雨の日に必要なもの
鈴ノ木 鈴ノ子
あめのひにひつようなもの
雨は嫌いだ。
雲の色は鼠色で、それが厚い綿のように空の全てを覆い尽くす、そして、泣き出す直前の子供のようにポツリ、ポツリ、と雨粒を落としてくる。やがてそれは大粒の雫となって数多くが地面へと舞い降りては消えてゆき、排水路沿いに水の流れとなったり、水たまりとなってその痕跡を残している。
こんな風に書けば美しく感じるかもしれないけど、現実はそうじゃない。
朝は髪の毛がとんでもないことになって手入れに時間がかかるし、触れるもの全てがジメジメと湿った感じがする。特に制服に袖を通すのが1番嫌だ、乾燥機にかけていてもどことなくジメジメしたような気がする。
それに傘を差しながらの通学は正直めんどくさい、かといって使わない訳にはいかないけれど、持っている手がだるくなるので邪魔だと思う。登校する制服集団の群れに混じって歩いてゆくと、通学団で登校している低学年の子たちがいた。
この子たちは要注意だ。
楽しくて仕方ないのだろうから、傘を振ったりするから周囲に雫が飛ぶのだ。これはたまったものではない。まあ、今回は高学年の子達が注意して止めていたので助かったけど・・・。
校舎内へとたどり着いても難関が待っている。下駄箱だ。ぶっちゃけるけど、上履きっている?靴のまま上がれば良いと思うんだよね。こんな日の下駄箱付近の匂いは卒倒しそうなほどにしんどい、もう、この世のありとあらゆる匂いをぶち撒けて、発酵させて腐らせたような、そんな最低な匂いだ。
「おはよー、どったの?」
同級生の友人でそしてクラスメイトでもある愛花が、傘を畳みながら私へ話しかけてきた。所謂、スポーツ美少女系の彼女は、短髪に日焼けした肌、健康そうな・・・・ん?
「愛花、靴はどうしたの?」
「え?」
小麦色の引き締まった
「ああ、だって雨じゃん、靴だとアウトだし、これなら学校指定で足を拭けば済むしさ」
なんてこった、水泳部の特権じゃないか・・・。いや、許されるのかどうかはわからないが、学校指定で考えれば条件はクリアしているかもしれない。
「さっさと行こうぜ、ここ臭せーし」
カバンからタオルを取り出した愛花が両足を拭くと、そのまま上履きに足を突っ込んで履いてきたサンダルを下駄箱に叩き込んだ。
「はいはい」
私も上履きに履き替えて校舎へと足を踏み入れる、靴の感触もジメジメとしているのがはっきりと分かる。床も滑りやすいので気をつけないといけない。気を抜くとほら、前の男子生徒みたいに派手に転び尻餅をついて周囲から笑われる。
「ねぇ、水泳部はサンダルで校内を歩いてもいいの?」
「ん?あ、そうだなぁ、プールとかから校舎に忘れ物した時とかに取りに行った事もあったけど、すれ違った先生には何にも言われんかったっけ」
ああ、競泳水着姿のままタオルだけを肩にかけて校内を悠然と闊歩して、部活動で居残っていた男子生徒の視線を釘付けにしたあの事件だ。
愛花はスタイルも良くて顔も綺麗なのに無頓着なところがある。
「てことは、私もサンダルを買えば履いてこれるかな」
雨の日にサンダルで登校できるのなら、靴の問題はあっと言うまに解決できる。靴と靴下を手提げに入れて持ってくることが必要になるが、足元が気持ち悪いとこと比べればどうと言うことはない。
「まぁ、水泳部でないからどうかわかんないけど、良いのかも・・・。それ言ったらさ、陸上部の連中が着てるパーカーなんて通気性とか着心地がいいらしいぜ」
「そうなの?」
「ほら、由美子のやつ、ジャージじゃなくてあれ着てること多いじゃん、前にさ、部活のために着てんのか?って聞いたんだけど、着心地良くてめっちゃ楽っていってたし」
教室に入ると、朝練を終えたであろう由美子が校名と陸上部と入った薄手の学校指定のパーカーを着て机に突っ伏して眠りこけているのが目に入った。
「な、雨の日で教室もジメジメなのに、あいつあれで寝てるだろ」
指差して笑った愛花に私も頷くと由美子が目を覚ましてこちらを見た。
「なに?」
「おはよ、由美子、朝練上がり?」
「おはよ、そうよ、あんたはサボったでしょ、水泳部のヨッシーがあいつサボりだなって言ってたわよ」
ヨッシーは体育教師の吉崎先生のことだ。厳しい指導で有名な先生だけど、先生の指導のおかげで水泳部は全国大会で常に上位をキープしてる。
「うわ、めんどくさ、まぁいっか、後で詫びとけばいいし。あ、ねぇ、由美子、そのパーカーって着心地いいの?」
「え?ああ、これ、めっちゃ着心地いいわよ」
「ほら、な」
「なに?着てみたいの?」
由美子はパーカーを脱いで私の制服の上からそれを着せてくれた。
肌触りはよくてとても良い匂いのするパーカーは確かに肌のジメジメ感がなく気持ちの良い生地のおかげでとても過ごしやすそうだ。
「ね、いいっしょ」
「ほんとだ、いいねこれ」
そう言ってパーカーを返すとふっと由美子の制服が目についた。
「それ男子の開襟シャツ?」
「えへへ、バレた?彼氏の借りてきちゃった」
男子の開襟シャツは生地が薄くて通気性も良い。
でも、由美子は派手な下着を好むタイプだから、ピンクの多分男子には毒々しいブラが生地から透けている。
