脇役未満

南那奈

ヒロインな彼女に、

 ヒロインが主人公と結ばれる、それが少女漫画のお決まりだ。俺のヒロインは紛れもなく彼女で、俺は彼女の──


「しらきーー!」

 教室に入った俺を見るなり、朝からテンションマックスの声で、俺の名前を呼んだ宮本杏は、俺が早く学校に来ることを待ち望んでいたようだった。

「朝からうるさい。宮本の声はもうすぐ高校卒業する女子の声とは到底思えないな……後、俺の繊細な耳のためにも、もう少しおしとやかな声を出してくれるとありがたいんだけど」

「そんなことより聞いてよ!」と俺の本望など気にも留めず、彼女は言葉を続けた。

「今日も『ハンサムくん』朝からお顔がかっこよかったの! 朝なんて大体の人が顔のむくみで悩まされているのに、なんであんなにも朝からきれいな顔を保てるの! ほんと目の保養だわー」

 そう言いながら、きゃー、と軽く叫び、足をバタつかせている彼女は、毎日本当に幸せそうな顔でハンサムくんについて報告してくれる。

 『ハンサムくん』

 彼は彼女が乗る電車に現れる、目鼻立ちのくっきりとしたイケメン男子高生で、毎朝必ず彼女の目の前の席に座るそうだ。彼女は彼を毎日拝みたいがために、彼と同じ電車に乗れるように奮闘している。

 彼女とは三年間同じクラスで、お互いにムードメーカー的な存在だったこともあり、入学当初から仲が良かったが、ハンサムくんを通してさらに話すようになったのだ。

 彼女は、もともと一年生から二年生の夏休み明けまで、遅刻ギリギリに登校するような人だった。しかし文化祭の実行委員になった彼女が文化祭当日、早く乗った電車で、ハンサムくんに出会ったらしい。それ以降、これまで教室に一番乗りだった俺を彼女はいとも簡単に抜かしていったのだ。

 おかげで、朝の広々とした空間で読む俺の少年漫画タイムは、いつの間にか彼女との談笑に変わっていった。

 友達の多い彼女だが不思議なことに、彼女はハンサムくんの存在を、家族は疎か仲のいい友達にさえも伝えていないのだという。意外すぎる彼女の言動に当時は違和感を抱いたものだ。

 以前、それとなく理由を聞いたところ「好きなアイドルをみんなに知られたくない、面倒臭いタイプのファンなんだよ、私」なんて訳の分からないことを言っていた。

 俺にだけハンサムくんの存在を教えてくれた理由として、彼女は「白木は恋愛に疎いから?」となぜか疑問形で答えた──俺の気持ちなど知らず。

 俺が彼女を意識し始めたのは、二年生の終わり頃。飽きもせず毎朝ハンサムくんを褒めちぎる彼女に、「すげぇ惚れてんじゃん」と笑い交じりにいじってやったつもりだった。

「まぁね」

 何のためらいもなく断言しているのに、緩んだ頬や少し照れた笑みを含んだ表情は──俺の知らない宮本だった。

その笑顔は俺と話すものとは違い、“ハンサムくん専用”と呼ぶのがふさわしかった。

 いつだって宮本の笑顔を引き出せるのは俺なのだと、勝手に思い込んでいた分、誰かを想う宮本のそれは、皮肉にも俺の心を簡単に持っていってしまったのだ。

 恋愛に疎い俺でも、あの表情はアイドルが好きなファンのする顔ではないということに、一瞬で気づくことができた。

「白木さ」

 俺の高まる鼓動に気づかない宮本は、俺と目を見つめた。

「恋しなよ。何のために私の少女漫画貸したと思ってるの」

 これまで少年漫画ばかり読んでいた俺に『乙女心を学んで損はなし』と言って、彼女は俺に少女漫画を勧めてくれていた。だけど──

「借りておいて悪いけど、俺は少女漫画の良さが一ミクロンも分からないんだよ。大体、少女漫画なんてもんはさ、パターンがいっつも変わらないじゃん。ヒロインを取り合うために主人公の男と脇役の男が戦うんだろ? で、結局最後には、ヒロインは主人公と結ばれてハッピーエンド……これの何が面白いんだよ」

