第8話

 酒場に入った時、ランシェルを出迎えたものは、沈黙だった。

 皆がみな、見かけない客に対して不信感をあらわにしている。どこもかしこも、見渡せば黒髪に黒の瞳を持つ者ばかり。淡い茶色の髪を持つランシェルとは、似ても似つかぬ容姿だった。


「みんなー、注目!」


 アレンがひときわ大きな声を上げると、皆の視線が彼に集まった。アレンは強面こわもての男達の視線に物怖じすることなく、隣のランシェルを手の平で指し示した。


「こいつ、そこで拾ったんだけど、皆と友達になりたいんだって!仲良くしてやってくれよな!」


 シン……と周りが静まり返った。

 誰もそこまで言ってない、と思いながらも、今はアレンの言葉に乗るしかない。

 息苦しくなるような沈黙の中、一人の大男が片手に持っていたビールのジョッキをテーブルにドンッ、と大きな音を立てて置いた。


「よし、そこのお坊っちゃん!名前は何てんだい?」

「あ、ランシェです」

「ランシェか。よし!こいつにでっけービール持って来ーい!」

「新しい客に乾杯だな!」

「ランシェに、乾杯っ!!」


 ガコンッと木製のジョッキがぶつかり合う音が店内に響く。ランシェルはただただこの状況に圧倒されるのみだ。

 そっとアレンの様子をうかがうと、彼はランシェルの視線に気付いて、にっと笑った。


「ほら。大丈夫だったでしょ?」


 自信たっぷりにそう告げる少年に、今までの緊張がすっと消えていくのが分かった。

 ランシェルは今まで見せなかったおだやかな笑みを浮かべる。


「ーーーー……うん。ありがとう、アレン」

「へへっ」


 得意気に胸を張るアレンに、ランシェルは無意識にまた笑った。


「何してんだ、坊主!こっち来て、これぐっと飲みな!」


 大人達にうながされるままにジョッキを手に取る。

 ランシェルは生まれてこのかた酒など飲んだことはない。特にユリテルド村では酒に対する制限を設けてはいないので、別に彼女が酒を飲んでもとがめる者はいないのだが、酒を飲んだことがないゆえに、上限が分からない。

 でも、これを飲みきれば、この人達は自分を信用してくれるだろう。ランシェルは男達に証明するようにそれを高くかかげた。


「んじゃ、飲みまーすっ!」


 そのままジョッキをあおぎ、ゴクゴクと音を立てながらビールを腹内へ収めていく。

 いいぞー、という男達の声援を前にビールを飲み干したランシェルは、泡の付いた口元を手でぬぐうと、もう一度、空になったジョッキを上へ掲げる。

 それを見た男達は、半ば興奮気味にランシェルを褒めたたえた。


「おー、やるじゃねーか坊主。見直したぜ!」

「よし、よし、どんどん飲め!俺にも酒くれ酒!」

「今日はとことん飲むぞ、てめーらっ!!」

「おーっ!!」


 士気の高まってしまった大人達のもとに、次々と大きなジョッキが運ばれてくる。気が付けばランシェルとアレンの前にもジョッキが並べられており、もはや籠の鳥状態だ。


「せっかくだから俺もいただこうかな」


 そう言ってジョッキを手に取るアレンを見て、客の男達はヒューヒューと口笛を鳴らした。


「アレンが飲むんじゃ、今日は酒樽さかだるが空になっちまうなぁ!はーははは!」


 男の口振りからして、アレンは相当酒に強いのだろう。

 そんな男達の声も、彼は余裕のある笑みで受ける。

 ランシェルも一杯飲むよう促され、彼女はされるがままにジョッキを手に取った。

『ーー出来るだけ男達に警戒心を持たれないように努力しろ。相手のふところに入り込んで、信用を得ろ。……良いな?』

 ランシェルの脳裏に、そんなリュウの言葉が甦る。

 いつもそうやって人を騙してきたのかと思ってしまうくらい、淡々と語り続けていた横顔が思い出された。

 そして今朝、偶然聞いてしまった貴族達の会話も同時に頭に浮かんできて、もしかしたら本当に、リュウは今までそうやって自分を隠して、いつわって生きてきたのかもしれないという考えに思い至った。

 そんなことを考えながら、ランシェルは今しがた手渡されたジョッキの中の液体を見つめる。

 そして、男達にあやしまれぬよう、顔面に無邪気な少年の笑みを貼り付けた。


「んじゃ、希望通り、僕とアレンで今日の酒樽、空にしてやんねーとな!」

「ほー。アレンに張り合おうってのかい。こりゃ見物だな」


 男達がニヤニヤと笑いながらランシェルの言葉を興味深げに聞いている。絶対に勝てるはずがないという意志がその瞳から察せられた。

 だが、ランシェルにも勝機しょうきはある。

 ランシェルはくるりと向きを変えてアレンを見つめると、ぐいっとジョッキをアレンの前に突き出した。


「ーーこの人達にギャフンと言わせてやりたいんだけど、……協力してくれない?」


 試されているような視線を感じてか、アレンは困ったような笑みを浮かべたのち、面白そうに目を細め、ゆっくりと口を開いた。


「ーーいいよ。やろうか」


 ガコンと音を立て、ランシェルのジョッキに自分のそれを押し当てる。

 そんな2人の乾杯に、男達の興奮は最高潮に達した。


「良いぞ、良いぞ、やれやれ!」

「負けんじゃねーぞ、アレン!!」


 ランシェルは同盟のつもりでアレンに声をかけたのだが、男達の頭の中では、すっかりアレンとランシェルの対決にすり変わってしまったらしい。

 いささかアウェイ感が店中をただよう中、意味のない2人の対決が今、始まった。


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