第三幕 ネロナンブル 九話~十話
幕間
はいどうも、お疲れ様で御座います。
このような嘘話にお付き合い頂き誠に有難う御座います。
御陰様で幕も三つ目、終わりの幕となりました。
―いやあ、長いですな。
それもさり有りなんというのが明治という時代の面白さでもあるのですが。
さてこのお話、時代的には明治、と言っておりますが、その開幕譚。
つまりは明治元年から10年辺りまでの初期の頃を舞台としております。
江戸の時代から明治へとなりますと、大きな出来事では、何より鎖国の終了ですな。
それまでもロシアなどとは、部分的には交流があった日の本ですが、大っぴらに交流を。
更には外からのモノを多く取り入れ、強く豊かな国にーというより、強くなるために豊かになろうですがーそう言う国になっていこうとし始めた時代ですな。
輸入されたモノは物資や思想だけではありません。
個人や、今で言う恋愛、という概念も海外からの輸入品なのだそうです。
少しばかり小難しい話ですが、日本には今なお、世間、という概念が御座いますな。
共同体が共同体である為の共通概念とでも言いますか。
基督教圏内ですと、その教義に含まれた倫理観がその大本になりますか。
日本で言う世間というのは、少々乱暴な物言いでしょうが、この段階では、日本的仏教と日本的儒教、それに日本神道の概念のミックスです。
しかし、この『世間』という概念は、基督教圏内などでは中世辺りで無くなった、或いは弱体化していったものだそうです。
一神教と多神教の差なのでしょうかねぇ。
世間学という学問がありますので、興味のあられる方は手を出してみるのもアリかと思われます。
いや、しかし、分り難いですな。
たとえ話を一つ。
わかりやすいのは、災害時における国民の反応の差だそうです。
とある大津波の際、我が日の本の民は、混乱はあれど、暴動などはー火事場泥棒や闇金なんかはいたそうですがー起きませんでした。
これが海外ではあり得ないのだそうですね。
それは何故か。
海外では、法の下に秩序というものが成り立っているのだそうで。
だから、大災害などで、法の秩序を保つ機構が停止してしまうと、途端に治安の悪化が現れてしまうのだと。
この国でも同じだろう、と思われるでしょう。
しかし、現実に暴動が起こらず、御上の言う事を聞いて大人しくしていたと、海外からは見て取れたのでしょうね。
では何故、日本では起こらなかったのか。
理由は単一ではないのでしょう。
その内の一つが、世間、なのだそうです。
『周りの目がある。』
見つかればその集団から排除される。
この集団システムの維持をするために、リーダーである御上の言うとおりにする、と。
そういうものが働き、暴動に至らなかったのだそうで。
―まあ嘘話の中の、場つなぎの話ですので、へぇ、くらいの心持ちで聞いて頂ければ幸いです。
しかしまあ、今なお、個人という概念は海外と日本では温度差や理解度、重要度の差があるようで。
その理由が、概念自体が自然発生的に生まれたモノではなく、海外から輸入され、それをまるで着飾るようにしてしまっているからなのでしょう。
幾ら綺麗なお洋服でも、着方を間違えれば滑稽で、それでいて醜いモノで御座います。
はてさて、余談が過ぎました。
これより始まりますのが第三幕、終わりの幕で御座います。
どうか、最後までお付き合い頂けますよう、伏してお願い申し上げます。
閑話休題
9 『碧の商人と白の巫覡』
「つまりは、貴女は雇われだと?」
ぼんやりと外を眺めながら、碧の商人こと海老蔵は言葉を吐きました。
「なるほど。某らかは知りませんが、道雪よろしく謀反でも企んでいるというわけですか」
海老蔵の言葉に、カラカラと白の巫覡こと白蘭は笑い声を上げます。
「謀反も何も、日の本はバラバラ。そこに、一足遅い輩が食い込もうとしているだけよ」
ふうん、と気がなさげに海老蔵は言葉を返しました。
海老蔵が思いますに、銭の匂いは、する。
だが、目先の大金で身を滅ぼすのは面白くない。
白蘭が言うほどに乱れてはいないように、海老蔵には思えているのです。
「まあね。私も同感ではあるのよ」
見透かすように白蘭はそう言いますと、海老蔵の前にある杯に手を伸ばしました。
「京都でさ、散々見てきたのよ。陰謀に策謀。血に泥。昨日今日の恨みじゃないのよね、遠い昔は関ヶ原からの怨恨。その連鎖の結晶」
長州藩も、そして薩摩藩も。
歴史を紐解けば、関ヶ原後の苦難は想像を絶するものでした。
そしてその苦難は次の敗戦の将へと。
「…あっちの方は、大概だと聞いています」
「そうねぇ。氷川の旦那達が頑張っているとは聞いているけどさ。あの人がいなかったら、もう少し話は違ったと思うけど」
「確か、残党が函館に…」
「それも終わったわね。事、戦においては動きが速いのよ」
つまらなそうにそう言いますと、白蘭は酒を豪快に呷りました。
いやはや、このような仕草にも色気が漂う辺りは流石ですが、一方の海老蔵は顔色が優れません。
