白煙に覆われていた。その中では十字架旗と黒竜旗が入り乱れていた。鉄の川の岸辺ラインメタルの町とその周辺地域を巡って始まった戦闘は、一昼夜が経過しても収まる気配を見せず、激化の一途を辿っていた。


 教皇府へと続く街道の一点、首都の宮廷都市群の外縁の一角を形成する鉄の川の岸辺ラインメタルは、陸路と水路の物流拠点、大軍を駐屯させられる規模の都市と地形、そして教皇府への最短経路という立地にあった。教皇府周辺はほとんど全てが要衝と言ってよかったが、ここを帝国軍に占拠された場合、万の大軍が間髪入れずに教皇府に雪崩れ込んでくるのは火を見るより明らかであった。


 戦いは序盤から全力での殴り合いとなった。鉄の川の岸辺ラインメタルを防衛するロートリンゲン軍と対峙するのは、マクシミリアン・ストロムブラード率いる帝国軍第三軍団であった。帝国軍主力五軍団の中でも最も攻撃的と称される彼らの動きは、先の決戦でその名を轟かせた聖女狩りの黒騎士の指揮統制は、その異名に違わぬものであった。

 野戦ではやはり勝負にならなかった。城攻めへと移行した帝国軍第三軍団に対し、ロートリンゲン軍と鉄の川の岸辺ラインメタルの防衛隊は頑強に抗戦した。しかし攻撃三倍の法則に当てはまらないほぼ同数の兵力相手にも関わらず、防衛側のロートリンゲン軍にはほとんど余裕がなかった。そして戦闘が激化する中で、帝国軍は突如として民間船舶を利用しての川からの強攻揚陸を仕掛けてきた。

 犠牲を顧みぬ精鋭部隊による強襲、そして市街戦が始まった時点で、教会軍の兵の多くは浮足立っていた。しかし実質的にロートリンゲン軍を指揮する副官のウィルバート・ソドーは、まだ主導権は取り返せると言った。トマスはその言葉を信じ、本営に留まった。

 結果的に町は陥落しなかった。鉄の川の岸辺ラインメタルの都市とその周辺地域を巡る主導権争いから始まった戦いは、町の奪い合いとなり、今では街路一つ一つの奪い合いにまで陥っていたが、しかし教会軍は未だ崩れていなかった。


「騎士殺しの名を恐れることはない! 丸一日、我らは奴らと互角に戦えている! 諦めなければ必ず勝てるぞ!」

 情報将校として伝令をまとめるエドワードは、そう言って周囲を鼓舞した。彼の落ち着いた言動により、トマスは濁流のような戦場の中でも冷静さを保つことができた。

「今ここにいてくれることを感謝します、騎士団長閣下」

 側近のヘンリーは、濁流の中で困惑するばかりのトマスをすぐ横で励ましてくれた。

「アンダース元帥なら、時期が悪いだの何だのと適当な言い訳をしてすぐ逃げていたでしょう。でも騎士団長閣下は踏み止まってくれました。そのおかげで、俺たちはこうして戦えてるんです」

 ヘンリーの言葉は嬉しかった。ヘンリーが信じてくれるのと同じように、トマスはウィルバートら部下たちを信じてよかったと思った。


 戦乙女たちの会戦のときと同じように、トマスは立っているだけだった。しかし今、トマスは戦場にいた。敵と直接切り合うようなことはないが、しかし今、トマスは間違いなくみなと共に戦っていた。嵐に立ち向かっていた。


 トマスはまた市庁舎の屋上から戦場を眺めた。戦況は立ち込める銃砲火の白煙によりよく見えなかったが、後送されてくる負傷者はあとを絶たなかった。本営に出入りする伝令の息遣い、町にこだまする鬨の声と断末魔は、激しさを増す一方だった。


 一昼夜に及ぶ市街戦が始まってどれほどのときが経過したのか──息詰まる均衡が続く中、突然、火が空を裂いた。

 無数の火矢が市庁舎に降り注ぐ。火の手はそれだけに留まらず、街路の至るところから燃え上がり始める。

「火攻めだと!? クソッ、敵は町を破壊する気か!?」

 本営を置く市庁舎周辺がにわかに騒がしくなる。全軍の指揮を執るウィルバートが、さらに対応に追われる。

 失火ではない、明らかに組織的な放火であることはトマスにもわかった。

 都市の占領を目的とするならば、無闇に被害を拡大させる火攻めはしない。加えて戦闘中の、しかも風向きが安定しない今日のような天候では、実行した側にも被害が拡大しかねない。しかしそれでも火攻めを敢行したということは、敵はもはやなりふり構わず勝利を得る方針に舵を切ったことになる。

「陣地変換!」

 ウィルバートの命令で、市庁舎からの移動が始まる。

 周囲を騎士たちに守られているとはいえ、背中に感じる圧力は凄まじいものがあった。空には〈帝国〉を称える鬨の声が響いている。均衡から解き放たれた火の手は、凄まじい勢いで町を燃やしている。


