第10話

 闇に包まれた空の下。リュウはひたすら馬を走らせる。

 今までは森の木々に阻まれて見る事の出来なかった星々が空一面に広がっている。国境まであとほんの数メートルという所で、リュウは馬の足を止めた。

 辺りを見渡し、先程から感じる妙な違和感の正体を探ろうとする。


「………………は、………………です」


 リュウはすっと目を細める。確実に誰か、いる。

 馬から降り、そっと声のしたほうに近付いていくと、2人の男達がひそひそ話をしていた。いや、正確に言えば3人で、一人は気をつけなければ闇に同化どうかして気付かないほどの黒いローブを身にまとっていた。


「ーーーーから、先程連絡がありまして。明日の夜にでも出荷出来るとの事です」

「……そうか、それは何より。ではすぐにでも、相手方に報告したしましょう」


 見るからに貴族という出で立ちをしているわりには、『出荷』などと似つかわしくない単語を並べる2人に、リュウは少しずつ近付こうとする。

 ーーすると、貴族の男達とは別の、もう一人のローブの者がこちらを向いた。


「ーーーーーー」


 と、思ったのもつかの間、その者はリュウとの距離を一気に詰め、短剣を抜いて彼に斬りかかろうとする。しかし、その動きを読んでいたリュウは、自分の剣を抜いて相手の剣を受けると、下へ受け流した。

 すかさず体勢を立て直し、ローブの者が剣を突き出す。

 リュウは皮一つで避けると、相手の剣を持つ腕を掴み、勢いよく地面に投げ倒した。そして今度はその者が起き上がろうとする前に、彼の首に剣を突き立てた。

 血飛沫をき散らし、転がる肢体したい。ローブを取って見れば、それはまだ幼い少年だった。

 リュウはその少年のもとに膝を曲げると、一瞬だけ目を伏せる。その後、後ろにいるはずの2人の貴族に向けて声を張り上げた。まるで、無垢むくな少年のように。


「ありゃー。あんたらもバカだねぇ。本気で俺を殺す気なら、こんなガキの暗殺者一人じゃ足りねーよ」


 リュウは、暗殺者の少年の瞼をそっと閉じさせると、立ち上がってゆっくりと貴族達を振り返った。

 一方の貴族達は、何が何だか分からず狼狽ろうばいしながら、目の前にいる青年を見つめる。そんな彼らを見て、リュウは顔に凄惨せいさんな笑みを張り付けた。


「ーーさて、さっきの話、詳しく聞かせてもらおうか」




 * * *




 東から太陽が昇り始める。そんな温かな光りも届かないクレブレム洞窟の中で、少女は朝を迎えた。

 オーナーはいつも朝早くから出かけて夜遅くに帰ってくると、昨日アレンから聞かされた。

 酒場で働くはずの人達も、朝はのんびりと起きてくる。

 人さらいの情報を探るならば、今しかない。

 変装用の帽子を目深に被り、音を立てないようにアレンの部屋を後にする。廊下を通り一番手前の扉が、酒場として経営している広い場所へと繋がっている。その酒場に入って調理場の近くにある床の扉が地下への入り口となっていた。


「………………」


 酒場には、誰も居なかった。昨日の騒がしさが嘘のように今は静まり返っている。

 ランシェルは早足で調理場へ向かい、昨日オーナーが開けていた床の扉を開けた。下は階段になっているようだ。ランプを片手に、暗い階段を一段一段慎重に降りる。途中で入り口の扉を閉め、さらに下へと足を運んだ。


「……こんなに下まで続いているなんて……」


 警戒心を常に張ながら、それでもランシェルは地下の造りに目を奪われた。周りから犯行を隠すために地下を彫ったにしては、あまりにも面積が広すぎると思ったからだ。この広さを造り上げるのは、1年そこらでは絶対に出来ない。相当な年月をかけていると推測できた。


