【短編小説】リスミー

仲田日向

1

 “神”が相談を持ちかけてきた。

 「なあ、そろそろ人類を滅ぼしてしまおうと思うんだけど問題はないかな?」

 ほう、と俺は思った。

 今までにないパターンだ、と思った。 



 家の裏手の湖畔。俺は煙草を吸っていた。八月。やすりでとがれたかのような鋭い三日月が空に浮かんでいた。時刻は深夜の二時ごろだったと思うが、正確なところは覚えていない。この後に起こる出来事があまりにも現実とかけ離れていたせいで、どうも俺がそのときに認識していたものさえも信用に足らないもののように思えてしまうのだ。


 “神”は音もなく現れた。というよりは、

 「人間だよね、キミ?」

 俺は左手を向いた。

 「ああ」


 答えながら、質問者の全貌を観察した。すぐにそれが現実の枠組みなど超越したものであるとわかった。それの周りの空間が少しずつ歪みはじめているように見えた。



 の輪郭は神経が麻痺した左手で書いた落書きのようだった。不安定に、忙しなく揺れていた。今なお流動していた。一度目をそらし再度見やると形は微妙に変わっていた。だが、頭部の形はおおむね鳥類の頭骨のような形状にとどまっていた。そこには奥深い空洞が四つほど空いていた。そのうちのどれかが—またはすべてが—目のような役割を担っているのだろう。ともかく、穴は四つとも俺に注がれていた。


 そして、はかなりでかかった。三メートルは優にある。頭骨部以外は黒いカーテンのようなのっぺりとした闇がのびているだけだ。見ていると吸い込まれそうになるほどの完璧な闇だった。その黒色は明確にリアルじゃなかった。


 「神なんだけど、ワタシ、キミたちの言うところの」とそれは言った。クリッピング・ノイズのような、居心地の悪い響きを持った声だった。


 「神」と俺はくりかえす。

 「ちょっと相談があって、話しかけたんだ」とそれは言う。

 「相談?」と俺はまたくりかえした。

 「うん」“神”は肯いた。

 そして言ったのだ。


 「なあ、そろそろ、人類を滅ぼしてしまおうと思うんだけど問題はないかな?」



 「それは少し困る」と俺は言った。

 「なぜ困る?」

 「娘がいるんだ。いま世界が終わったら、彼女は九年しか生きなかったことになる」

 「ふむ」と神は言った。頭骨がゆっくりと傾げられた。


 俺は湖面にちらと視線をやった。そこには俺の虚像しか映っていなかった。


 「もっとも」と俺はつづけた。「そんなこと、あんたにとっては知ったところじゃないだろうがな。というよりなぜ相談なんてするんだ? 予告もなくさっさと滅ぼしてしまえばいいのに」

 「それはもちろんだけど」

 「だけど?」

 「いちおう事前に人間側のひとと話しておきたくって」

 「それじゃ、よりにもよってなぜここに来た?」

 「たまたま降りちゃったんだ。どこでもよかった。そこにキミがいた。だから話しかけた」

 「ふむ」俺は目を細めて奴を見上げた。「お前、本当に神なのか?」


 “神”はぶるぶると黒い身体を揺らせた。すると細い枝木のようなものが左右から現れた。おそらく、腕だ。それらはばっと大きく開かれる。

 「正真正銘の神だよ」とやつは答えた。


「ワタシからもひとつ質問していい?」

 「いいよ」

 「キミ、よくビビらないね」

 俺はため息をついた。

 「よくわからない」と言った。



 “神”いわく、人類は滅ぼされる運命にある生命体らしい。


 「地球という惑星が生まれたのは人間が定住するためじゃないんだ」とやつは言った。「もともとはまったく別の生物を住まわせる予定だったんだよ。だけどそのためには惑星の環境がじゅうぶんに整ってなかった。だから、状態を落ち着かせるために君たちを生み出したんだ。キミたちもよくやるだろう。水槽に熱帯魚を放り込む前にバクテリアを発生させる。そんな感じだよ。ワタシがキミたちというバクテリアを生み出したんだ」


 バクテリアか、と俺は思った。

 「人類が生まれたのは500万年前だったと記憶してる。そこまでの時間をただ待っていたのか?」


 「500万年なんてね、こっちからしたら大したことない時間量なんだよ」とやつは言った。笑っているように見えた。「でも、確かに放置しすぎたかなとは思うね。久しぶりに見たら、キミたちはどんどん大きくなって、自堕落になって、愚かになってた。ちゃちな殺しあいだってはじめちゃう始末だ。でも環境自体は正しいものにできあがっていた。本来ここに住むはずだった生物もじゅうぶんに生息できるくらいのものに」