 俺は嘲笑気味に言った。

「主人公と結ばれるまでの過程が良いんじゃん。ほら、友達だと思ってた脇役の子が“俺にしとけよ”とか言うのも最高じゃない? そんなこと言われたら、私なら絶対意識しちゃうもん……まぁ、最後はやっぱり主人公と結ばれてほしいんだけどな、これが」

「なんだそれ」

「白木はさ、いつまで経っても頭の堅いことしか考えられないから、永遠に彼女できないんだよ」

 やれやれと言いたげな宮本に「余計なお世話だよ」と反論し、両手の親指を両頬につけ、すべての手指をひらひらとさせて舌を出してやった。

「むかつくー!」

 俺の心底憎らしい顔は、毎度宮本に膝を軽く蹴られて、締めくくられる。これが俺たちの朝のルーティーンで、俺は毎日のこの時間が何よりも楽しくて仕方なかった。

 クラスメイトが続々と入ってくると、ハンサムくんの話は自然と終了する。これはハンサムくんの存在を知られたくない宮本の思いを尊重してできた、暗黙のルールだ。

 宮本のことは友達としては好きだけど、決して恋愛的な意味ではない……だからさっき宮本に心を支配されたのは、何かの誤作動だ。そう思い込みたかったが、春の訪れとともに、この気持ちがいたって正常だと気づいた頃には、この気持ちを言葉に出すことは、もう不可能だった。

 それならば、俺ができることはいつもと変わらずに接し続けることだ。

『彼ね、毎朝寝癖が付いたまま電車に乗ってるんだよ。いつも学校で直してるのかな?』

『制服着崩してる姿、最っ高!』

『彼、席から立つときに吊り革に頭をぶつけること多いんだよね』

 毎日彼の話を聞かされることに、嫌気がさすこともあったが、だからといって、この関係性が壊れることを恐れた俺は、何も行動を起こせないまま、ただ時間だけが流れ去ってしまった。

 

 卒業式前日、いつものようにハンサムくんの日常を聞かされた俺は、彼女との時間が終わりを迎えようとしている状況に、少しの寂しさを覚えた。

「寂しいな」

片肘をつきながら呟いた彼女の言葉に、大きく心臓が動かされた。

「ハンサムくんとの時間も、明日が最後か」 

 とぼけた声とは裏腹に、彼女の表情は明日が来なければいいという感情で溢れていた。

一瞬でも、俺と同じことを思ってくれていたのかと、期待した自分が馬鹿だ。

「……告白してみたら?」

 俺の言葉に彼女の両肩が反応した。

 自分で放った言葉が、さらに自身の首を絞めることは想定できていたはずなのに、それでも言ってしまったのは、早く楽になりたかったからなのかもしれない。

「しないよ」

「なんで? 言ってみないと始まらないこともあるかもしれないだろ」

 自分でも信じられないほど、思ってもない言葉が次から次へと湧き上がってくる。

「ハンサムくんは、見てるだけでいい存在なの。だから、告白とか、そういうことはしない」

 彼女は極度の強がりだ。

 いつだって大事なことを、ハンサムくんのことを唯一知っている俺にさえ、言おうとはしないのだから。

「宮本はそれで、後悔しない?」

「しないよ」

「ハンサムくんのこと、好きなんだろ」

「それは、顔ファンとしてだけだって、何回も言ってきたでしょ」

「”顔“だけじゃないのは、宮本が一番わかってるんじゃないの」

「……」

 黙り込んだ彼女を見て、これ以上ハンサムくんの話をすることはやめた。

 ようやく自傷行為が終わったはずなのに、すっきりとしないのは、彼女は俺とよく似ているからなのかもしれない。本当の気持ちを誰にも言えず、認めることを許さない。

 俺が彼女を好きだと自覚した時、彼女はすでにハンサムくんのことが好きだった。だから俺が好きになった彼女は、『ハンサムくんを想う宮本』なのだと考えると、早くこの気持ちはなくなった方が賢明な選択に違いなかった。

