第二幕 三者三様 五話~八話

幕間 『駒井屋(こまいや)の海老蔵(えびぞう)』


あい、どうも。お次のお相手は私で御座います。前の奴同様に相手をして下されば幸いで。


いえね、まだ次の幕は開いておりませんが、何分、次の幕が長いのなんの。

ええまあ、今回のお話で一番大変な幕なんで御座いますよ。


そんな訳で、開幕前のお話で御座います。


さて。

先ほどまでの話で出てきましたのは直之達、つまりは佐賀の衆でしたが、ここで舞台は長崎に飛びます。


まあ、地理的にはお隣ですな。


歴史的にも、佐賀よりは教科書でも見かける機会の多い地名じゃあないですかね。


出島のある、あそこです。


江戸の時分には大名のおらぬ、奉行が管轄する土地だったそうです。維新の頃は、その奉行が逃げ出したりと、大変、そうですな…賑わったところでした。


海老蔵というのは、その長崎を代表する廻船問屋の若旦那です。

不肖の、ですが。


『廻船問屋駒井』。


江戸の時代、各藩に立ち上がった商会との付き合いも深くーその頃の商会といいますと、海援隊なんか有名ですなー現政府との関係も極めて深い。


ですが、その歴史自体は浅く、現在の当主は3代目岩瀨(いわせ)忠信(ただのぶ)。

海老蔵はその実の息子です。

実子ですし、唯一の男の子でしたので大層大事に厳しく育てられたそうです。


しかし、当主である忠信は血縁に拘らない、徹底した能力主義者でもありました。


そして、当主の座を争う好敵手達は才覚にあふれる英才達。


そこには元武家の次男坊三男坊、有数の豪商の子息というのも珍しくなく、器量・腕っ節・家柄どれをとっても敵わない相手です。

加えて、誰も彼もが年少であった自分を立てようとするのだからタチが悪い。


これでは、激動の世を渡る事なぞ出来ぬと。


己が当主になるわけにはいかぬと思うのに然して時間は掛からず、それでいて皆の期待を裏切るのも忍びない。

結果として年老いた父に、諸国を回り世間を見て回り、利益になり得る商談をして回ると言う風に提案をしてみたんですね。


駒井屋は日本各地に支店を出し始めていたから、その視察や新規店舗予定地の探索を行う事を条件に漫遊を許されました。

それを聞く筆頭番頭である隆信(たかのぶ)氏は涙していたそうです。


余程の忠誠心があったのですね。


出立の際にも、

「若様がお帰りになるまで、御店の方は我らで必ず御守り致します」

と言って、深々と、そしてこの上なく美しく、気高く、目を奪われるお辞儀をしていました。


忠誠だとすれば向ける方向が間違っているだろうと海老蔵は思っていたようですが。


「しかし、一人旅は危のう御座います。出来ましたら誰かを・・・」


隆信氏が手を叩くと、ずらりと屈強そうな男達が並びました。用心棒や従業員達です。


この御店において何かしらの流派の免許皆伝の者なぞ珍しくありません。

今後は暖簾分けもあれば、独力で自立する者もいるであろう。そんな者達を連れて歩くのは気が引ける。


そう素直に告げますと、また涙を目に浮かべ、それならばどうか深堀に向かって欲しいと、海老蔵は言われました。


何でも隆信氏の馴染みの者がおり、その者が今回の政変で行き場を失っているという。


腕前も相当の者であり、その者に支援をする口実にもなるから気兼ねは要らぬと。

それに、その者は、必ず良い影響を与えてくれるだろうと。


ならば、と海老蔵は了解しました。


すると、おお、と数名から声が上がりました。


どうも幾人かは、紹介している人物を知っているようで。


その目に浮かぶ、畏敬や尊敬の目が少々気になりましたが。


「では、せめて深堀まではお送りさせて下さい。ああ、それとこれを。件の者にこれを渡せば言うことを聞くでしょうから」

馬に乗ると、包みを渡されました。