ふと、思い至ったのですね。
最大の敵、旧幕臣は押さえられ。
反抗勢力である東北も制圧下にある。
「なんとなく、貴女の雇い主が想像つきました」
それは結構、と白蘭は華の笑顔を浮かべます。
「さて、そうとなると、次はどこに行くの?」
笑顔のまま、そう問われ、海老蔵は首を傾げました。
「どこも何も…」
困惑する海老蔵を余所に、白蘭は机に、海老蔵から渡された布袋を置きました。
「報酬は頂いたわ。今度のご主人様は貴方」
ここに来てようやく、海老蔵は嵌められた事に気がつきました。
あの筆頭は従順なようで、我は通す。
自らが護衛をつけたいと思えばー。
「こういう形で来たか…」
頭を抱える海老蔵を尻目に、白蘭は空の杯にトクトクと濁り酒を注ぎます。
「まさかあいつが番頭とはねぇ。世の中変わるもんだわ」
「文武共に優れた男だったが、まさかこの手合いの同類とは」
「酷い言われようだわ」
慣れているらしく、彼女は笑うだけ。
煙に巻く新たな連れと出会い、海老蔵の旅は続きます。
彼らのお話はここまで。
今後、この2人は各地で争いを起こし巻き込まれの大活劇を演じるのですが、それは別のお話。
10 『ネロナンブル』
「まあこんなことだろうとは思っていたがね」
地下にある備蓄庫にて、直之は呆れた様子でそう言いました。
さて、唐突に現れたこの貯蔵庫といいますのは、件の戦闘後、白蘭が出現した辺りを調べて見つけたものです。
入り口からは見えませんが、説教台の辺りまで行けば地下への階段は丸見えでした。
そこを降りた直之の目の前に現れたのは武器弾薬に刀剣の類い。
あとは兵糧が少々。
「中々の…少なくとも家伝相当か…」
刀剣に見受けられた家紋を一瞥し、次はその側に並べられている小銃に眼を向けます。
「エンフィールドが八割、スナイドルが二割」
並べられた小銃の数を数えていますと、ふと、小さな木箱に眼がいきました。
その中にはー。
「おいおい、スペンサーまでかよ…」
このスペンサーといのは、スペンサー・カービンと呼ばれるレバーアクション式の連発ライフル。
この小箱の中にあったのは、それのカービンモデル、小さい方のやつですな。
前述のスナイドル銃と比べて四倍近く高価な品で、しかも、弾も輸入品のみということで国内での流通は少ない品で御座います。
その弾までごっそりと木箱には入っておりました。
「こいつは…中々の問題だな…」
呟き、スペンサーを片手に、近くの小箱に腰を下ろしました。
とてもではないが、地方の民草がため込めるレベルでは無い。
外国船との取引が無ければ不可能な量。
―それに、パイニャンこと白蘭。
直之にとって、白蘭とは混沌の象徴でした。
京都にて、次は江戸にて、次は東北にて。
あの女と顔を合わせる度、事態は悪化―なのか加速していっていました。
無論、飯の種をそこに見いだして、そう言う場所だから居たのかもしれませんがー。
「直之様」
不意に声をかけられ、思わず直之は声の方に銃口を向けました。
声は重ねるように立てかけられている刀剣類の奥から聞こえます。
いつの間にか、刀剣類の向こうに、隙間が出来ていました。
―隠し扉。
刀剣類を銀腕で薙ぎ払い、次いで扉に手をかける。
扉を開き、銃口を突きつけた先に居ましたのは、襤褸を纏った乞食風の男でした。
「お前は…爺のとこのろ…」
直之の言葉に、ニッと男は欠けた歯を見せ笑います。
「お久しぶりでごぜぇます。まさか若様がまた御復帰なさるたぁ…」
「復帰した覚えはねぇよ」
ため息交じりに銃を引き、直之は中に入るように促します。
「…いつからこの一件に関わっている?」
そうですなぁ、とうそぶきながら、男―ちなみに百面の鄕司という名ですーは貯蔵庫に入ります。
「これだけの武器弾薬ですんで、相当早期の段階で噛まれてはいたんじゃねぇですかの」
ご丁寧に隻腕のふりをしていたらしく、その拘束を解き、銃火器に鄕司は近づきます。
「計画の失敗を悟って、漁夫の利でも取りに来たのか?」
いやまさかあ、と鄕司は笑いました。
「失敗なんぞしてやおりません。此処に儂が来たんは、若様を見かけたからです」
ついっと鄕司は自分が入ってきた抜け道を指さしました。
「そこから外へ行ってくだせぇ」
「…此処はどうする?」
「復帰されてないんなら、しらねぇ方がええです」
鼻で笑い、スペンサー銃を渡そうとしますと、鄕司はそれを、手のひらを振って断りました。
「それはお持ちくだせぇ。若様には、やはりそれがお似合いですので」
ニカッと鄕司は笑います。
どうにも毒気を抜かれた直之の目が、無造作に転がる打ち刀に向きました。
「こいつも貰っていく。達者でな、鄕爺」
「あい、どうか若様もお達者で。何かありましたら何時でもお呼びくだせぇ」
深々と首を垂れる鄕司を背に、抜け穴から直之は外に向かいます。
その手にある刀の家紋は三つ葉葵。
前の世では、権力の象徴のそれでした。
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