第9話

 それから2時間ほど経過した店内には、空のジョッキがあちらこちらに散らばっていた。男達もあの後さんざん飲み散らかし、今は眠ってしまっている。

 そんな中、から酒樽さかだるを前に立っているのは、アレンとランシェルだけだった。


「ランシェって、酒に強いんだな。びっくりしたよ」

「……いや、僕も今日初めてお酒飲んだから、ここまで飲めるとは思わなかったよ。逆にこっちがびっくりしてる」

「酒場に行きたがってたわりに、酒も飲んだことないなんて、お前……変な奴だなっ!」

「変じゃないやいっ!僕はただ、酒場ってやつに行ってみたかっただけで……」


 カランカラン、と、店の入り口につけてある鈴が唐突に鳴り、ランシェルの言葉が中断される。

 反射的にそちらを向く2人の前に、数人の男達が現れた。特に真ん中に立っている男は大柄で顎髭を生やし、いかにも怖そうな風貌ふうぼうだった。


「……ねぇ、アレン。あの真ん中に立っている人って誰だか分かる?」


 思わずひそひそ声になりながら、ランシェルはアレンに問いかける。尋ねられたアレンは、あー、と一端言葉をにごしながらも、丁寧に教えてくれた。


「あの人はここのオーナーだよ。まぁ、俺の父さんでもあるんだけど。……だいたい13年くらい前からこの酒場を経営してる」

「へぇー……って、えぇっ?!アレンってあの人の子供なの!?」

「しー。声が大きいよ、ランシェ。皆起きちゃうだろ?それに、そんなに驚く事か?」


 慌てて口を抑えるランシェルに、アレンは呆れ顔で笑った。

 酒場のオーナーの息子。ただ、それだけの話。


「い、いや。顔があまり似てないなと思って」

「……そう?やっぱりそうなのかなー?ここの男達にも言われるんだよね。……でも、父親なのは本当だよ。血もちゃんと繋がってるし、母さん似なのかな?って自分でも思うようにしてるんだ」

「アレンの母さんなら、美人さんなんだろうな」

「うーん……。あんまり覚えてないけど、優しい人だったと思うよ。ほら、そこに写真が飾ってあるだろ?あれが俺の母さんだよ」


 アレンが指で示したほうに顔を向けると、確かに女の人の写真が飾ってあった。白黒だが、カメラに向かってぎこちなく微笑んでいるその女の人は、まだ二十歳を少し過ぎたばかりに見える。手首や首元が普通の女性よりも細く感じられ、決して健康ではなかったと窺えた。


「……病気、だったの……?」

「うん。でも、そんな気にするほどの事でもないよ。俺の国では、女性は弱く生まれてくる確率が高いんだ。だから、あの若さで死んでも、驚く事じゃない。……逆に、三十歳過ぎまで生きてたら大したものさ」


