ぼくぼく詐欺

ふゆ

第1話

「もしもし、もしもし、ぼくだよ。ぼくぼく」

「……はい?」


 五月の連休の初めの日。


 ベッドに投げ出していたスマホの画面に「高田秋人」の文字が表示されて、私は秒で飛びついた。

 

 通話ボタンを押す前にはたと我にかえる。大きく一つ深呼吸する。


 危うく電話を待ち構えてたと思われるところだった。


 一ヶ月前、中学からの帰り道で『実は、ずっと気になってた』とぽつりと呟くみたいにして告白された。


 私より頭ひとつ分大きい高田くんの耳は赤くて、私の顔も負けないくらい赤くなってたと思う。

 

 学校ではまだ秘密の仲。


 早く誰かに話したいけど、まだ二人で秘密にしておきたい気持ちもある。


 ようやく通話ボタンを押そうとして気がついた。


 これ、アプリ経由じゃなくて電話回線でかかってきてる。


「無料通話分が余ってるのかな?」


 首を捻りながら耳に当て、聞こえてきたのは低い落ち着いた声ではなかった。

 舌足らずで、ぼくぼく言ってる幼い声。


「お姉ちゃん、今一人?」

「うん、一人だけど」

「わあ、ぼくもだよ」

 ぱあっと明るくなるような笑い声。

 よく分かんないけど、つい電話口でへらっと口元が緩んでしまう。

 

 ああ、分かった。

 小さな子が高田くんの携帯で遊んでて間違ってかけてきちゃったんだ。

 確か年の離れた弟がいるって言ってたもんね。


「こんにちは。お兄ちゃんの携帯、勝手にいじっちゃ駄目だよ。お兄ちゃんに怒られちゃうよ」

「ええ、違うよ。怒られるのはお兄ちゃんだよ?」

「え、どうして?」

「だって、家で怒られるのはいつもお兄ちゃんだもん」


 意外だった。

 大人びていてあまり笑わない高田くんが家で怒られてる姿なんて、ちょっと想像できない。


 このまま聞いてていいのだろうか、と思いつつスマホを握り直し、ついでに正座になる。


 まだ付き合って一ヶ月。高田くんの姿はほとんど学校でしか知らない。家ではどんな感じなんだろう。


「お兄ちゃんね、最近全然勉強しないって、お母さんにもお父さんにも怒られてるの」

「え、そうなんだ」

「うん、彼女が出来たからじゃないかって、言われてる」

「……彼女ができたせい?」

「受験生なのにどうするの。別れなさいって、喧嘩になってた」

「へえ……」

「毎晩だよ?」

 強調されて、丸まっていた背中を伸ばした。そんな気はないのだろうけれど、責められてる気がする。


 私のせいで高田くん怒られてるなんて知らなかった。


 確かに、付き合ってからは毎日一緒にいて。帰ってからも一時間に5回はLINEして、通話しながら寝落ちして。


 そっか。そう言えば、勉強してる時間なんてないよね……。


「お姉ちゃん、お兄ちゃんの彼女なんだよね?」

「え、ええ、まあ、そうですかね」

「お姉ちゃんのせいでお兄ちゃんの成績落ちてるんだよね?」

「そっ、そうなんでしょうか……?」

「ねえ、このままお兄ちゃんが勉強しないならさ。別れてもらうことになるけど? いいの?」


「勉強してもらいます」


 それはもう同意。

 連休はどこに行こうかと考えてたけど、図書館にしよう。このまま別れるなんて絶対に嫌だ。


「本当に? 何度も言うけど、ママすごい怒ってたらね。勉強しないならデートしちゃダメです、あきと、ってさ」


 え。


 あきと?


 ここまで高田くん家族に恐縮しきりだったけど、その一言は一気に背筋が冷えた。


「ねえ、弟くん。ママはお兄ちゃんの名前を、あきと、って言ったの?」


「ううん、あきひと、だよ」


 相変わらず舌足らずだったが、慌てて言い直してたような言い方だった。


「…………」


 秋人は『しゅうと』と読む。フルネームは、たかだしゅうと。



 小さいからって、こんなにハキハキ喋ってる子がお兄ちゃんの名前を間違えたりする?


 え、嘘でしょ。この子、弟さんじゃないってこと?


 弟さんの振りをしてる子?


 というより本当に子供なんだろうか?


 なんか、大人が子供を真似して喋ってるみたいにちょっとわざとらしいような。


 深呼吸して頭を振る。


 落ち着いて。これは悪戯だから。


 高田くんがボイチェンか何かで私に悪戯してるに違いない。


 リアルタイムでボイスチェンジできるガジェットがあるって話、聞いたことあるし。


 自分の名前を間違えたのは、きっと私へのヒントだ。


「あの!」

「なに?」 

「あの、高田くん、だっ、大好き!」

「なんなの。急に、やめてよ」


 急に大きな声を出して驚いていた様子だったが、途端に不機嫌そうな声に早変わり。


 前にも高田くんに似たようなことを言ったことあるけれど、それはもう挙動不審になって見ていられない様子にはなっていた。


 けれどそれは不機嫌とは程遠い。むしろちょっと嬉しそうで。


「……」


 と言うより、しまった、これ、私の方が恥ずかしいやつ!

 

 落ち着いて。ベッドに頭を打ちつけてる場合じゃないから。


 本当に。誰なんだろう、この子。


 正体が分からなくて、どんどん怖くなってくる。


 まさか、犯罪?


 高田くんが誘拐されて、その犯人が高田くんから携帯を奪ったとか。


「…………!」


 そして、彼女の私に電話をかけてきて。

 高田くんに勉強させろと言っているのね……。


 ――そんな訳ないじゃん!