ずしりと重い。


路銀ではなさそうですが…。


「ふむ…その者の名は何という?特徴などは?」

「名は銀狐と当時は名乗っておりました。特徴としましては、そうですな、若様なら一目でこやつ、と分かられるかと」


随分と見込まれたものですな。


それはさておき。

海老蔵は深堀に向けて走り出しました。


閑話休題


5 『建前と本音と』


街道沿いにある茶店にて、ぼんやりと海老蔵は風景を眺めていました。

ああ、護衛の男は既に店に戻ってもらっています。

ここはもう深堀の領内にはもう入っているのですね。


ここに来るまで農村もいくつか通りましたが、昨今では珍しいほど長閑でした。

ところによっては情勢の―それと、その日の生活にー不安によって殺気立っているところも珍しく無いご時世だというのに。


ですがー。


茶店の陰にひっそりとした様子で有る、藁で作られた十字をチラリと海老蔵は見ました。

子供の悪戯かもしれませんが、江戸の時代ならこの手の悪戯は親が厳しく叱ったものでした。


しかしながら、場所柄、キリシタンは珍しくもないのも事実。

島原以降、キリシタンは禁制です。しかし、別に根絶されたわけでもありませんでした。


そもそも、根絶できるようなものではないのですね。


村に一人二人いたところで、わざわざ役人に言う者もいなかったそうです


それによる村に対する仕置きも、ひいては藩に対する仕置きまで考えれば、共同体の体を保つ限りにおいては黙認されていたというべきなのでしょう。

駒井屋にしてみても、長崎にいる以上、それに、異国を相手に商売をしている以上、無関心というわけには行かなかったのですね。


『法という建前に、世間という本音があるのが日の本だよ』と岩井忠信は実子である海老蔵を含め、全ての奉公人にくどいほどに説いていたました。


それの是非は兎も角、岩井の知識は深く、このキリシタンの一件に関して一緒に語っていた話がもう一つ。


島原の乱です。これに関しても一家言がありました。


彼曰く、幕府の対応は即時殲滅でもなかったという。

そもそもあれは経済闘争だったのかそれとも宗教戦争だったのか、と岩井忠信は問います。


彼が言うに、件の乱に立った者達は、一度は禁教政策に屈して信仰を棄てたものが、再び信仰を表明した『立帰りキリシタン』によるものだったそうです。


「村の者の半数がそうなれば、残りの者も同調する。それが世間というものである。」

「飢饉・災害・戦乱という災いに立ち向かう神意としてキリシタンという御旗を掲げたのである」、と。


熱心な信者もいれば、殉教という死に場を求めた者もいる。明日を生きる為に参加した者もいれば、自らの正当性を主張して参加した者もいる混成集団。

それらをまとめる役割となったのが、キリシタンの御旗であった、というのですね。


幕府軍の指揮を執った松平(まつひら)信綱(のぶつな)は、原城にて籠城している一揆勢に対して、キリシタン信仰が希薄な者や、非キリシタンの投降を呼びかけたといいます。


それは、裏を返せば、混成集団であるということを幕府は理解しており、この呼びかけによってキリシタンでない者を選別し、建前である『慈悲深い治者である幕府』の立場を護ったのである、と。


加えて、今回の一揆を、藩政の不備…ひいては藩への指導不良といった理由から生じた『民衆一揆』ではなく、『キリシタンが引き起こした騒動』であるとしたかった。

実際は、一揆『指導者』が混成集団というのを認めず、一揆勢は皆殺しの憂き目にあうのですがね。


その後に、キリシタンとは邪教であり、それ故に島原の乱があったという説が民草に流布し、諸藩には藩政の過ちによる一揆であったという認識と、それらの不満とキリシタンが結びつく危険を教えたと、岩井忠信は語っていました。

