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 やあ、ワタシは神だ。

 今から人類を滅ぼす。

 キミたちからしたら相当な一大事だとは思うけれど、宇宙の星々では        往々にして起きてきたことなんだ。その星の主生物を消してしまうということは、ね。ワタシはそれをする。

 ただ、キミたちにはそれを避ける特例措置を設けた。

 猶予は今日から五日間。

 それまでにキミたちのなかから500万人の生贄を提出すること。

 そうすればあと百年は人類を放っておくと誓うよ。

 生贄の選出方法だけど、なんでもありにすると面白くないから制限をつける。

 に限定する。この二つだけしか認めない。

 ちなみに、話し合いの場合は犠牲者側の心からの承認が必要になる。誰かにむりやり押し付けるのはダメってことだ。そういうのはわかっちゃうんだよ。いちおう、ワタシ神だから。

 言わなきゃいけないことはこれくらいかしら。

 じゃあ、また五日後に。

                                」



 “神”が世界に向けて放った一連の文句は、テレビやラジオ、新聞などでさかんに報じられつづけた。最初、多くの人間はそれを悪いジョークとして受け取っていた。全員が全員、自分は悪夢を見ているのだと考えた。


 そんな世相を見てのことだろう、”神”は自分の存在の確かさを証明するために、南アメリカ大陸を日本と北アメリカ大陸のあいだにむりくり移動させた。そしてその下にぴったりとオーストラリア大陸をくっつけた。太平洋の範囲が極端にせまくなったわけだ。


 その力業をもって、世界は”神”からの提案に真剣に取り組まざるをえなくなった。あらゆる形の常識が無残に破壊された。



 夕飯にはチキンライスとポトフを食べた。

 リカは食事のあいだじゅう、ずっと虚ろな表情を浮かべていた。


 「どうした?」と俺は訊いた。

 「どうしたって……」とリカは言った。「神さまがみんな殺しちゃうってテレビでいってた。それが怖いの」

 みんなには俺もお前も入っているんだぞ、と俺は言わなかった。死んでしまえばなにもわからないさ。


ベッドサイドのランプを消して、俺は言った。


 「リカ、これから世界はぐしゃぐしゃになる。落胆するような光景が何度も目の前で繰り返されるし、テレビにも映る。だがな、これがなんだ。表面化していなかっただけで、これがほんとうなんだ」


 リカは俺の言ったことがよくわからなかったようだ。「おとうさんは生きてて楽しくなかったの?」と訊いてきた。

 「楽しくなんかなかったよ」と俺は答えた。

 しばらく沈黙がつづいた。


 「それでも生きてきたのは」と俺はつづけた。「お前がいるからだ。お前といっしょにいる時間だけは楽しいと思えた。それが、それだけが俺の生きがいだった」

 リカはくすくすと子供らしく微笑んだ。

 「ありがと」とリカは言った。

 「死ぬのが怖いか?」と俺は訊いた。

 娘は少し考えたあとで言った。

 「おとうさんといっしょだったら怖くないよ。大丈夫」

 俺はランプの灯りを消して、彼女の額にくちづけをした。

 あと四日だ、と思った。



 自室には映画作品のDVDやビデオテープが所狭しと並んでいる。こどもの頃から集めつづけたものだ。俺が夢中になれたものといえば、これだけだった。映画。


 人生の名場面をプレイバックするかのように、目についたディスクをビデオデッキに読み込ませた。朝まで五本の映画をたてつづけに観た。

 『時計じかけのオレンジ』、『マンハッタン』、『デッドマン』、『ブルー・ベルベット』、『スモーク』。


 映画は虚構。

 しかしいま、虚構以上のことが現実に起きている。

 ならば、そのふたつのあいだの境界線も移動してしかるべきだ。

 『スモーク』のエンドロールが終わったちょうどそのとき、俺を呼ぶリカの声が聞こえた。



 リカと図書館をおとずれた。

 予想できていたことだが、当然職員の姿はなかった。人類が滅ぶというのに誰が好きこのんで労働なんかに従事するだろう。入り口のガラス扉を割り、鍵を開けてなかに入った。


 ひとの気配というものが抜け切った図書館で、俺は人類史についての書籍を読み込んだ。なんとなくそうしたかった。当の人類史が終わってしまうまえにその変遷をざっと復習すべきだと思ったのかもしれない。


 最後のページまで読み終えると、たしかに”神”の言ったとおり、人類の生息した500万年間など宇宙規模でみればちっぽけなものであるように思えてきた。そのなかのせいぜい100年間しか生きることのできない俺たちなど、さらにちっぽけだ。そしてその100年のあいだに生まれる何億人ものなかのたったひとりである個人はさらにちっぽけ。入れ子式人形のように、その圧縮はつづいていく。存在がどんどん些細なものに変遷していく。



 リカは絵本コーナーにいた。ひとりで笑っていた。こんな状況にあって、この子はなぜ泣いたりしないのだろうと不思議に思った。少し考えて、残念なことだが俺に似てしまったのだという結論に行き着いた。


 「リカ」声をかけた。「帰ろう」



 「あと三日だよ」と”神”は言った。

 「そうだな」と俺は言った。

 「テレビを見てるかい?」

 「まだ放送しているのか?」

 「うん、誰かに強制されてるわけでもないのにね。人類は律儀だよ。滅ぼされる直前まで仕事をするんだ」

 「そうか」

 「大混乱が起きているよ。けっこう見ものだと思うけど」

 「それを目にしたくないから、なにも見ないようにしているんだ」

 「ふうん」”神”は興味が失せたとでもいうように、いやに間延びした声を出した。


 「キミみたいなやつばっかだと思っていたんだ。人間という生きものはみんな」やがて、”神”はそう言った。「なにしろ人類のなかで最初に出会ったのがキミだからね。そう思っても仕方がないだろう? でも実際は違った。人類はもっと必死で、醜かった。それもそのはず。そうじゃないと、ここまで発展していないだろうからね」

 「俺は必死じゃないと?」俺は訊いた。

 「普通はさ」“神”は枯れ枝のような腕で湖畔の水面をすくった。音もなかった。「あなたたちを今すぐに滅亡させるといったらもう少し慌てるものじゃないか」


 「抗ってもしょうがないと思ったんだ。人類が滅ぼされることはあらかじめ決まっていたんだろう?」

 「まあ、そうだけど」

 俺はなにも言わなかった。

 「娘さんは受け入れてるの?」

 “神”はふと思い出したという調子で訊いた。

 「どうだろう」と俺は答えた。「わからない」



 次の日の朝、何日かぶりにテレビをつけてみた。


 テロップも編集映像もないニュース番組だった。ただ、世界各所で撮られた映像が流され、それに対してアナウンサーが説明を加えていた。ハイウェイに放置された自動車、燃えさかる高層ビル、もぬけのからとなった街。


 首脳会談がひらかれたらしい。何の合意もえられないまま、その会談は終わった。どこかの国の首相がみずから命を絶った。


 犠牲者の数が足りていないと女のアナウンサーが嘆いていた。現況ではおよそ100万人の志願者が集まったと報じているが、それも嘘だろう。新たな志願者を引き込むために、人数を多めに報じているのだ。正義感がはたらくように。

 番組の最後で、アナウンサーは国民に『勇気ある選択』を求めた。涙ながらに。そして彼女の端正な口から赤黒い血がこぼれた。舌を噛み切ったのだ。


 俺はリモコンでテレビの電源を落とした。

 俺は二階に向かって呼びかけた。

 「リカ! 起きろ、朝ごはんを食べよう」

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