見栄っ張りな恋

大鵺友縁

見栄っ張りな恋

「委員長は彼氏とかいるの?」とクラスメイトが訊ねてきたのは、2週間前のことだ。

 私は出席番号が近く、なおかつオシャレな子達で集まって、一緒にお昼御飯を食べていた。進級して高校二年生になり、新しいクラスで過ごすグループを作り直すためだった。仲良くしていた友人達は、全員クラス替えではぐれてしまった。

 いったん、口元に運んでいた卵焼きを置いて答える。

「彼氏はまあ、いるけど」見栄を張った。

「どんな人?」

 髪をツインテールにして、身を乗り出してくる彼女は、男子バスケ部のエースと付き合っているらしい。

 彼氏の有無は時にステータスになる。そうしたものの積み重ねで、グループ内の力関係や、序列が決まることもある。

 このままでは負ける、そう思った私は、気づけば、「大学生の人だよ」と見栄を張っていた。

「意外~」とツインテールは面白くもなさそうな声を出したが、今度はメガネを掛けたクラスメイトが訝しむように、「どこだい?」と訊ねてきた。

「え、なにが?」

「どこの大学に通ってるのって」

「ああ。えっと、東大とか」

「とか?」

「東大だって言ってた」

 彼氏は東大生になった。その後も質問のターンが続き、昼休みが終わる頃には、イケメンになり、高身長になり、ファッション雑誌にモデルとして出演し、親に買ってもらった外車を乗り回していた。

 休み時間終了を告げるチャイムが鳴り、なんとか乗り切ったな、と胸をなで下ろした。もちろん、いつまでも隠し通せるような嘘ではない。けれど、問題はない。すぐに新しく彼氏を捕まえて、大学生の彼とは別れたことにすればいい。


 次にその話題が出たのは週明けの月曜日、学校のトイレだった。

 私は付き合いでやって来ただけだったので、べつに用を足すでもなく、鏡の前で髪を触っていた。

 常に集団行動を迫られる文化は煩わしくもあるが、休み時間を一人で過ごしたくなければ、一人でお弁当を食べたくなければ、必要な付き合いというものが存在する。

「昨日、一緒にいたのって彼氏?」同じように隣に並んだメガネのクラスメイトが、唐突に言った。「本当だったんだね」と、一人で納得した。

 あまりにも脈絡がなく、こちらに目も合わせないものだから、最初は自分に言っているのだと気付けなかった。話の内容も、まるで意味不明だった。

「え、何を言ってるの?」

「ごめんなさい。わたし、実は委員長のこと疑ってたのよね」

 そこで、トイレからグループの女子達が出てきた。おまたせー、おかえりー、と挨拶が交わされる。

 もっと詳しく話を聞きたくもあったが、ボロが出てもいけないと思い、話題を逸らした。


 結局、メガネが見たのは何だったのだろうか。いくら考えても、ただの人違い以外の可能性は浮かばなかった。

 しかし、それから奇妙な事が起こりはじめた。ことあるごとに、私の知らない「もう一人の私」の話を聞くようになった。

 例えば、遊園地でデートをしている「私」を見た、とか。私じゃない方の「私」と電話で話した、だとか。トイレから戻ってくると、ついさっきまで私の代わりに「私」が話していた、といった事もあった。しかし、決して私の前に「もう一人の私」は姿を現さなかったから、誰にも信じてもらえなかった。

 これはもはや人違いか何かというより、私の偽物か、ドッペルゲンガーに近い、と思った。

 それからはなるべく、一人にならないように気をつけて過ごした。

 トイレに行く時は絶対に誰かを誘ったし、常に誰かと登下校を共にするようにした。友人が全員部活動で都合がつかない時には、終わるまでひたすら待って時間を潰した。一瞬でも一人になれば、何か恐ろしいことが起こるに違いない、という強迫観念に突き動かされていた。