「……とりあえず、さらわれた人達を見つけ出さなきゃ。あと、帳簿か契約書があれば、それも……ーー」


 パチッという音がして、地下の明かりがついた。

 ランシェルの顔が強張こわばる。


「ーー何、してるの?」


 ぎくりという音が聞こえてしまいそうなほど大きく、ランシェルの体が固まった。後ろから聞こえてくるのは、間違えようもなくアレンの声だ。

 昨日も似たような状況で声をかけられたが、前とは違ってアレンの声音からは不穏ふおんなものがただよう。

 ランシェルは明るくなった地下を見渡し、身近にあったモップを手に取ると、苦しまぎれの言い訳を始めた。


「いや、あの、そ、掃除をさ、しに来たんだ!昨日働くって言ったし、何か出来る事ないかなと思って!あ、あはは」


 ランシェルはどっと冷や汗が吹き出してきた。産まれてこの方、大した嘘なんてついてこなかった彼女にとって、この状況はあまりにもこくだ。

 思わず逃げ出したくなる衝動を何とかこらえながら、ランシェルはアレンの返答を待ち続ける。

 アレンもランシェルの言葉に少し疑念をいだいた様子だったが、何とか信じてくれたようだ。


「でも、ここは俺でも来ちゃいけないって言われてる場所だし、父さんが帰ってくる前に上に戻ったほうが良いよ」

「あ、いや、うん……そう、だよな」


 ーーーーダメだ。

 ここで地下から離れてしまったら、もう二度とここへは近付けなくなる。せっかく、ここまで来たのに……。

 リュウにも、任された責任がある。ここで引いちゃダメだ。

『時間稼ぎ』が『証拠捜し』に切り替わってはいるが、とにかく、ランシェルは必死だった。

 もう、アレンに全てを話してしまおうか。いやでも、アレンが密売に関わってないとは言い切れない。もし、彼も人攫いの集団だとしたら、必然的にリーダーにもバレてしまうだろう。

