第6話

『ーーどうか、元気に育ってね』



「あ……」


 そう……だ。夢の中。

 夢の中の女の人の声に良く似ている。

 ……目を見開いてこちらを見ているランシェルを不思議に思ってか、王妃は小首を傾けて心配そうに尋ねる。


「……どうかなさいましたか?」

「あ……いえ。ただ……王妃様の声が、なぜか聞き覚えがあって、それが不思議だったものですから」


 それを聞いて一度目をぱちくりさせると、得心がいった表情になった。


「……貴女はまだ小さかったものね。覚えていないのが当たり前なのでしょう」


 懐かしそうに目を細める王妃に、王も賛同する。


「貴女の父親が昔、この国に仕えていた騎士だということは知っていますか?」


 ランシェルは無言で頷く。それは、父が亡くなってから先代の村長に教えてもらった。父はそんなにすごい人だったのかと、幼心に感動したのを覚えている。


「貴女の母親もね、ここで働いてくれていたの」

「王妃の世話係として仕えていた貴族の娘さんでして、本当に良く笑う、笑顔が似合う方でした」


 2人は自然とかれ合い、そして結ばれた。お腹に赤ちゃんを授かって幸せいっぱいの生活だった。


「でも、彼女は元々体が弱かったから、出産には耐えきれなかったんです」


 赤子の産声と共に息を引き取り、騎士と赤子だけが残された。そこで王妃は提案した。

 ここで、赤子を世話すれば良い。そうすれば、ミルクの心配もいらないし、騎士も仕事に専念出来る、と。


「そこで、私の部屋で貴女の世話をしていたのです。貴女が大きくなるまでは、と。……ですが結局、3年ほどしかそれも続きませんでした」


 知らなかった事実に、ランシェルはいささか困惑していた。

 まさか、自分が3歳の時まで王妃に育てられていたなど、思いもよらなかった事だ。

 自分が思っているより、この国との関係は根深いらしい。


「……その後は、どうなったんですか?」


 少し気になって、ランシェルは勇気を出して尋ねてみる。

 すると、明らかに2人の表情が曇った。

 王妃は少し俯いて、申し訳なさげに呟く。


「……貴女が3歳になったばかりの頃、急に王宮を出てこの国の外で暮らしたいと言い始めたのです」

「あの頃はまだこの国も未発達で、色々と問題も多かったですから」

「彼は私達に迷惑をかけたくないと、この国からまだ幼い貴女を連れて、外へ行ってしまった」


 それからは連絡も取れず、安否すら確認出来ないでいた。でも、そんなある日、国に一報が届いた。


「……ユリテルド村の先代の長から、貴女の事が綴られた手紙が届いたのです」

「先代から……」

「手紙には、貴女の父親の事も書かれていました」


 ランシェルの父は敵国の兵に追われていた。秘密を知られた側としては、その父を、生かしておくわけにはいかなかった。だから彼は逃げた。逃げられないと分かっていたから、せめてブラウン王国とは関係ないんだと、自分が単独でやったのだと思わせる為に国から逃げた。

 だが、ランシェルはその事は知らない。先代からは父はやまいで倒れたと聞かされているし、事実、彼は流行り病で亡くなっていた。敵は最後まで、彼を見つけ出す事が出来なかったのだ。


「……もう一度彼に会えないのは残念だけれど、貴女はまた、私達の元に会いに来て下さいました」


 見れば、王がおだやかな表情でランシェルを見つめている。

 王妃も、似たような表情をとって微笑んでいた。

 ランシェルはそんな2人に感謝の言葉を伝え、深々と頭を下げる。


 そんな穏やかな空気を破ったのは、廊下から響き渡る、大きな足音だった。

 何事かと王が扉のほうに目をやると、見知れぬ従者が息を切らせながら応接室に入ってきた。リュウが従者と王との間に割って入り、誰何すいかの声を上げる。


「……どこの者だ。王は今、別客と会談中だぞ」

「はっ。承知の上ながら、火急の用につき失礼致しました。私は、ベルニカ家の従者であります!」

「……ベルニカ?」


 疑問の声をもらしたのはランシェルだった。ベルニカと言えば、昨日ダンスの稽古をつけてもらった娘の家だ。


「ベルニカ様がとうかなさったんですか?」


 疑念をぶつけてくる少女に一瞬だけ目をやったベルニカ家の従者は、この者は誰かと首をひねった。だが、そんなことも気にしていられないほどの事態なのか、従者は王に視線を戻して再び口を開いた。