 焦燥に駆られ、悪寒が背筋に滲んだ。トマスはまともに馬を御することすらできないでいた。そのとき、どこからか笑い声が聞こえた──トマスは思わず背後を振り返った。


 馬の嘶き、馬蹄、そして笑い声──炎と白煙の中から、漆黒の騎兵が姿を現す。北馬と称される帝国軍騎兵の最精鋭、黒騎兵オールブラックスの数十騎が、トマスらの背後に迫り来る。火を点けて回っているのか、手には火矢やたいまつを持っている。


 無数の黒い騎馬が、雄叫びを上げ突っ込んでくる。


 トマスは剣を握ることすら忘れ、硬直していた。恐怖から、目を逸らすことすらできなかった。


 帝国軍第三軍団と、それを率いる騎士殺し──または聖女狩り──の黒騎士とロートリンゲン家には、浅からぬ因縁があった。

 戦争初期、〈帝国〉領内への遠征軍の中核を担ったロートリンゲン家の月盾騎士団ムーンシールズは、第三軍団の騎兵隊である黒騎兵オールブラックスによって止めを刺され、壊滅した。一連の戦役で教会軍は大敗を喫し、トマスは父や祖父を含む多くの親類縁者と家臣を失った。当時は十八歳で、優男で女たらしだった叔父のアンダースも、その後は悍ましい見た目に変わってしまった。

 当時、トマスは生まれてすらいなかった。しかしそれらの黒い恐怖は、骨身に刻みこまれてしまっていた。

 攻撃三倍の法則を無視した城攻め、自軍の損害を恐れぬ強襲揚陸、戦略目的さえ顧みぬ火攻め、市街戦への騎兵投入など、帝国軍第三軍団の戦い方はおよそ常識からかけ離れていた。しかし頭のおかしいとしか思えぬその戦い方は、確実にトマスの意志を蝕んでいた。


 しかし、部下たちは怯んでいなかった。

「敵は少数だ! 迎え討て!」

 ウィルバートの命令で長槍兵が展開される。街路を埋める長槍パイクの穂先に、敵の馬が怯む。その隙に、建物に展開したマスケット銃兵が一斉に弾を浴びせる。

 火と鉄の一撃により、突っ込んできた黒騎兵オールブラックスの圧力は呆気なく途絶えた。多くは落馬した。攻撃をかい潜った人馬も、ほとんどは少し打ち合っただけで逃げ散っていった。

 背中を見せ散っていく黒騎兵オールブラックスを見て、トマスは一瞬安堵した。どれだけ精強を謳われようとも、同じ人なのだと思えた。


 しかし、一騎だけは依然として笑っていた。


 長槍兵の戦列は崩れていないし、銃兵による射撃は続いている。にも関わらず、その一騎はかすり傷一つ負っていなかった。腕にびっしりと刺青いれずみを刻んだ大男とそれを支える巨躯の黒馬の圧力は、弾丸を跳ね返しているのではないかと思うほどだった。

 その一騎は筋骨隆々の偉丈夫であったが、しかし顔つきは幼かった。年齢は二十一歳であるヘンリーよりも年下、十二歳のトマスよりも少し年上ほどにしか見えなかった。


 その一騎は狭い街路をところ狭しと飛び回った。弓矢とウォーピックを巧みに使い分け、一人また一人と兵を倒す戦い方は、まるで皮を剝ぐかのようだった。そして何度目かの打ち合いのあと、それはトマスに向かって猛然と突っ込んできた。

 黒い人馬の圧に長槍パイクが吹き飛ばされ、戦列に亀裂が入る。

黒騎兵オールブラックス! お前らの数え切れぬ罪、ここで償わせてやる!」

 トマスの横からヘンリーが飛び出し、その一騎と向かい合った──しかし勝負は一瞬で終わった。

 至近距離から放たれた矢は、ヘンリーの頭に刺さった。血肉が滲む矢じりは鉄兜を貫通していた。物言わぬ体は、馬上で力なく揺れていた。


 何か、酷く馬鹿にしたような言葉が聞こえた気がした。しかしトマスはその笑い声から目を逸らすことができなかった。それどころか、ヘンリーの死を前にしても、剣を抜くことすらできなかった。


「トマス様は先に移動して下さい!」

 ウィルバートの声でトマスは我に返った。気付くと、ヘンリーの兄のエドワードがトマスの馬の手綱を取っていた。

 トマスの周囲の騎士たちは燧石式拳銃フリントロック・ピストルを手に、その一騎に銃弾を浴びせた。しかし大男はヘンリーの体を掴み上げ、肉の盾としていた。


 手綱を曳かれるまま、トマスはその場から離れた。背後では黒騎兵オールブラックスの一騎がずっと暴れ続けていた。移動した先の陣地に敵の姿はなかったが、しかし笑い声はずっと響いていた。


 戦闘は依然として続いていた。吹き荒れる風は燃えていた。風は今、むせ返るほどの炎と血に濡れていた。

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