「うわ、えっろ」
「どう?セクシー?」
胸を強調するように前かがみになった由美子に愛花が覗き込むように胸元をじっとガン見した。
「そんな小ぶりで何やってんだか?」
「やばいよ、ちょっと乳のでかい女が喧嘩売ってきた」
2人の非難合戦をかわして私は雨の日の服装を考えてみた。
水泳部のサンダルに陸上部のパーカー、そして男子の開襟シャツ、ズボンよりはスカートの方が涼しそうだから、下はスカートだろう。
「結局、パーカーにサンダル、スカートに男子の開襟シャツってのが、雨の日には理想なのかな?」
「何それ?」
「そんなこと考えてたのかよ?」
2人がケラケラと笑った。それはほぼ爆笑に近い笑いになってゆく。
「そんなに笑うことないじゃん」
「悪ぃ悪ぃ、だってさ、雨の日の服装なんて考えたことなかったからよ」
「私も、雨の日だって晴れの日だって代わり映えしないもん」
「変わり映えしない?」
「だってそうじゃん、私たちは部活に入ってるから服装なんだし、まぁ、彼氏のシャツは別だけどさ。でも、あんたほど恵まれてないよ?」
「私が恵まれてる?」
心外だ、朝からあんなに雨と格闘してきているって言うのに。
「恵まれてるじゃん、ほら、兎卯香が来たよ」
教室の騒めきが唐突に落ち着いた。
それは1人の女子が部屋に入ってきたからだ。
長い黒髪を束ねてポニーテールにして、整った顔立ちに素敵な微笑を浮かべた彼女、兎卯香は校則通りに制服を着ているだけなのに凛とした佇まいで、模範的な美少女と言っていい。男女共に友人が多く、そして教師たちからもウケが良い。これだけでも完璧なのに、さらに生徒会長、百人一首部部長として常に全国大会の常連であり文武両道、成績はケチのつけどころがないほどの優秀者で、全国模試では常に上位者。
神様ってのは1人の人間に与えすぎなのではないかと思えるほどだ。
「お、姫様登場だ」
愛花があだ名で呼んで口笛を吹いて囃し立てると、それに気がついた兎卯香はそよかぜが吹くかのように素敵な仕草でこちらへと歩いてくる。
後ろに薔薇の花でも咲いてそうなほどに優雅な身のこなしで見惚れてしまうほどだ。
「おはよう、愛花、由美子」
「おはよ、姫様」
「おはよ、兎卯香」
2人も和かに笑いながら挨拶を返した。2人とも兎卯香とは小さい頃からの幼馴染でとても仲が良い。
「おはよ」
幼馴染へ向けた笑みとは違うエキゾチックな笑みがこちらへと向けられた。視線を合わせると兎卯香の顔に血が昇っていくのがよくわかった。
「おはよ、兎卯香」
「何してたの?」
「何かさ、雨の日に楽して通学する方法を探してたみたいだぜ」
「雨の日に楽して通学する?」
そう聞いた兎卯香は右手の人差し指を顎に当てて考えるそぶりをした。普通の女子がやれば反感を買う仕草だけど、彼女は別だ。その姿に教室にいる男子の視線が釘付けとなるのが感じ取れた。
「雨の日って楽しくないかしら?」
兎卯香がその薄くグロスのひかれた素敵な唇からそんなことを言った。
「え?」
「だってそうじゃない?」
「まぁ、姫様にはそうだよなぁ」
「兎卯香にはそうよね」
透き通る雪女のような両手がこちらへと伸びてくると私の両手を握った。そして兎卯香はうっとりとした表情を見せる。
「私は雨の日に助けられたんだもの」
あの日、雨の日に車に轢き逃げされて結構な重症を負った兎卯香を助けたのが縁だった。救急車や警察へ逃げた車の特徴を伝えてそれが犯人逮捕へと繋がり、兎卯香の両親からはとても感謝された。
でも、兎卯香の身体には手術のために深い傷が残り、それが心に身体以上の傷を与えてしまったのだ。致命傷のような心の傷は幼馴染も寄せ付けないほどであったけど、助けたことを両親から聞いていたのか、私だけが面会することを許されて、毎日、毎日、寄ってはなにげない話をしながら兎卯香を励まし続けて、閉じてしまった心の扉を再び開くことができたのだった。
「結局さ、雨の日ってのは捉え方次第なんだよな」
愛花がそう言って笑った
「ものじゃないのよねぇ」
由美子がそう言って笑った。
「そうよ、ものじゃないのよ」
兎卯香が手を握ったままそう言った。
私もそういう考えに至る。
雨の日にどう過ごすために考えてきたけれど、でも結局、雨の日の過ごし方ってのは服でも持ち物でもない。
気の合った友人達とくだらない話をして、くだらないことを言い合って、くだらなく過ごすことだ。
こんな無駄な時間はずっとは続かない。だったら雨なんて小さいことは気にせずに楽しめばいい。
学生の特権とも言うんだろうか。私たちは人生唯一の自由の時間を、雨の日の晴れ間のような清々しい時間を生きているとか、どっかのへたくそな同人小説家が書いていた気がする。
「ねぇ、帰りは一緒の傘で帰りましょ、遊馬」
兎卯香がそう言って私の手を強く握った。
「そうだね、雨の日も悪くないかもしれない」
そう言って私、遊馬は兎卯香の手をしっかりと握り返した。
雨の日のことを考え探ることはこれで終わりだ。
雨の日に必要なもの 鈴ノ木 鈴ノ子 @suzunokisuzunoki
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