「昨晩には邸宅に戻るはずのお嬢様の姿が見えず周辺を捜索したところ、お嬢様と共にいたはずの召し使いが倒れており、事情を聞くと、お嬢様は何者かに連れ去られてしまったと…!旦那様は至急捜索範囲を広げられ、王城にも救援を仰ぎたいとのよし。どうか、お嬢様救出にご協力願えませんか…!!」


 焦る気持ちを抑えきれないのか、身を乗り出して従者は王を見上げる。


「………………」


 王はフィルに配目する。従者の顔もそちらに動いた。フィルは2人を交互に見た後、顎に手を添え、少し考える素振りを見せた。


「……その召し使いの方は、どこで倒れていたのですか?」


 王子からの質問に、従者は記憶を手繰り寄せる。


「ええと、確か、国境付近の路地だと聞いております。あそこはいつも通る道ではあるのですが、人通りがなく、標的にされてしまったのではないかと」

「……さらった相手の特徴は?」

「それが……暗がりだったので、良く見えなかった、と……」

「そう……ですか」


 ちらりとフィルはリュウを見る。彼が一つ頷くのを見て、フィルは従者に視線を戻した。


「最近、我が国で人攫いが起きたとの報告が多くなっており、我々も現在調査中です。ですが既に、犯人のアジトの場所や正体も大方の見当はついてます。必ず密売完了までにベルニカ様もお救いするので、屋敷で待機なさるよう、公爵様にお伝え下さい」

「ですが……!!」


 納得出来ない従者が更に身を乗り出す。だが、それはリュウによって止められた。


「これ以上の発言は許可しない。下がれ」

「なっ…!貴殿に止められるいわれはない!!そもそも、お嬢様をさらったのは、お前のーー」


 リュウは眉ひとつ動かさなかった。静かな瞳で従者を見る。

 だが、従者の言葉は最後までは続かなかった。



「ーー口をつつしみなさい」



 ーーフィルの一声で、部屋がシ…ンと静まり返る。


「……それ以上の発言は王家への不敬ととらえますよ」

「…………っ」


 口調は穏やかだが、従者は彼の気迫にまれて口をつぐむ。


「…………失礼致しました」


 従者が頭を下げる。それに対して、フィルは一つ頷いた。


「従者殿。この誘拐事件は、我が国の重要な問題です。我々が迅速に対処致しますので、どうか、エスティア様の為にも、慎重な行動をなさるよう、公爵様にお伝え下さい」


 従者はフィルをしばらく見つめ、渋々と言った感じで頷いた。


「承知いたしました。どうかくれぐれも、お嬢様のことよろしくお願い致します」


 念を押すように繰り返し、従者が去っていく。

 フィルはやれやれと言った感じでため息をついた。


「……ああいう言い方は止めなさい。あちらだって気が立っているんだから、あれじゃ逆効果だ」

「……うるせぇ」


 フィルは呆れた表情になる。そして、少しだけ彼から視線を逸らした。


「……リュウ。……従者の言っていた事だが、あまり気にーー」

「気にしてねーっつの。……この国の連中の言葉なんて、聞くだけで耳が腐る」

「リュウ」


 たしなめるようにフィルの口調がきつくなる。今度はリュウがフィルから視線をらした。


「……2人とも、お客様の前ですよ。喧嘩はお止めなさい」


 王の静かな声に、2人は口を閉ざす。フィルは王に一礼するが、リュウは顔を背けてしまう。

 ランシェルはそんな彼らの様子に困惑したままだ。


「ーーランシェル」


 王の金色の瞳がランシェルを捕らえる。無意識に体が緊張するのが分かった。


「は、はい」

「お聞き及びの通り、これから至急やらなければならない公務が出来てしまいました。これからフィルとリュウを交えて会議をしたいので、申し訳ありませんが、王妃と共に別室でお待ち頂いても宜しいでしょうか?」