無論、これらは彼の持論であり、才気あふれる店の若人とは喧々囂々の議論を交わしていました。


そういうのが好きな御仁だったのですね。


しかしながら、それを聞く海老蔵としては、へぇ、というのが精一杯だったのですが。

正直なところ、そこまで興味が持てなかったのですね。


だが、ふと思った事が一つ。


彼らの言うキリシタンとは、基督教とは何だったのだろうと。

誰に教わったのだろう。教わったとしても、それは正しい知識だったのだろうか、と。


今でこそ宣教師も見かけるが、当時は、少なくとも今ほどは居なかったろうに、と。


ここに居る誰が異国の宗教を語れるというのだろう。少なくとも、仏教すら自分にはうまく語れないが…、と。

そう思い首を傾げていると、周りから意見を求められた。なので、そのように話すと、父は笑い、若者達は感嘆の声を漏らしました。


―解せぬ。と海老蔵は思いました。


それから然して伴天連(ばてれん)関連は議題には上がらず、上がるのはもっぱら開国だの攘夷だのの話題だったので、久しく忘れていましたが、やけにクロスを見かけるので海老蔵は思い出してしまったのですね。


ものはついでかと、海老蔵は団子を持ってきた婆さんに声をかけます。

「なあ婆様、この辺りではキリシタンが多いのかい?」

そうですかねぇ、と婆様は人の良さそうな顔で言う。

ふむ、商売人の顔だ。と海老蔵は思います。


つかず離れず、深く浅く。


一見の客も多いであろうこの手の職ならば、これは必須技能なのでしょう。

にこやかな笑顔を作り、それでいて背を伸ばし、胸を張りながら海老蔵は口を開きます。

「ま、ま、ま。そう警戒しなさんな。私は長崎の駒井屋の者でね。駒井屋はご存じかな?そう、廻船問屋の。それで、この時勢だろう?高札がなくなったからさ、キリシタン関係の物を仕入れるかどうか旦那様がお悩みでね。聞けば、この辺りでは熱心な人が多いそうじゃないか」

違うかな、と問うと、婆様はやはり朗らかにそうでございますねぇ、と答えました。


ちなみにですが、高札が下げられたとしても、別に時の政府が基督教を容認したわけでは御座いません。

加えて申しますと、史実である高札の撤去とは時間のズレが御座いますが、嘘話ですのでご容赦を。


「そういうわけでここに来たわけでね。いや、此処に寄ったのは偶々なんだ。驚いたが、この店も裏に十字を掲げているようじゃないか。だからそんなに信心深いのかと、一つ尋ねてみたくなったものでね」

ああ、と小さく婆様は零すように言葉を吐きました。


一瞬、バツが悪そうな顔をしたのを海老蔵は見逃しません。


しかし、直ぐに朗らかな笑顔で婆様は顔を覆いました。

「いえね、私なんぞは歳ですので。そんな今更新しい神様を持ってこられてもねぇと思っているんですけど・・・あちらの神様を否定するのも悪いじゃないですか」

「そうだね。悪いことをしていないなら、その人の勝手だね」

いやそれが、と婆様は言葉を濁しました。


それを見て、ええそうだね、と相槌を打つと、海老蔵は口を開きます。


「昔ならよっぽどな目に遭うだろうけど、今はまあ、ねぇ。しかし、あんまり良い思いをしない人も多いだろうさ。うちの旦那様は道具を扱うつもりかもしれないけど、私自身は、それはどうかと思っているんだ。今造られている最中なのだけど、長崎では大きな…なんと言ったかな、確か教会というのかな、そういうのが造られているんだ。もう、信者の方はそちらに出向いて頂いて、普通の人たちとは分けた方が良いような…」

そこまで言うと、ああいや、と首を振り、海老蔵は婆様を見上げました。


お盆を持ったまま、婆様は海老蔵を見ていました。


「大きな変化、幾ら時代が変わった、開国だと言われても、分からないじゃないか。島原の事もある、邪というのは言い過ぎなのかもしれないけど・・・」

そうですねぇ・・・、と呟きますと、婆様は隣の長椅子に腰を下ろしました。


二人で街道を眺めているような様子です。


「時代というのは・・・変わるんですねぇ」


しみじみとそう呟く老婆を横目に、海老蔵はぬるくなった茶を一口のみ、団子に手を伸ばしました。

恐らくは長丁場になるだろうなと思いながら。

・・・・・・・・・・・・・

さて、少しばかり此処からは駆け足で参りましょう。

先ほどの婆様が言うには、特段この辺りは信心深いわけではなかったそうで。

精々が伊勢参りに行きたがる者がいた程度。


いやこれも距離を考えますと大層なものだと私なんぞは思うのですが。


話題のキリシタンがですが、明確に台頭してきたのはわからないそうで。思えば、世間が変わり、キリシタンだと公然と言える人間が段々と増え、気がつけば村の多くの者が集い、今では周囲の集落からも集まってきているほどだそうです。


