1-2 戦乙女たちの会戦  ……ヴィヴィカ

 北風と南風がぶつかり合い、軋む。


 向かい合う〈帝国〉の黒竜旗と〈教会〉の十字架旗が風にはためく。整然と居並ぶそれぞれの陣営の中心には、皇帝旗たる燃える心臓の黒竜旗と、〈教会七聖女〉を示す天使の錦旗が掲げられている。


 冬晴れの空に、軍靴と鼓笛が響く。クリスティーナ一世率いる七万の帝国軍と、〈教会七聖女〉の三人を旗印としアンダース・ロートリンゲン元帥が指揮を執る八万の教会軍、〈教会〉の信仰生存圏を巡り集まった万の軍勢が、動き始める。


 信仰生存圏──二百年前、大陸を灰燼と帰した〈東からの災厄タタール〉さえも退けた〈教会〉の最終防衛線にして、十年前の戦いで〈帝国〉の先帝がその最期を遂げた地──クリスティーナは父親と同じように、そこを決戦の地と定めた。

 信仰生存圏を突破できれば、〈教会〉の首都へと続く道は開かれる。大した防備もない教皇府は事実上の陥落状態となり、〈帝国〉の軍事的勝利は決定する。進軍、包囲、講和、戦後処理を含め、十二年間続いた戦争は一週間で終わる。


 戦乙女たちの会戦が始まる。


 マスケット銃兵、長槍兵、野戦砲兵を主体とした両軍の歩兵戦列が、勇壮なる行進曲に合わせ平原を進み始める。準備砲撃とともに白煙が立ち込め、戦列の両翼では早くも騎兵がぶつかり始めている。


 戦いの音が聞こえてくる。剣戟が、銃声が、砲声が……、軍靴が、鼓笛が、馬蹄が……、雄叫びが、悲鳴が、断末魔が……、風となり、吹き荒れる。


 一般的な会戦の戦い方である。一騎当千の英雄はいない。驚くような奇策もない。伝承に語られる〈神の奇跡ソウル・ライク〉のような場違いな魔法も当然存在しない。昔ながらの、軍の教本通りの、犠牲さえ計算に入れた効率化された戦い方である。


 ヴィヴィカはクリスティーナとともに、帝国軍本営そばの高台から戦場を眺めた。前線からは離れているが、五千名の近衛兵は臨戦態勢で陣形を敷いている。もちろんヴィヴィカも、左手に弓を、矢筒に右手を添えている。

「また前線に立ちたいと思う?」

 白煙の中にはためく黒竜旗を眺めながら、クリスティーナがヴィヴィカに訊ねる。戦場を望む女王の赤い瞳は、恋焦がれる少女のような色をしている。

 クリスティーナがずっと戦場で戦いたがっていることをヴィヴィカは知っていた。しかし、いくら軍学を修めても、騎士のように甲冑をまとい剣を佩いても、父親と同じように剣を振るって先頭を駆ける力がないことはクリスティーナ自身が理解していた。皇帝という国家の最高位にありながら、実質的な軍の指揮も宰相のオクセンシェルナや元帥のブローデンら軍司令部に一任されており、クリスティーナは大局での意思決定を下すに過ぎない。

強き北風ノーサーの娘、黒き騎兵隊の少女、騎馬民最後の女戦士……。近衛兵になる前から、あなたは有名人だったわね」

 クリスティーナがヴィヴィカの過去を語る。その目はずっと戦場を見ていた。


 戦いの音をヴィヴィカは辿った。


 八年前、十五歳で近衛兵に採用される以前、ヴィヴィカは帝国軍主力五軍団の一つである第三軍団の騎兵であった。今このとき、この戦場の最前線には、かつての仲間たちがいた。

 今、彼らは血を流し、命を削りながら戦っている。

 彼らを忘れることはできなかった。当時、関係がずっと良好だったわけではない。それでも、男たちは仲間だった。騎馬民の同胞たちは、血を分けた兄弟は、青骸布せいがいふの騎士へと導いてくれた上官は、確かに共に死線を駆け、共に命を懸けた。


 遠い戦場の白煙に、二人の視線が交わる。


「どこにいようとも、陛下をお守りすることが私の務めです」

 ヴィヴィカは思いを口にしたが、出てきた言葉はありきたりなものだった。クリスティーナの気持ち、自らの立場、戦場に馳せる思い、戻らぬとき……。伝えたい思いは山ほどあるが、それをうまく表現できないことが歯痒かった。

「頼むわね、我が北風の騎士よ」

 畏まるヴィヴィカに、クリスティーナが微笑む。

「この戦場の名に遅れを取らぬ働きを、真の戦乙女たるに相応しい働きを、これからも期待している」

 クリスティーナがヴィヴィカの手を取る。その大きさは、大人と子供のように違う。

 流れ込んでくる女王の意志に、ヴィヴィカは気を引き締め直した。過去は過去。大切なのは、今この瞬間である。今は、自らの務めを果たすのみである。

「安心して。いきなり前線に出ていくなんてことはしないから。そもそも、ホルンが許さないでしょうしね」

 クリスティーナは近衛兵長のグレン・ホルンに聞こえるように笑った。ホルンは一礼すると、クリスティーナの前に跪き、頭を下げた。

「十年前、我らはこの地で負けました。この地で、陛下のお父上を死なせてしまいました。それなのに、そんな我らを陛下は生かしてくださいました。剣として、盾として、再び用いてくださいました。だからこそ、その思いに報いるため、青骸布せいがいふの近衛兵の誓いに今度こそ殉じるため、陛下には〈帝国〉を統べる者として自覚ある行動をお願いいたします」

 ホルンの言葉はいつも通り厳めしかったが、今は少しだけ泣き濡れていた。

「我が血濡れた手よ。そなたの忠誠心と心遣いに感謝する」

 クリスティーナはホルンの手を取って立たせると、優しく微笑んだ。

「そなたたちは敗北を知ってなお立ち上がった。戦い続ける道を選んだ。私はその意志を信じている」

 がっちりと握手を交わすホルンの目元には涙が滲んでいた。二人の周囲からはすすり泣く声が聞こえた。

「私は信じている。身命を賭して戦う〈帝国〉の子らのことを。〈神の依り代たる十字架〉の教えを自らの権力に利用するだけのユーロニモス、その操り人形に過ぎない〈教会七聖女〉、そして何も考えず神に縋るだけのバカども……。そんな愚か者どもを討ち果たし、勝利への道を切り拓く英雄たちのことを」

 遠く敵陣にはためく〈教会七聖女〉の天使の錦旗を眺めながら、クリスティーナが言葉をかみ締める。その赤い瞳は、昨夜のように燃えている。


 戦いの音がその激しさを増していく。


 ヴィヴィカは戦場へと視線を戻した──戦乙女たちの会戦──戦いはまだ始まったばかりである。

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