 彼女に漬け込む隙なんて初めから無いのに、俺の心は未だに彼女に囚われたまま。“恋に疎い俺”だからこそ彼女は秘密を打ち明けてくれたのだ。本当に彼女の幸せを願うなら、そこに俺の気持ちは不必要だ──。


 翌日、目を覚ますといつも通りの朝が始まっていた。けれど、いつもと違うのはは、“卒業式”というイベントがあることだけ。

 彼女と過ごす最後ではあったが、特別感が増したからといって、イベントごとに身を任せて告白するつもりはない。

 制服に腕を通すことも、家を出る時間帯も、徒歩二十分で着く学校も最後だけれど、いたって普通の日だ。

 学校まで残り数メートルに差しかかった頃、電車方面の曲がり角から、肩まで伸びた髪が緩く巻かれている黒髪の彼女を見つけた。

 いつも俺より早く登校していた彼女でも、今日は俺と同じタイミングだった。彼女の割には遅いと思ったが、今日はイベントがあるのだから、彼女の行動は普通だろう──まぁ、遅いと言ってもまだ八時にもなっていないのだけれど。

 俺の存在に彼女が気づいていない今、後ろから驚かしたら、リアクションのいい彼女はきっと大声を出して驚いてくれるに違いない。

 忍び足で彼女に近づいた俺は、彼女に聞こえない程度に大きく息を吸った──

「よっ!」

 俺の少し大きめの声は、案の定、彼女を驚かせることに成功した──が振り返った彼女の表情は明らかに元気がなかった。

 俺はやり過ぎたと、直感的に思い「悪い」とすぐに謝ったが、彼女は笑顔を作った。

「もう、びっくりしたー」

 俺の行動を笑って許してくれているのに、彼女の笑顔はいつもと違う。

「宮本、なんかあった?」

「……ハンサムくんさ、彼女いたみたいなんだよねー。なんかもう、好きなアイドルの熱愛知った気分」

 笑顔を絶やさぬままそう言った彼女に、かける言葉が見つからなかった。

 笑顔を作る彼女はさらに言葉を続ける。

「いつも通り、彼の顔をこっそり見て、満足するつもりだったの。だけどね、最後だと思ったら、彼が降りる駅で気づいたら私も降りてた。ハンサムくん、歩くスピード意外と早いから、追いかけるの必死だったんだよー」

 崩れることのない笑顔は、俺をも苦しめる。

「追いついた頃には、彼もう改札を出て、可愛い女の子に『リュウト』って呼ばれて笑顔で手を繋いで行っちゃった──あの二人お似合いだったなー」

 俺に心配をかけまいと、無理を続ける彼女を抱きしめたかった。そして一刻も早くその笑顔を剝がしてあげたかった。

そんな俺を他所に、今も偽りを貼り付けた彼女は「まぁ、実際ハンサムくんは目の保養だったし、私も本気で好きだったわけじゃないもん。それにさっき告白できたとは限らないし」