 「だから俺たちはお払い箱ってことか」

 「つまりはそうなる。少々乱暴な言い方になっちゃうけど」

 俺はため息をついて眉根をもんだ。なにかを言うべきだったが適切な言葉は出てきそうになかった。そのかわりに人類代表として俺が発した言葉は、かなり間の抜けたものだった。


 「人類が滅ぼされるときには宇宙人がやってくるものだと思っていた」

 “神”はしばらくその言葉を咀嚼していた。そして言った。

 「神が来るとは思わなかったかい?」

 「ああ」

 「がっかりされても困るよ」

「がっかりはしていない」

「そもそもね」やつはつづけた。「ほかの惑星の生物には干渉できないように、ワタシがあらかじめ設定してあるんだ。だから宇宙人は攻めてこないよ。これないと言ったほうが正しいかな。キミたちは火星とか月とか、他に生物のいない惑星ばかりに行こうとしてるから、そんなことは知らないと思うけど」

 「『E・T』みたいなことは起こり得ないわけか」

 「……いーてぃー?」

 「映画だよ」と俺は言った。「知らないのか?」


 “神”は「映画」という事物すら知らなかった。俺は教えてやった。


 「その、いーてぃーはどこで観れるんだ?」

 「観たいのか?」

 「観たい」


 俺は”神”にDVDを貸してやった。”神”は「また来るよ」と言い残し、『E・T』のパッケージを手にしたまま消えた。あっという間に。


 奇妙な夢のような時間だった。だが、湖畔に戻ると奴がいたはずの場所には楕円形のくぼみができていた。俺はかがみ込んで、地面に押さえつけられた雑草群を撫でてみた。どうやら、やつの存在は幻覚ではなかったらしい。


 俺は”神”と会ったのだ。そして、”神”は人類の歴史を終わらせようとしている。


 家に戻り、リカの寝顔をしばらく眺めてから、ベッドに入った。身体がだるい。



 次の日にも”神”は現れた。


 「人類にチャンスを与えることにしたよ」とやつは言った。「それを達成すれば、彼らはこの先も地球で生きられる。さすがに、なんの予告もなく人類滅亡じゃドラマがないからね」


 「どういう心変わりだ?」と俺は訊いた。昨日の夜の時点では交渉の余地などないように見えた。


 「『E・T』」とやつは答えた。「素晴らしかった」

 「はあ」俺は煙草に火をつけた。

 「感動した」

 「そうか」

 「それでチャンスを与えることにしたんだ」

 人類はスピルバーグに心から敬意を払わなければならない。

 「チャンスとは?」と俺は訊いた。


 “神”は身体を折って、(おそらく)そこに座った。背丈が一メートルばかり低くなった。


 「人類を試すんだ。このまま生息しつづける価値があるのかどうか」不気味な頭骨は言う。「世界全体に提案する500と。少なくとも、キミの娘が死ぬまでは放っておくよ。だいたい百年くらいかな。もっと生きる?」


 「生きない。それくらいで十分だ」と俺は答えた。そのあとで「500万人」とひとりごとのようにつぶやく。

 「人類誕生の歴史からの年数とかけているんだ」”神”は誇らしげに言う。

 「それはまた」

 「500万というのはニュージーランドやアイルランドの総人口とほとんど同数だ。どう、なかなかいいラインだと思わないかい? 人類が用意できるか否か」


 人類はおそらく100万人の犠牲だって用意できないだろう、と俺は思ったがそのことについては言わなかった。「期限は?」と訊いた。

 「明日の朝から五日間」

 「そうか」

 長い間があった。

 “神”は言った。


 「『E・T』の少年のような健気さを人類がまだ持ち合わせているのかどうか、見極めておきたいんだよ」

 「そうか」と俺は言った。

 「キミはどう思う?」


 俺は少し考えてみた。そして言った。

 「五日後に人類は滅亡しているだろう」

 そのとき後ろの茂みがガサガサと揺れた。なにかが近づいてくるのがわかった。「おとうさん?」とそれは言った。リカだった。

 「どうした?」と俺は声をかけた。


 生い茂った草のあいだから、まだ小さな女の姿が見えた。薄ピンクのワンピースを着ている。寝巻きにしているものなので、あちこちに皺が寄っている。

 「目がさめたら、おとうさんがいなくて、それで……」とリカは言った。「なにかおしゃべりしてたの? 電話?」

 「いや」と俺は言った。”神”のほうを見やった。

 やつは消えていた。



 テレビをつけた。すべてのチャンネルで同じ映像が放送されていた。ホワイトハウスからの中継らしかった。

 “神”が映っていた。

 やつは俺に話したとおりのことを声明として表した。

 人類は唐突に死刑宣告をくだされたわけだ。

 なんでか、俺は笑ってしまった。



 学校に行っていたリカが昼前に帰ってきた。

 「明日から学校お休みになるって」と娘は言った。

 「そうか」と俺は言った。

 彼女はおびえているようだった。俺はその小さな身体を強く抱きしめた。

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