第5話

 舞踏会まであと五日となったブラウン王国の城内。城に滞在している貴族達の数も増えてきて、彼らは城と庭園の間にある壁際の廊下で対談を楽しんでいた。

 そんな彼らを余所よそに、庭園をきょろきょろとしながら走る少女が一人。


「ーー……兵の、訓練場って、どこだっけ……」


『ーーいいか。明日は陛下と王妃に謁見えっけんする。昼頃に訓練場の前で待ってろ』

 ……そう言われたのは、昨日の晩だった。それから朝には目が覚めたのは良いものの、再び迷子状態となってしまった。


「どうせなら、塔に迎えに来てくれたら良いのに」


 しかし、そんな事も言ってられない。今更いまさら塔に戻ったところで、絶対に面会の時間を過ぎてしまうだろう。

 ここはとりあえず、誰でも良いから陛下や王妃への応接室の場所を聞いてしまおう。うん、そうしよう。

 決意を固め、足を今までとは逆の方向に踏み出そうとした、その時……ーー。


「ーーーー……」


 不意に、ランシェルの足が止まった。

 別に、聞こうとしている訳ではないのに、耳に入ってきてしまってーー。

 別に見たい訳ではないのに、目をらせなくて……。

 ……ランシェルから五メートルほど離れた場所に立っていたのは、中年くらいの男性と、若い男性だった。

 どちらも貴族なのか、着ている服は上質なものだ。

 中年の男のほうが眉を曇らせ、何やら不満を述べていた。


「ーーなぜ、陛下はあのような男をこの城に置いておくのだ」


 低く、怒りを極限まで押さえたような声音だった。

 正面に立っていた若い男が同意の意を示す。


「全くですよ。あんな者、こちらの不利益になる前にさっさと追い出して下さいと、陛下には何度も申し上げているのに」

「陛下は変わり者だからな。何を考えているのかさっぱり分からん。それに、陛下はご存じのはずなのだ!あんな独特な色合いろあいをした黒髪を持つ者など他にはおらん!あいつはーーーー」


 ふわり、と両耳をふさがれて、ランシェルは唐突に音を無くした。

 かすかに上を見上げると、リュウが静かな瞳で貴族達を見つめている。それに気付いたのか、貴族達はばつが悪い顔をしながらその場を離れた。

 それと同時にランシェルの耳も解放される。


「……………………」


 風で花が舞った。あおられる髪も気にせずリュウを見つめるランシェルに、彼は瞳を降ろすと、先程と変わらず、静かな瞳でランシェルを見返す。

 そして、ゆっくりと口を開いた。


「ーーーー聴かなくていい」


 語調も静かなものだった。それがあまりにも淡々としていて、ランシェルは彼に、何も言い出す事が出来ない。

 彼はもう一度、ゆっくりと繰り返した。


「……お前は、ああいう話は、聴かなくて良いんだよ」


 ……昨日の離宮での召使い達の態度もそうだった。あの恐怖を抱いたような彼女達の瞳は、リュウに向けられていた。


 彼は一度瞑目めいもくし、再びゆっくりと開く。その瞬間、彼はいつもと変わらぬ笑みをみせた。それが逆にランシェルの心にぽっかりと穴を開け、それ以上何も言う事が出来なかった。




 * * *



 それからしばらくして合流したフィルと共に、3人は謁見の間に向かった。

 部屋の中にはまだ誰もおらず、3人は無言で待つ。

 だが、そう長くないうちに、小さな足音が聞こえてきた。


「ーーーーお待たせ致しました」


 優しい、男の人の声。それが聞こえたと同時に、リュウが玉座に向かって膝をつき、こうべを垂れる。フィルも胸に手を当て一礼した。ランシェルもそれにならい、スカートを広げて低く頭を下げる。すると、もう一つの優しい声が、ランシェル達を止めた。


「ここは非公式の場ですから、いつも通りで構いませんよ。どうか顔を上げて下さい」


 お言葉に甘え、ランシェルは顔を上げる。

 目の前にいる王と王妃に自然と視線が吸い込まれる。

 2人とも、さすがフィルの両親、と言おうか、金髪金目は当然の事ながら、優しい雰囲気が彼そっくりだ。

 こうして比べてしまうと、リュウの黒髪が妙に浮いて見えてしまう。


「……何?」


 視線に気付いたのか、リュウは半眼になってランシェルに問う。何でもない、と言って首を横に振るだけにとどめた。

 ちらりと王妃のほうに目を向けると、彼女と目が合った。こちらに優しい瞳を向け、にこりと笑ってみせる。


「ーーーー……貴女に会えるのをとても楽しみにしていました。……大きく、なりましたね」


 ランシェルは目を見開く。

 王妃が放った言葉以上に、王妃のその声に聞き覚えがあって、ランシェルは彼女から目が離せなくなった。


 ……この、声………。

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