 なんなんだろう。本当に訳が分からない。


「あ」

 そう言えば、このスマホ、最近変えたばっかりで、お父さんにフリマサイトで落としてもらったスマホだった。


 もしも売主がハッキングツールを仕込んでいて、私のデータを移した直後に個人情報を全て抜き取って、勝手に操作していたとしたら。


 「うわ、やだ」

 思わずベッドの上にスマホを投げる。


 恐怖にも程がある。

 

 ハッカーは、私の彼氏を装って私に電話をかけてきて。


 高田くんに勉強させろと言っているのね……。

 ――そんな訳ないじゃん!


「もしもし、どうしたの? ねえ、お姉ちゃん!?」


 ベッドの上で光っているスマホから、喚き声が聞こえてくる。


 通話時間はもうすぐ五分。


 ごくりと喉が上下する。高田くん、本当に何があったんだろう。


 目の端に本棚が映る。並んでいるのはアガサ・クリスティ全集。


 シーツに埋もれてるスマホに視線を定める。


 こういう時は。


「灰色の脳細胞を使う」


 角度を変えて考えてみよう。


 この『ぼく』がどうして勉強させろと言っているのか、ではなく、どうして高田くんに勉強してほしくてかけてきたのを考える。


 高田くんが勉強するようになれば、私に構っている時間は減る。


 そして高田くんが勉強すれば、私にも勉強する時間ができる。

 

 この二つを合わせれば、自ずと答えは導かれる。


 静かに目を閉じて、肺が破れるんじゃないかってくらい、大きく息を吸った。


「わあああああ!」


 全身から絞るように大声を出すと、数コンマずれて電話口からも私の声が聞こえてくる。


「やっぱり!」


 壊れるくらいの力でドアを開け廊下の奥へとどかどか突き進む。


「ちょっと、高田くんの弟のふりしてたのお父さんでしょう!」


 奥の部屋のドアを開けると、ゲーミングチェアに座っていた父はびくりと体を縮こませる。


「何のことぉ? 全然わかんないんですけどぉ」


 ラフな休日スタイルの父は、剃っていない顎髭をいじりながらとぼけてみせる。


「私にボイチェンのこと教えてくれたの、ガジェットオタクのお父さんだよね」


「……」


「私のスマホに勝手に高田くんの名前で番号登録したでしょう。ていうか、どうやって私のスマホのロック解除したの? あ、高田くんの誕生日に設定してたから、それで推測したのか」


 父の顔色がどんどん悪くなるのを見て、予想は確信に変わる。


「そっか、お父さんは、高田くんの誕生日知ってるもんね」


「そりゃ知ってるよ。明日は高田くんの誕生日、ってエリカが大はしゃぎしてケーキ作ってたの見てたからね。お父さんには一口もくれなかったけど」


 拗ねたように唇を尖らせていた父は、私の形相を見てぎょっとしたような顔になる。


「分かった、分かった、悪かった! エリカちゃんが最近勉強してる様子がないから心配だったんだ。それだけなんだよ! 神に誓ってスマホはアドレス帳しかいじってないから!」


 観念したように父は後ろ手に隠していた携帯を前に出す。スマホにケーブルで黒い小型の機械がつながっていた。


「これがボイスチェンジャー?」


「そう、意外と小さいでしょ? これは通常の通話アプリだけで音声変換できる優れものでさ。声色を調節したら、あとはマイク付きイヤホンで喋るだけで変換するスマート仕様で――」


「ガジェットの解説いらないから」


 嬉々として喋りだした父を視線だけで留める。とても聞いていられる気分じゃない。


「ていうか、この携帯、いつものお父さんのでっかいiPhoneじゃないよね。Androidだよね」


 言いながらはたと気づく。


「あ、そっか、お父さんのいつもの番号だと着信時にお父さんの名前出ちゃうから。――え、ということは、わざわざ新しく番号契約したの?」


「ご名答! 月額無料の格安電話会社があるからね」


 わざわざ新しい携帯電話番号をゲットするために契約手続きをするなんて……、恐るべし父の執念。


「エリカちゃん、すごい。探偵みたいにスイスイ当てるね。受験もきっと楽勝だよ。ちゃんと勉強すればね」


 小さい子供を誉めるように言うのでくすぐったくなる。もう、私が怒ってるの忘れてるでしょ。


「だったらさあ、こんなに回りくどいことしないで直接勉強しろって言えばいいじゃない」


「だってエリカちゃん、最近全然パパのいうこと聞いてくれないじゃん!」


「自分のことをパパって言うなあ! パパなんて私もう呼んでないでしょ! ああもう、犯人がお父さんで良かったあ。秋人が犯罪にあったのかと思ったあ」


「……しゅうと、って読むのかそいつ」


 彼氏の振りをするにはさすがに無理がある。

 だから無知な子供の振りをすればバレないのではないかと思ってついやってしまった、と完落ちした父はぽつりぽつりと白状してくれた。


 はあ、そもそも勉強してなかった私たちが悪いんだよね。


 この連休はやっぱりちゃんと勉強しよう。


 図書館じゃなくてお家で。お父さんがいる時に、彼氏と二人きりで私の部屋で。


 父はパグ犬みたいな顰め面でジュースとお菓子を運んできてくれたけど、何も言わずに引っ込んでいった。


 勉強しろって言ったの自分だもんね。


 私は恐縮しきりの秋人を横目にしつつ、数学の問題相手に灰色の脳細胞をフル回転させたのだった。

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