何でも、今では宣教師までいるとのこと。


あの婆様の店にひっそりとあった藁十字架は、この先にその集落があるよ、という目印だったのだとか。

だから、初めに海老蔵が藁十字に関して訪ねた際は、またかと思ったようです。

うんざりするほど体験したのでしょうね。


―しかし、宣教師…?


暮れ始めた空を見上げ、海老蔵は首を傾げました。


わざわざこんなところに来る宣教師がいるのだろうか。


宣教師が異国の手先とは思いませんが、国から見れば厄介には違いないでしょう。万が一、現地人に危害を加えられでもすれば国際問題。


今の疲弊した日の本には致命傷にもなり得るだろうし、異国側からしてみても、宣教師というのはそんな、工作に全ブリしていい存在でもないでしょう。

考えるに、面倒ごと。

面倒には首を突っ込むべきではない。


―だが…。


ちらりと馬上から視線を道沿いに向けると、等間隔であの藁十字が置いてある。


―興味はそそられる…。


万が一にも儲け話にはならんだろう、と海老蔵は思いました。

悪ければ厄介な目に遭うだろう、とも。


良くても、官憲沙汰になるのは間違いないし、巻き込まれたという言訳は出来ないだろう。

目の前に鳥居のような物が見え、海老蔵は失笑を零しました。


木造のそれは、恐らくは現世と神域を分けるような意味合いなのでしょう。


好奇心は猫を殺すといいますが、その気持ちはよく分かるぞと心中で呟きながら海老蔵は馬を進めていました。



6―1 『獣の如く。神の如く』


さて、浦上崩れというのをご存じでありましょうか。


18世紀末から19世紀中期までに幕府領である浦上村で起こった、潜伏キリシタンの存在が問題化する事件です。


浦上村というのは、今で言う長崎県長崎市辺りですね。


そこで断続的に起こった事件で、それぞれ1番から4番までありまして、それが何番崩れ、と呼ばれています。

この事件自体も、歴史的にみれば大変興味深いのですが、これをお話していますと幾ら時間があっても足りません。


ですので、端的に。


この崩れですが、一番から三番までは、訴えられた者達が、異宗かどうかが争点でした。


しかし、四番だけは違う。


四番では、異宗である、或いはキリシタンであると表明していたのです。

少々ややこしいですが、大事なことですので補足致します。


一番から三番では信徒は異宗の存在さえ認めないか、またはそれを認めても、切支丹とは別の別宗とするかの差はあれど、あくまでも宗教活動を秘匿して維持しようとしていましたが。


ですが、四番のみは、公然とキリシタン信仰を表明し、彼らは宗教活動を秘匿しないで維持しようとしていました。


時代的に、激動の幕末期であったからの変化とも言えますが。


この辺り、西暦を言い出すと混乱しますよねぇ。私もです。ですので、一番から三番までを江戸時代。四番を幕末から明治初期くらいの感覚で思って下されば結構かと。


キリシタンへの弾圧というのは、幕府・政府ともに頭の痛い問題でして、何せ、江戸時代の初めの頃なら兎も角、実質的に内政干渉を他国から受けていた幕末の頃では、他国からクレームが来てしまう。