 その言葉で、ランシェルははっと理解する。これはブラウン王国の問題であり、国の民ではないランシェルが聞けるような話ではないということだ。

 ランシェルは慌てて頭を下げる。


「気が回らず申し訳ありません。すぐに席を外します!」


 一礼して部屋を出ようとすると、思わぬ人物にそれを止められた。


「ーー待て」

「え?……って、うわっ!」


 ぐいっと腕を引かれ、ランシェルは再び王の前に出される。後ろを睨むと、リュウがなに食わぬ顔で王と対峙たいじしていた。


「この娘にも聞いてもらいます。元より、こいつの協力をあおがなければ、今回の誘拐事件を解決する事は出来ない」

「……はい?」

「……どういうことですか?」


 王がリュウに問う。王妃はもう一度椅子に座り直した。


「ーーーー陛下。私から説明させて頂いても宜しいでしょうか?」


 フィルが声を上げるとリュウは一歩後ろに下がる。王はフィルに向き直り、続きをうながした。

 本来この一件はフィルに任せてあるものだ。彼が発言するのは当然の事だろう。


「私達はこの一連の誘拐事件の犯人は、南の国……クロキスカ大国を追われた者達の仕業であると考えており、調査を進めてきました。この国に大国の者達が彷徨さまよい歩いていれば、我々にすぐに気付かれる。ですから彼らは国から離れ、誰の処罰も受けられない場所へ逃げ込んでしまった」


 そこまで聞いて、ランシェルも段々と状況を理解出来てきた。連続誘拐犯が逃げた場所。この国の兵達にも見つからず、他国からも目の届かない場所。つまりは……ーー。


「…………ユリテルド村……」


 ランシェルはぽつりと呟いたはずだったが、その声はしっかりとそこにいる全員に届いた。フィルはランシェルを見て、一つ頷く。


「……犯人は、ユリテルド村の西のはずれにある、洞窟のさらに地下にアジトを構えているようだと、兵から報告がありました」


 次にフィルは困ったように眉を下げる。


「……ですが、ユリテルド村は現在どこの国にも属しておらず、あの村に居る限り、私達の国の法を使って彼らを捕らえる事が不可能に等しいのです。…………ランシェル様。ユリテルド村には、彼らを取り締まれるだけの規則はありますか?」


 フィルはランシェルに話を振った。王もこちらを向く。

 ランシェルは2人の視線を受けたのち、申し訳なさそうに首を横に振った。


「……いいえ。ユリテルド村はなるべく、どんな国の人でも自由に利用出来るように、これといった法律や規則は設けておりません。暗黙の了解として、村を利用する人々には悪いことをさせないよう、住民達で気を配ってはいますが、規則はないため注意を促す事しか出来ません。それに、今回は村の外れということもあり、管理が不十分でした。村長としてしっかりと村の状況を把握出来ていなかった……私の責任です」


 そう言ってランシェルは王に深々と頭を下げる。だが王はそれを手でせいした。


「大丈夫。そこにいるフィルとリュウはとても優秀な息子達です。すぐに解決出来ます」

「……陛下」


 王からの優しい言葉に、ランシェルはもう一度頭を下げた。そんな彼女を、王は穏やかな表情で見つめている。


「陛下のおっしゃる通り、解決の糸口は見えています。……そしてその為に、ランシェル様のご協力をあおぎたいのです」


 フィルの言葉に、ランシェルは困惑気味な顔になる。


「……私に出来ること、ですか……?」

「はい、もちろん」


 フィルは笑顔で答えた。その横で、リュウもにやりと笑う。


「んじゃ、こいつ借りてくからな」


 ぐいっと再び腕を引かれ、ランシェルはリュウに引き寄せられる。王は真剣な瞳で頷いた。


「……4日後の舞踏会までには解決させなさい。ベルニカ公爵のご令嬢は、たいそう舞踏会を楽しみになさっていらっしゃいました。それを嫌な記憶としてしまうのはあまりにお気の毒です。それに、ランシェルも」


 急に自分の名前を出されて、ランシェルは反射的に体を強張こわばらせる。だが、それとは真逆に、王は慈愛じあいに満ちた瞳で彼女を見つめていた。


「私達の都合で国の問題に巻き込んでしまって申し訳ありません。どうか、ご無事で戻ってきて下さい」

「…………はい……っ」


 ランシェルはしっかりと頷き、リュウ達と共にその場を後にする。

 ベルニカ家はブラウン王国の中で五本の指に入るほどの大貴族だ。その家系で暮らしていたご令嬢ならば、たいそう大切に育てられてきたはず。

 外の世界も知らないような令嬢がいきなり知らない者達に捕らえられ、閉じ込められる。それは一体どれほどの恐怖であろうか。

 ……早く、助けに行かなくちゃ……。

 早く、最悪の事態が起こってしまう前にーー。

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