 だから気にするな、と言われているようで、ランシェルのほうが逆に励まされてしまった。

 そんな2人の会話が聞こえたのかは分からないが、アレンの父ーーオーナーがこちらに気付いた。


「おい、アレン」

「何?」

「おらぁ、これから地下に行くからな。誰も来ねーように見張っとけよ」

「ーー……地下……?」


 ランシェルは独り言のように呟き、眉を寄せる。

 クレブレム洞窟に地下なんてなかったはずだ。

 だとすれば、人攫いの犯人が新しく地下を造った可能性がある。つまり、地下にはまだ、売り買いされてない人々が捕らわれている確率が高い。


「見張るのは構わないけど、また賭け事でもしてるの?たまには店に出てこの人達の相手もしてあげてよ」

「わーってるよ!そのうちだ、そのうち!」

「……もう……」

「あ、あのさっ、おじさん!僕も、その賭け事ってやつに参加しても良い?!」

「はぁ?……おめぇー誰だ?」

「この子はランシェ。今日初めてうちの店に来た客だよ。今日は彼のおかげで酒樽は全部完売したんだ」

「ほぉー。やるな坊主。……で、その分きちんと金は払ったんだろうな?」

「え?お金?」


 アジトにもぐり込むことばかりに気をとらわれ過ぎてお金の事をすっかり失念していた。酒樽が空になるほど飲んだ訳だから、金額も相当なものになるだろう。

 村に戻れば所持金でどうにか出来そうだが、今村に戻る訳にはいかない。

 頭を抱えてうなる少年を見て、オーナーの男はふんと鼻を鳴らした。


「金も持ってねー奴がうちの店に入ってくんじゃねーよ!賭け事なんざ百年早えー!!この酒樽分の金、しっかり働いて返してもらうからな!」


 怒鳴り声で正論を言われ続け、ランシェルは頭も上がらない。もっと考えてから行動すべきだったが、逆にこれはチャンスかもしれないと思った。

 ここで働くのであれば、自分がここにいてもおかしくない理由も作れるし、地下に行く機会もあるかもしれない。

 そこまで考えてから、ランシェルはゆっくりと頷いた。


「…………分、かった……働いて返すよ」


 先程までの元気の良さとは裏腹に小さな声で呟く少年を見て、多少なりとも反省の色を感じたのか、オーナーの男はそれ以上何も言わずに、再びふんと鼻を鳴らすと、地下に繋がる扉の中に入っていった。

 ランシェルは知らず知らずの内に息を吐き出す。


「……お金無いなら初めからそう言いなよ。働いて返すって言ったって、1ヶ月は働いてもらわないと割りに合わないよ?」

「そ、そんなに?……でも、やるよ。自分が悪いんだし。具体的な仕事内容は?」

「うーん……。主には接客だけど、その他にも食器の片付けとか、店の掃除とか、とりあえず、やるとこはたくさんあるよ」

「ふぅーん。……掃除……掃除か。……うん、分かった」

「その間は俺の部屋を貸してあげる。……同室になるけど、別に構わないよな?」

「うん、大丈夫」


 昔から家族と言えば村長、父、兄しか居らず、男に囲まれて育ったため、そういうことはあまり気にしない性格に育っていた。

 今日は閉店し、客達にも帰ってもらった為、ランシェルとアレンは少しばかり早い休息に入る事にした。

 アレンの部屋は、少し散らかってはいたものの、木製のベッドが2つ置かれていて、意外と広い部屋だということが分かった。ランプに火を灯し、2人はベッドに腰を降ろす。


「…………そういえば、アレン達は何でここに酒場を経営しようなんて思ったんだ?ここじゃあんまり客も来なさそーだけど」

「んー……まぁ、そうなんだけどね……」


 言いにくそうに言葉を曇らせるアレンに何かを感じてか、ランシェルは慌てて言い添えた。


「や、別に、言いたくなかったら言わなくても大丈夫!」

「あはは。うん。でも別に、隠すほどの事でもないしね。ただ……」


 そこで一端言葉を区切ると、一呼吸分たっぷりと間が開いた。

 それからゆっくりと静かな声で話し始める。


「……俺の父さんさ、昔は王族に仕えてたんだよね。……それなりに地位も信頼もあって。でもある時王家の大事な情報をうっかり溢しちゃって、その情報を聞いた相手は見つからなくて、地位剥奪はくだつと国外追放が命じられたんだ」


 それを境に、アレンの父は自棄やけを起こしてしまい、知らない土地に逃げ込み、賭け事などの危ない事に手を染め始めたという。


「ほんと……どうしようもない人だよね」

「………………」


 諦めたように呟くアレン。ランシェルはどう言い返したら良いか分からなかった。

 ただ一言、アレンにも聞こえないほど小さな声で呟く。


「敵国の情報を盗んで見つからなかった人……」

「?何か言った?」

「ううん。何でもない。……教えてくれてありがとう。アレン」

「どういたしまして。……さて、今日はもう寝よっか。ランシェも疲れただろうし」

「うん。ちょっとね。……おやすみ、アレン」

「おやすみ、ランシェ」


 掛け布団の中に潜りながら、ランシェルの脳裏には先程のアレンの言葉が繰り返されていた。

 アレンの父から情報を盗んだ男。……ランシェルはその話を聞いたとき、真っ先に父の顔が思い浮かんだ。

 もし違う人物だったとしても、全く関係ないということはないだろう。父が情報を敵国から盗んだことで、別の誰かがアレンの父のように国を追われているかもしれない。

 父がやったことも、私が今、この人達にしようとしていることも、同じことだ。何も変わらない。

 でも、それでも……。

 善悪を抜きにするならば、皆平等に、"何か"を守るため、それを当たり前のように行っている。

 リュウが時々垣間かいま見せる、人を騙すような態度も、つまりはそういう事なのかもしれない。

 そんな事を思いながら、ランシェルは眠りのふちに落ちていった。

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