だが、放っておけるものでもない。


日本の歴史を見渡して見ますと、なるようになるさというような、異様に楽観的な見通しを政府が立てるケースが散見されるのですが、このケースでもそんな感じでした。


気になる方は個別で調べて頂くとして、後の流れとしましては、日本は皇道、つまりは日本神道を国教としていきます。


この辺も調べていきますと面白いのですが、その反面、その、下手に小突けないジャンルでもありまして。


故にこの辺りで切り上げまして、海老蔵に話を戻します。


大きな門を潜った海老蔵ですが、然して歓迎もありませんでした。

新顔に慣れているのか、こちらに視線を寄越す者も少ない。とりあえず馬を繋ぎ、町中をぶらぶらとしてみました。


山の中の村にしては、中々どうして。


旅籠もあれば飯屋もある。

大門から真っ直ぐに伸びた道の向こうには、それなりに大きな寺もある。

教会のつもりなのか、天辺に十字架が見えますが、無理矢理に突き立てたような様子です。

老若男女居るようですが…目につくのは二本差しですな。

往来…というには手狭ですが、大手を振ってサムライが歩いているのを見るのは、大分久しぶりだな、と海老蔵は苦笑交じりに思いました。


それなりに良いのをぶら下げてるな、と擦れ違うサムライの拵えを盗み見しつつ、ふらりと飯屋に足を向けました。


この集落で唯一の食事処は大層繁盛しております。中も大層広い。

よく見れば、教会に化けた寺にも繋がっている模様で。

店内の喧噪を掻き分け、運良く空いていた窓際の席に腰を下ろしました。

酒も食い物も中々質がいい。

見渡す限り、此処にいるのは普通の人々にしか見えない。


特段信仰に篤い様子は無いが、食肉の文化は根付いているよう。

少々辟易している方々もいるようですがー。


作り笑いを浮かべている隣席から、外に眼を向けますと、ふと教会の入り口に立つ女に眼が止まりました。


「へえ…」


思わず声が漏れる程の、美女でした。


大陸系の格好をした、色の白い女。

艶やかな黒髪もさることながら、何よりも立ち姿が美しい。


俊敏な獣のような緊張感を漂わせ、神性の如き雰囲気を醸し出している。


絵にも描けない美しさ、というより、絵には描けない美しさ。

「こいつは、とんでもないな…」

ここに来て初めて非現実に遭遇したと、海老蔵は思っていました。



6―2 『焔の村』


時は、海老蔵が集落を訪れる数刻前に遡ります。

直之(なおゆき)は集落を見下ろす小高い丘にいました。


この丘は、深堀一派があの集落、キリシタン村を監視するために用いていた場所でして、孫六(まごろく)朗(ろう)のところの中間の案内で直之は此処を訪れました。

見える範囲の説明を受けつつ直之は口を開きます。


「なるほど、中々の規模だな」


見たところ周辺の村民ばかりのようだが、ちらほらと刀をぶら下げている輩が見える。

先込め式を持っているのもいるが、数は少ないらしい。

城とまではいかないが、砦程度の規模の軍勢はありそうです。


「この集落はいつ頃からできはじめた?」


直之の問いに、中間は首を傾げました。

「いやまあ、不思議なモンなんですが、気がついたらできとりましてね。何分、最近バタバタしていたもんで」

「気がついたら出来ていた、か。随分と出来過ぎた話だ」

此処で会話を打ち切り、直之は丘を下り始めます。まだ日が高い時分ですので、人目をはばかりながらです。


とは言いましても、銀の小手に黒の小太刀を腰に差しているので目立つのですが。


一応は懐に左手を入れ、出来るだけ目立たないようにはしていますが、群衆の中に入れば注目の的です。

この直之、腕は立つのですが、人の眼に鈍感なところが玉に瑕。


一通り集落内を見回ると、教会に直之は向かいました。


直之にしてみれば、何ともチグハグな建物です。なにせこの男、この時代では珍しく、一応は知識としての基督教を知っているのですな。無論、情報源は件の爺様です。

そんな男からしてみれば、十字架を掲げてはいますが、その十字架も舶来品ではな

く、粗末な造りの品。


外装の殆ども寺のまま。


山の中にあった寺を拠点として作り替え、そのおまけに十字架を掲げているようにしか見えませんでした。


鼻でそんな姿を笑い、歩を進める。

賽銭箱跡の日焼けを跨ぎ、戸を開くと驚き。

寺とは似ても似つかない、教会もどきがそこには広がっていました。


―まさか…。


目の前に司教座らしきものが見え、直之は眉間に皺を寄せました。

木製の椅子が並び、上部には光を取り込む硝子がある。

昔は神仏の座であったであろう場には、説教台があり…。


そこからこちらを見ている女がいました。


透き通るような白い肌に艶やかな黒髪。

神性の如き雰囲気を醸し出す立ち姿と、目前に猛獣が現れたような緊張感。


天女のような華の顔にある二つの黒穴。

全ての光を吸い込むような真っ黒な瞳が直之を見据えていました。