 そして今朝、私は体調を崩して熱を出した。怠さと頭痛を覚えながら目を覚まし、体温を測ると38度あった。

「もう今日は学校休んでいいよ」体温計を覗き込んだ母がそう言ったが、無視して制服に着替えた。既にHRには若干遅刻している。急いで玄関から出ようとすると、母に捕まった。「そんなにフラフラで学校行けるわけないじゃない。いいから休みなさい」と部屋に連れ戻された。

 絶対に休むわけにはいかない。なんとかして脱出しようと、窓を開けてみる。私の部屋は一軒家の二階で、飛び降りるには高かった。

 窓から周りを見回すと、手を伸ばせば届きそうな所に雨どいが見えた。体を乗り出してしがみつき、雨どいを伝ってなんとか地上に降りた。そして靴下のまま、ふらつく体に喝を入れながら歩いた。


 満身創痍で学校に辿りついた時には、もうすぐ二時限目が始まろうとしていた。教室の内側から、ざわざわとした気配を感じる。

 勢いよく戸を引く。教壇に立った担任と、起立の姿勢のクラスメイト達の驚いた視線が一斉に向けられた。私の顔を見て、次に、なぜかボロボロになっている靴下に視線が動く。

「すみません、遅刻して……」息も絶え絶えに言った。

 しかし、担任は困惑したように出席簿に目をやって、「角川? おまえ、HR出てたろ?」と言った。

 その言葉を聞きながら、私は自分が意識を失ったのが分かった。


 目を覚ました時、私はベッドに寝かされていた。最初にまっ白い天井が視界に入って、次につんとした消毒液と湿布の匂いがした。ゆっくり体を起こすと、いくつかの空いたベッドと、体重計や身長計が見えた。馴染みはなかったが、ここは保健室だと理解した。

 グラウンドの方から響いてくる運動部の掛け声をぼうっと聞きながら、これまでの出来事を振り返っていた。

 私は失敗したのだ。けれど、諦めて認めてしまえば、不思議と清々しい気分だった。

 その時、扉が開けられて生徒が入ってきた。髪をツインテールにしている。「あれ、先生いないじゃん」と辺りを見回し、私に気付くと、「あれ、委員長じゃん」と指差してきた。

「うん、本物の私だよ」

「本物?」

「偽物じゃない方だよ」

 そう言えばさ、とツインテールが首を捻って、「さっき下駄箱で委員長を見かけたんだけど」と不思議そうな顔をした。「あれが偽物だったの?」


 校門へ向かって歩いていく髪の長い女子生徒の後ろ姿を見ながら、私は、「見つけた」と呟いた。目の前に私が居る。他の生徒はいなかった。ここに私が居るのに、そこにも私が居た。私の後ろ姿を、私自身が見ている異常な光景だった。

「止まれ!」叫んで駆け出し、肩を掴んだ。女が振り返る。

 やはりその女は、私の顔をしていた。鏡でも見せられているかのように瓜二つだ。

「何なのよ! あんたは一体何がしたいのよ、なんとか言いなさいよ!」

 思いつく言葉を口にするが、それきり後が続かない。沈黙が流れる。女は涼しい顔でこちらを見ていて、それがまた腹が立った。

 やがて、女が私の手を振り払い、私そっくりの声で、「ねえ、アンタ、誰?」と言った。とぼけている風でもなく、むしろ向こうが私を怖がっているようだった。

 食い下がろうとしたが、そのとき、女の背後から、「おーい」と誰かが声を張り上げた。見ると、校門前に車が止まっている。あまり馴染みのないフォルムをしていて、たぶん外車だ、と思った。

 ドアが開いて、中から背の高い男が出てきた。イケメンでスタイルがよく、雑誌のモデルでも通用しそうな雰囲気をしている。

 女が男の方に走り寄って、迎えに来てくれてありがとう、と言って車に乗り込んだ。

「この娘は友達?」男が私の方を指差して言ったが、「ううん。知らない人」と女が答えた。二人が車に乗り込み、ドアが閉じられる。

 そのとき、車の窓に知らない女の顔が映った。私が首を動かすと鏡合わせのように女も動いたので、それが窓に反射した自分の顔だとだと分かった。私は知らない人になっていた。

 車が去って、日も暮れ、私は校門の下でただ立ちすくむしかなかった。

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