第9話 夏の約束②

「テーマは……誰も来たことがない、発見されていない、誰にも汚されていない、未開の海に辿り着いた貴方。


 どう……かな?」


 彼女は珍しく自身がなさげだった。


 見せられた絵は、彼女の言葉通り、自然で幻想的な海だった。

 水は透き通り、波揺れる海、それに天写されている青空。その本来は相容れぬ二つが水平線で繋がって見えた。


 海の青色は、深さと寂しさを表し、空の青色は広大さと優しさをよく表していると思う……。

 

 さっきから青色、青色としか考えられてない……色のバリエーションぐらい勉強しておかないと、いつか笑われてしまうな。


 俺の素人目も未だに変わっていないのは、ほんと申し訳がない。


 そして、そんな素敵な海の真ん中に小さく……1人で突っ立っている俺が描写されていた。


 今までスケッチブックに描いてある絵は全て見てきたけど、人が描かれているのは初めての事だった。


 そんな貴重な役割が俺でいいのかと思ったのと、同時に……ある事を考えてしまった。


「俺には勿体ない光景だ。まさしく俺が浮いてみえる」


「そりゃそうよ、釣り合う訳ない」


「なら、俺を描くな」


「絵の中でぐらい、行かせてあげたくて」


「いや、行こうと思えばいつでもいけるって」


「無理よ……ボッチには海は荷が重すぎるから」


「だったら絵の中でぐらい、俺をボッチにするな」


「だって貴方……友達いないでしょ? 

 創造上に友達をつくるなんて、惨めを通り越して、泣けてきちゃう」


「……いや、お前を描けばいいだろ?」



 そう言った瞬間……時間が止まるような感覚に陥った。彼女の地雷にふれてしまったと思った。


 会話の流れを止めるか、方向転換するべきだった。


 でも俺は鈍く、彼女が自身を描かない事に意味があったなんて、その時は思いつきも考えもしなかった。


 だけど彼女はとくに取り乱す事はなく、表情はとても穏やかだった。


「…………確かに私を描かけば、あっさり問題解決ね。

 でも、ごめんなさい。それは無理」


「……なんでだ?」


「私は、無い世界を描いてるんじゃないから」


「それはどういう?」


「逆に……どういう意味だと思う?」


「えぇ、そうだな……。現実の世界を描いてるってことか?」


「なんだ、わかってるじゃない」


「現実を……あれ? でも例えば、この海の絵のテーマもだし、絵を描いてるのだって」


「言いたいことはわかる……。私の絵は何処か現実離れしてる。だって……私が夢みた世界だから」  


「そうだよな……」


「でも、ただの想像じゃない、私は信じてる。きっと私の描いた世界は、この宇宙の何処かにあるってね。

 まぁ、これは……言ってしまえば、現実への腹いせ、私はこんなにも美しい世界を、アンタ達が知らない世界を、知ってるんだぞって示してるの……。

 そのためには私の絵は、現実的でもなければならない……。だから、すぐわかるような嘘は描いちゃ駄目なの」


 俺はそんな彼女の想いを黙って聞くことしかできなかった。


「でも私がいたら、それはもうあり得ない事でしょ……?」


「そんなことは…………」


 ……自分にイライラした。

 そんなことはないと、言えない自分にだ。


 でも、無責任に言える訳もない。


 自分の状況を受け入れてる彼女を前にして……言える訳がなかった。


 友達風情の俺が、本当の意味で深く関わりを持ってない俺が、家族をさしおいて、表面上だけ知った気になってる俺が……。

 

 ホントは……言いたかった。

 

 でも、度胸がない俺には……言えな……。


「ないって……言ってくれないんだ」


 彼女の言葉が、俺の心をえぐる。


 あぁ……何を考えてんだ。ほんと筋金入りの阿呆だ。 


 阿呆なら阿保らしく、何も考えずに言えばよかったんだ。


 俺ぐらいは、いってやるべきだったんだ。


 あぁ……そうだろ。言ってやれ!


「……行きたい場所なんだろ?」


「えっ?」


「なら、一緒にいくぞ!! 

 そうだな、手始めに海にいくか。流石に普通の海になるかもしれないけど。桜のときみたいに外出の許可をとってさ」


「まって……本気で言ってる?」


「あぁ、何なら俺は今からでもいいし、いつでも大丈夫だ、暇だからな」


「私の状態……わかってる?」


 初めて出会った時よりも、さらに痩せてる。


 そんな事は何度も会えば、自ずとわかってくる…………。


 それに最近、ご両親からも詳しく聴いた……だから、わかってる。わかってるよ……。


 でも、俺は!!


「あぁ、もちろんだ。俺が全力でサポートすれば、何とかなる」


「でも、許可はもう……」


「俺が死ぬ気で説得する。海ぐらい余裕だ」


「それでも……反対されたら?」


「抜け出せばいい、お前が行きたいと願うなら、俺は悪い奴になる。絶対につれだしてやる」


「ほんと、バカじゃない……。

 自信があるだけで……何も考えてない、さっきから穴だらけ。無理にきまってるのよ……」


「そんなことはない!

 絶対にいける!!」


もう……無理なんて言ってやるもんか……。


「…………だったら……約束して」


「約束?」


「えぇ、私を何が何でも、海に連れてってくれるって」


そんな約束、余裕だ。絶対に行くんだ。


「……わかった。約束だ。 必ずお前と海にいくよ」


「うん……期待してるから」


「よし、善は急げだ。早速、頼んでみるか……。今日は確か、親二人ともが来る日だろ?」


「あっ、まって。外出の許可とか説得は私に任せて……」


「えっ? でも、それは……」


「いいから……」


「だったら、せめて同席しようか? 俺からの願いだし」


「だいじょぶ……。私も約束したからには、頑張りたいし守りたいから。


 ……それに貴方にはとても重要な仕事を任せるわ」


「なんだ? 」


「貴方には何処にいくか、プランを考えてほしいの」


「なるほど……それは責任重大だな」


「えぇ、私をガッカリさせないでね……」


「あぁ……任されたよ」


 いま思えば……この出来事が原因、つまり俺のせいなのかもしれない。


 『自分の言葉』が彼女の考えに影響を与えたなんて、彼女の決断の後押しになったなんて、思い上がりたくない。


 でも、俺のせいで彼女の判断を変えてしまったんだとしたら……俺は……。

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