「バイマオ、てめぇ」


なにしてやがる、と言葉を続ける前に、女の方が口を開きました。


「私は白蘭ビャクラン。アンタが江藤直之であるようにね」


女の声に呼応するように、女の背後からわらわらと男達が現れます。


刀に槍、中には鎧武者の姿まで。


こういう鉄火場こそが直之の真骨頂。

怯みも怯えもしやしません。

沸いたように出てくる連中を睨み、直之は小太刀を抜きました。

いざ戦闘開始というその刹那。


「全く、よもやよもや、だわね」


意識が男達に向いている間隙を突き、そう女―白蘭は直之に囁きました。

そのまま舞うように場を去る女に一瞥もくれず、直之は銀腕を振るいます。



7―1 『兵(ひょう)道家(どうか) 白(びゃく)蘭(らん)』


バイマオこと白蘭。


年齢不詳、噂では薩摩の出らしいですが、明確な出自は不明です。


血風の舞う京都にて、長州藩の客分として直之がいたころ、白蘭―当時は白(パイ)猫(マオ)と名乗っていましたがーが薩摩の面々と一緒にいたのを見たのが初めてでした。


あの頃は遊女の真似事をしていました。


その後も御維新までは、直之とは度々顔を合わせていましたが、戊辰の終わった辺りで道を分かった筈でした。


それがまさか。


教会もどきを出て、思わず白蘭は苦笑を零しました。

―昔から厭世家を気取ってはいたけど、まさかまさか。


激しい戦闘音を扉越しに聞きながら、さりとて、と白蘭は首を傾げます。


―面倒ごとに巻き込まれるタチではあるけど、偶然なんて事はないわよねぇ。雇われだとして…あんなのを今頃子飼にするかしら。


ああ、と白蘭は言葉を零しました。

そういえば良いのを腰に持っていたな、と。


中々の業物。

そういえば刀剣類を好んでいたな、と。

佐賀にも、多少なりとも縁もあったな、と。


ーそうならば…。


白蘭の物思いが終わった頃、扉の向こうでも戦闘は終結したようで。

すぐさま扉を開ける者が居ないと言うことは、直之の方に軍配は上がったのでしょう。

さてどうしたものか、と顔を振ったとき、ふとこちらに向いている視線に気がつきました。


視線の元の顔を見て、ニタリ。


傾国の美女と謳われる女は、不気味な笑みを浮かべ、その視線の元へと向かいました。



7―2 『絶対強者』


時は遡り、白蘭が扉をーまあ、実際はベースが寺ですので引き戸なのですがー閉じた頃に遡ります。


槍持ちが二人、刀持ちが四人。

内、槍の二人は鎧武者。

どれも中々心得がある様子。


それはそれとして。


直之の目はそれぞれの獲物に釘付けになっていました。


―あの十文字槍…それにあの刀の拵えに波紋…。


「たまらんな」

ぽつりと直之は言葉を零しました。

命のやり取りの場であろうと、そう言うことを思ってしまう病なんです。

相手から見れば勿論隙だらけ。


その隙を見逃さず、鎧武者による槍の一閃。


鋭い一突きでしたが、難なく直之はそれを小手で受け流しました。

そこまでは鎧武者の予想の範囲内。


槍の本領は攻撃の多彩さ。


突いてよし薙いでよし叩き付けてよし。


刀相手では長すぎる間合いからの多種多様な攻撃。

突きを交わされてからこそが真骨頂ともいえます。

すかさずなぎ払いに攻撃をつなげようとする時に見えた直之の足捌きから、こちらの懐に飛び込もうとするのを察し、鎧武者は槍を翻します。


そして、必殺の石突きによる一撃。


槍の穂先の反対側ですね。

翻した遠心力を乗せた一撃を見舞おうとした鎧武者の眼に、接近する直之の小手に隠されたモノが見えました。


「ああ、すまん。俺は武芸者ではないんだ」


その声が鎧武者に聞こえる前に、銃声が鳴り響きました。

放たれた弾丸は頬当てを砕き、鎧武者の頭を貫き、兜で跳弾した弾はズタズタにー。


―このくらいにしておきましょう。


紫煙ののぼる回転式拳銃を片手に、直之は残りの面々を睥睨します。


回転式拳銃自体はそこまで珍しいモノでは有りませんが、やはり意表を突かれた様子。


諸君、と直之は口を開きます。


「獲物を全て置いて引けば命までは取らん。さあどうする?」

呆気にとられていたのは一瞬。

すぐさま状況を把握し、鎧武者が突進してきました。

その背後からは二手に刀持ちが弾かれるように飛び出し、一息に直之を囲む算段。


まずはイノシシよろしく突撃してくる槍を受け流し、裏拳を顔面に一撃。

無論、小手での一撃です。


頬当てが砕ける。次いで、鎧武者の顔面の間近で直之は引き金を引きました。


放たれた弾丸は、サイドからこちらに飛び込んできた刀持ちの胸を穿ちます。


裏拳を食らった鎧武者に至っては、耳をつんざく轟音に加え、目前で炸裂したシリンダーから漏れる閃光にやられ、足がふらつく。


それを力尽くで、鎧武者が堅く握る槍を右手に握り、こう、小手のある左手を鎧武者の喉に押しつけるようにしてですな、柔のようにグンと、独楽のようにぐるりと振り回します。