 彼女の言葉を聞いて、込み上げる感情を抑え込むことができなくなっていた。

「……なんで認めないんだよ。本当はちゃんと好きだったんだろ」

 俺の言葉が、彼女にも届いていたのが分かった。無理に上げていた口角が下がったことが、何よりも証拠だ。

「遅刻気味だった宮本が、早く来るようになったのは? 毎日嬉しそうに俺に報告してくれてたのは? 今日ハンサムくんの降りる駅で降りたのは、なんでだよ」

 おふざけなしの俺の態度に、驚いているのは彼女だけではない。自分でも、こんなに気持ちが、言葉が溢れて止まらないのは生まれて初めてだ。

「宮本が本当に自分の気持ちに気づいてないのなら、俺が教えてやる……。宮本は、ハンサムくんのことが、本気で好きだったんだよ」

 彼女はついに俯いたまま顔をあげなくなってしまった。表情は見えないはずなのに、彼女の感情が手に取るようにわかる。

 そして震える声で彼女はポツリと話し始めた。

「……白木の言うとおり、本当に好きだったよ。でも冗談っぽく言わないと、一目惚れなんて、笑い話にもならないでしょ」

 彼女は自嘲的な笑みを浮かべた。

「昔ね、仲のいい友達に好きな人がいることを打ち明けたら、不釣り合いだって笑われたことがあったの……だから今回はいくら仲が良くてもあえて友達にも言わなかった」

 彼女の本心を聞くのは、一年以上続いたこの関係の中でも、初めてのことだ。

「だけどね」と彼女は言葉を続けた。

「白木はいたずら好きだし、しょうもないことばっかりするけど、人を笑いものにする人じゃないから信用できた」

「だから白木にだけは彼のこと話したんだよ」そう言って顔をあげた彼女の瞳は、少し充血している。

 俺が彼女に特別な気持ちなんて抱かなければ、どんなにこの言葉が嬉しかっただろう。もしかしたら、もっと上手に彼女のことを慰められたかもしれない。

 それに、俺が彼女に何かを言える資格なんて本当はないんだ。ハンサムくんに告白できずとも、一歩を踏み出した彼女と、立ち止まったままの俺とでは雲泥の差がある。

「あーあ、好きだったなー」

 彼女は白い空を見上げながら呟いた。

『友達だと思ってた脇役の子が“俺にしとけよ”とか言うのも最高じゃない? そんなこと言われたら、私なら絶対意識しちゃうもん』

 いつか言っていた彼女の言葉を思い出した。

「宮本」

 “俺にしとけよ”

「……よく頑張ったな」

「もう、式前にそういうのやめてよね」

 そう言って、再び俺と目を合わせないように下を向いてしまった。

「……彼の寝癖付きの髪が好きだった」

「うん」

「吊り革に頭をぶつけるところも」

「うん」

「『リュウト』って、名前までかっこよすぎでしょ」

「そうだな」

「どの彼も好きだったけどね、彼女さんに名前を呼ばれて、笑顔で彼女さんのところに向かう今日の彼が──今まで見た中で一番素敵だと思っちゃった」

 言葉を詰まらせながら、小刻みに震える彼女の肩を抱きしめることも、少女漫画のようなかっこいいセリフを言うことも、俺には何一つできない。

 それでも、誰よりも近くで彼女を見てきた俺だからこそ、彼女への気持ちを我慢してきた分、彼女の一生懸命だった想いを一緒に背負うことだけは許してほしい。

 ──俺は君の脇役にもなれなかった。弱っているヒロインに告白するようなずるい男にも、ただ慰めるだけの優しい友人にもなれなかったのだから。

 だったら彼女のために今の俺ができる、唯一のことは──

「宮本、こっち見て」

 ほんの少しだけ顔をあげた彼女に間髪入れずに、俺は自身の両頬を両手でつまみ、黒目を全力で中心に寄せた。

「……ちょっと、何その顔。今この状況でやること?」

 そう言って、泣きっ面の顔でお腹を抱えて笑ってくれた。そこに先ほどまでの偽りの笑顔は貼り付けられていない。

やっぱり君を笑顔にできるのは俺だけだと、今だけは自惚れさせてほしい。

「白木、ありがとうね」

 いつもより小さめの声だったが、それでも俺の耳にはしっかり届いた──だって、君の声を拾わないという選択肢など、俺にはないのだから。

「白木良い男なのに、なんで彼女いないんだろ? 不思議だわー」

「……もしかしたら、宮本が原因かもしれない」

「えっ?」

「ほら、いつもうるさい人が近くにいると、いくら俺が良い男でも、女の子も近寄りづらいんだよ」

「なにそれ! もう先に教室に行くから!」

 本調子とまではいかないものの、彼女の明るい声が、俺の耳の奥深くにまで響いた。走って校舎に向かった彼女の背中を見つめながら「君が好きだ」と嘆いた言葉が、風に乗って彼女に届くことはなかった。

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脇役未満 南那奈 @jasmine2022

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