 だが、取り引き成立まであとどれくらいの猶予ゆうよが残されているかも分からない。早くしないと、拐われた皆が知らない国に売られてしまう。

 早く、しないと……。

 いや、でも……でも……ーーーー。


「…………ぅ、ぇーん」

「!!」


 はっとして、2人はほぼ同時に奥の部屋を見つめた。

 アレンは茫然ぼうぜんと呟く。

 今の、はーー。


「……赤ん坊の、泣き声……?」


 刹那、ランシェルはアレンが止めるよりも先に走り出していた。アレンもそれを追うように走り出す。

 ガチャガチャッ。ガチャ。


「……鍵が……」

「どいて」


 アレンがランシェルを押し退け、扉のドアノブを一度回す。


「ーーーー……違う」

「え……?」


 何が違うのか、そう問い掛けるよりも早く、アレンは扉の横の壁を見つめた。そして、そこを思いっ切り蹴り飛ばす。


「なッ!」


 声を上げたのはランシェルだった。

 アレンの推測通り、壁の一畳ほどのスペースが外れ、部屋の内側へと倒れる。

 土煙が舞う中、2人が部屋に足を踏み入れると、アレンは目の前の光景に目を見開いた。瞳を揺らし、明らかに動揺している。


「なんッだよ、これ……」


 目の前に映るのは、大型動物を捕獲するおりに入れられた、たくさんの人々の姿。手足に鎖をはめられ、身動きがとれない状態だった。

 しかも見渡してみるに、軽く50人は越えているし、髪の色からしてブラウン王国の人々が大半だ。

 ランシェルは先程の声の主と思われる赤子を見つけると、駆け寄って膝をついた。


「ーーーー泣かないで、大丈夫。必ず助けて出すからね」


 その子の母親だろうか。赤子を抱き抱えている女性がこちらを向いた。衰弱しきった顔で、不安げにランシェルを見つめている。

 洞窟の、それも地下に、何日もの間閉じ込められているのだから、それも当然だ。早くここから出さないと、赤子だけでなく、母親の体力ももたないだろう。


「……ど、どうか、この子を……」

「必ず助けます!もう少しだけ待ってて下さい」

「…………ーーランシェル様……?」


 聞き覚えのある、若い女性の声が聞こえて、ランシェルは親子の隣の檻に移動した。

 声の主を確認しようと視線をさ迷わせると、微かに布のずれる音がして、上質なドレスを纏った少女がランシェルの前に姿を見せた。

 思わず涙腺がゆるんでしまったのを感じながら、少女に向かって必死に手を伸ばした。


「ベ、ベルニカ様、ですね!?……ご無事で良かった」

「……あぁ、ランシェル様。……どうしてこちらへ?ここは一体、どこなのでしょうか?」

「ここはユリテルド村のクレブレム洞窟の地下です。ベルニカ様。ご自分がどうやってここまで来たか、覚えていらっしゃいますか?」

「えぇ。確か邸宅に帰る途中で……あら?……ごめんなさい。よく、思い出せなくて……」

「……思い出せない?」


 突然のショックで忘れてしまったのだろうか。しかしよく聞くと、ここに閉じ込められているほぼ全ての人が、拐われた時の記憶を持っていなかった。


「それはたぶん、薬を飲まされたか吸わされたかしてると思うよ」

「薬?」


 倒れた壁を元の位置に戻したのち、アレンは一つ頷いた。


「俺の国ではよく使われてるんだ。大人が子供を自分の思い通りに動かしたい時とか。……相手を従順じゅうじゅんにさせる薬として使用されてる。その薬を使うと、使用された子供はその前後の記憶がなくなるんだ」


 そう話すアレンの表情は依然いぜんとして動揺を隠しきれていなかった。話終えた後に、苦しげに眉をひそめる。

 ……本当に、アレンは何も聞かされていなかったのだろう。

 見せるべきではなかったという後悔がランシェルの心中を渦巻うずまく。


「………………これ、父さんがやったの……?」


 アレンの瞳は揺れていた。目の前に現実を突きつけられながら、それでもまだ、父親を信じたい気持ちがあるのだろう。

 ランシェルはそれが分かっているから、肯定するのが一瞬躊躇ためらわれた。


「……俺、全然知らなかった」

「……アレン」

「ランシェは……知って、たんだよな」

「………………」


 ランシェルは口を開きかけたが、途中でそれを止める。

 くいっと口を小さく引き結んで、小さく頷いた。


「……うん。僕は、それを止める為にここに来たんだ。……黙っててごめん」

「ランシェが謝る事じゃないだろ?……証拠は?もう集まってるの?」

「いや、まだ。僕も探したくて地下に潜り込んだんだ。帳簿か何か……やり取りした記録があればと思って」

「………………それなら、父さんの書斎は?確か、この地下にあったはず……」


 先程まで動揺していたとは思えないほど落ち着いているアレンに、ランシェルはいささか困惑していた。

 そんな彼女の視線に気付いてか、アレンは困ったような笑みを浮かべる。


「そんなに心配しなくても大丈夫だよ。……俺、父さんに曲がって生きて欲しくないんだ。だから、この人達を救えるなら、俺も協力する。……手伝っても良いかな?ランシェ」


 遠慮がちにランシェルに向かって手を差し出したアレンだったが、その瞳に迷いはなかった。

 ランシェルも、彼の手を取って立ち上がる。


「うん。こちらこそよろしく」

「……ありがとう。……それで、これからどうする?」

「うーん。とりあえず、帳簿を探す。それから、……出来れば、商人との取り引き場面を押さえたい。それが一番確実な証拠になるから……」

「なるほど……盗み聞きが出来て、尚且なおかつ隠れられる場所があれば良いんだよね」

「う、うん」

「……それならーー」


 カランカラン、と小高い音が聞こえて、アレンは息をひそめる。見れば、ランシェルも同じく黙って耳をぎ澄ましていた。


「ーーーー……、ーー……」


 ……話し声が、近付いてくる。


「……………………帰ってきた」


 ぽつりとアレンが呟いた。次の瞬間には、焦りを含んだように、ランシェルの手首をくいっと引っ張った。



「ーーこっち!!」

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