背後から斬りかかろうとしていた男は堪ったものではありません。


いざ斬ろうとした直之の背中が、鎧武者に入れ替わったようなものですので。

大上段から振り下ろす刹那だった為、もろに鎧武者が真横からぶつかりぶっ飛びました。


一方の直之は、鎧武者を振り回す遠心力で自らも周りながら、二度引き金を引く。


胸に一撃、頭に一撃。


残りの刀持ちは為す術なく地に伏しました。

吹き飛ばされていた刀持ちは不運にも、鎧武者の持っていた槍が腹部に突き立っております。その鎧武者に至っては、振り回された際に首の骨が折れてしまったようでした。


もしかした刀持ちもろとも放り投げられた際に折ったのかも知れませんが。


そのざまを見て、思わず直之は片手で顔を覆い、嘆息を一つ。


その眼が向いた先には、無理に横からの力が加わったのでしょう。

折れた刀が鎧武者の遺体の下敷きになっていました。




8 『炎の轍』


絶世の美女に眼を、心を奪われていた男。

しかし、唐突に鳴り響いた銃声が、海老蔵の魂を引き戻しました。


はっとして見渡すと、店内は色めき立っていました。


剣呑な雰囲気の武士崩れに、慌てる給仕。

逃げ出す者も少なくなく、既に出入り口は黒山の人だかり。

そのために臨戦態勢の輩は外に出れないようです。


しかし、海老蔵にしてみても動き損ねたには違いなく、仕方なくツマミを一口食べ、酒をなめます。

いつの間に運ばれてきたのか、料理は冷め切っていました。


―はてさて。どうしたものか。


海老蔵と言う男、腕っ節はさっぱりです。


ですから、こういう状況に巻き込まれるのは好みません。

普段はこの臆病な性分から研ぎ澄まされた感覚で、事態に遭遇しないようにしているのですが、今回は少々首を突っ込みすぎたようで。


―しかし、まさかここまで丁度のタイミングで遭遇するとはなぁ。


きな臭い雰囲気はあったがなあとしみじみ思いながら酒をなめていると、出入り口の方に異変を感じました。

先ほどまでは会話すら出来ない有様だったのが、今は静まりかえっている。

それどころかー。


―まるで噂に聞く予言者だな。


海老蔵の冷めた目の向こうでは、人垣が割れ、厳かな足取りで女が店内に入ってきていました。

周りに振りまくそれは、優しげな表情で、それでいて者を映さぬような瞳で。

店の中央に向かう足取りはお淑やかで、それでいて圧倒的で。


ーおっかねぇなぁ…。


内心でそう呟いた筈ですが、流麗な流し目が海老蔵を捉え、思わず海老蔵は息をのみました。


「さて、みなさん?」

海老蔵から視線を切り、周囲に視線を巻きながら女―白蘭は言葉を続けます。


「そんなに慌ててどうされました?」


白蘭の視線が、一人の給仕に注がれました。

まだ年の頃は12,4くらいの若い娘です。

可哀想に周囲の視線も注がれ、ビクつきながら娘は口を開きました。

「先ほど…鉄砲の音がして…それで…その…」

優しげに頷き、白蘭は娘に肩に手を乗せました。


「そう。ごめんなさいね。貴女はウチの子ではないわ。神様は若い子の命が散るのはお許しにならないの…」


なぜか泣き出しそうな娘から周囲に視線を白蘭は戻しました。


「みなさん。神の子羊たるみなさま。我らに迫害の危機が訪れました。兼ねての予言の通りです」


白蘭の発言に、大きなどよめきと、少しの歓声が上がりました。


「我らは休息の地を離れ、約束の地を取り戻し、護る戦いに行かねばなりません。みなさん、やるべきことはわかりますね?」


はい、と口々に賛同の声が上がりました。


それを眺めながら海老蔵はといいますと、静かに酒を舐めながら行く末をみております。

演劇を見ている気分ですな。


「では、これにてお別れです。みなさまの旅路に幸多からん事をお祈りいたします」


「代弁者様はご一緒に参られませんか?」

ずっと、形(なり)が1番立派そうな武士崩れが前に出てきました。背後には手下なのか、五名ばかりの二本差しがおります。


「私は、当地に出現したデーモンと相対するつもりです。既に私の従者が足止めを行っておりますので…」


おお…と感嘆するような声が漏れた。

「では先ほどの銃声も…なるほど。委細承知した。我らは皆を連れ、御予言通りに行動いたそう。そうとなれば、急がねばなるまい」

背後に控える面々に合図をでも送ったのか、機敏に動き出し、集落の住人を纏め始めた。


―ふうん。ありゃまるで西洋の軍隊だな。


酒をやりながら、格子の向こうの景色を眺めていると、二本差しの一人が海老蔵に気がつきます。

「貴様は…新顔だな。貴様も…」

ああいいえ、と困惑顔を造りながら海老蔵は口を開きます。


「私は皆様のように崇高な志などもたぬ凡夫。旅の商人で御座います。道に迷って居たところを此処の方にお助けいただきまして…」


さらっさらと、流れるように海老蔵は言います。無論、その顔には当惑しておりますという表情を貼り付けております。


「うむ、そうか。我らは早々に此処を起たねばならぬ。この集落には貴様のような…俗人は他におるが、幸い集合地点はその飯屋だ。貴様もそこで我らが起つのを待ち、その後に此処を去るが良い!」

早口でそう捲し立てると、二本差しは足早に去っていきました。

確かに言われてみれば10人ばかり店内に残っているようで。


―さてどうしたものか。


視線の先では、百か二百かの人員が整列しています。手に銃やら刀やらを持っています。どうみても臨戦態勢。

向かう先は佐賀か薩摩か。


―手入れ…だとしても、鎮台が嗅ぎつけるには早すぎるだろうに。


だとするなら、とぼんやりと考えていますと、ふと対面に誰かが腰を下ろしました。

そちらにチラリと視線をやり、海老蔵は苦笑いを浮かべました。


「貴女…駒井屋って知ってます…?」


ええ、と傾国の美女・白蘭は頷きました。

ああなるほど、と思い、天を仰ぎますと、海老蔵は懐から、出かけに預かった手荷物を取り出しました。


ずしりと重い、あれです。


嬉しそうに白蘭はそれを受け取り、海老蔵に微笑みかけます。


「初めまして。これからよろしくね」


この言葉に、海老蔵は絶句してしまいました。

碧の商人と白の巫覡の邂逅で御座います。

二幕はここまで。

お次の三幕でお仕舞いで御座います。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る