狼の遊戯

@hinorisa

第1話 狼の遊戯

 ——今、この山荘での状況を一言で例えるならば、殺人事件発生。

 そんな意味のない台詞を脳裏に浮かべながら、旅人は目の前の光景を他人事のように眺めていた。

 まるで窓ガラス越しに外の景色を漠然とした——恐怖でも怒りでも興味本位でもない、何かが彼の中を占めている。

 けれど彼にとって、目の前の事象は他人事ではない。むしろ当事者のうちの一人だったりする。

 そして旅人の隣では相棒が面倒くさいことに巻き込まれたと、旅人の——あくまで自身は巻き込まれただけ——トラブルに好かれている体質に呆れている。

 旅人自身、その辺りのことは否定も肯定もできないので、あくまで自身の運の悪さには、たまにため息を吐きたくなったりする。


 ——この場で旅人達と同じ状況で同じ立場の人間が十一人いる。旅人達と似た状況ではあるが、彼らはそれぞれ違う反応を見せていた。

 ある者は初めて見る殺人現場に顔を引きつらせ、ある者は状況についていけずにおろおろと動揺しているし、ある者は明らかな殺人に回りにいる他者の反応を窺っている。

 部屋の外では悲惨な光景から遠ざけられた子供が、自らの母親と何か話しているようだった。


 ——事の始まりは、とある山荘に十三人の老若男女が滞在したことから始まった。

 旅人と相棒は明確な目的をもってこの山に登り、この山荘に宿泊していた。

 この山荘は登山シーズンは連日満室は当たり前で、大部屋での雑魚寝も仕方がないほどなのだが、シーズンからずれた今の時期は登山者はかなり少ない。

 一部の登山好きの上級者が少人数で登る程度。地元の人間の殆どが、この時期に山に足を踏み入れるのを忌避している。

 これには明確な理由があり、この時期は山が濃霧に覆われて視界が悪くなるうえ、水分でぬかるんだ地面は滑りやすい。気候が安定せずに大雨などが降り続き、流れる川は増水して流れも速い。

 この話は旅人達が麓の町を訪れた時と、この山荘を切り盛りする管理者とその家族に何度も忠告を受けている。あくまで自己責任だと。

 管理者の一家は両親と息子の三人家族で一族で経営している。シーズン真っ只中は別の親族が切り盛りしていて、季節ごとに交代して建物の管理をしていると雑談で話してくれた。


 この時期にしては管理者家族を抜いて十人も同日に泊まるのは珍しいと、父親が夕食時に話していた。宿泊客が居ない日も珍しくないそうだ。

 管理者家族も商売のためというよりは、建物や敷地内の管理や、シーズンに向けて準備が主な仕事だという。

 彼ら家族は、念のために食料の備蓄をしていたそうで、全員分の食事と寝床が用意できて良かったと胸をなでおろしていた。


 友人だという男性三人組と、個人的な登山客が男性三人と女性一人の合計四人。——そして今回の被害者の女性。

 ——合計で十三人。一人が殺されたので必然的に残りの十二人が容疑者となる。もしかしたら外部に犯人が居て、すでに逃げているという可能性もなくはないが、それだと被害者の女性一人だけというのも妙な話だ。

 目的が金銭面ならば他の宿泊を狙うか、部屋が荒らされているはずだろう。だが目立った被害はなく、それを訴える者もいない。

 女性は鋭い刃物でめった刺しにされている。素人目にはどれが致命傷になったのかは分からない。……というよりは、素人は目をそむけたくなる惨状だ。


 一般人よりも血や怪我には耐性のある旅人は、改めて犯行現場を観察する。

 犯行現場は女性の止まっていた一人用の部屋。人数が少ないので、それぞれに部屋を割り当てられているため同室の者はいない。

 部屋中に飛び散った血液が、誰も求めていない独特の内装を作り上げている。部屋に充満する血の鉄の匂いが旅人の鼻を麻痺させてくる。目にも鼻にも精神的にも衛生的にもよろしくない部屋だ。

 窓は柵がついていて内からも外からも出入りはできない。

 部屋に鍵はついているが、発見時には鍵は掛かっていなかった。道具さえあればピッキングは可能な簡易的なものだ。実際に旅人にも可能のなのだが、空気を読んでわざわざそんなことは口にしない。

 女性の荷物は置かれたままで荒らされた様子もないため、物取りの犯行は薄くなる。

 執拗なまでに刃を振り下ろし数十か所を刃物で刺しているあたり、そこには明確な恨みの類が感じられる。

 登山客ならば持っているであろう合羽を着れば、返り血も殆ど浴びないだろう。さすがに犯行の際の道具は処分するか、どこかに隠している筈だ。

 ……旅人の能力でわかるのはこの程度だ。普通の人ならば卒倒物なのだが、当人は平然としており、何気に精神力がおかしいほど強かったりするのだが、その辺りは本人は無自覚だったりする。

 旅人を思考の中から引き揚げさせたのは、相棒が何気なくした提案によるものだった。


「……とりあえず、犯人を捕まえて隔離しておくか」


「——……え?」


 突然の爆弾発言に旅人は唖然としながら横に立つ相棒を見る。いつもと変わらない雰囲気で、何気ない日常の中で食事にでも誘うかのようだった。


「何を言って——」


 旅人の相棒への批判はそこで止まってしまい、それ以上は言葉を紡ぐことができない。

 ……この場で異常なのは自分なのだと気がついてしまったからだった。

 旅人を除く、この場にいる全員が室外の廊下の隅で佇んでいた女性を見ていたからだ。

 ……確か、個人客として止まった女性だった。理由も分からぬままに、遅ればせながら旅人も相棒に倣うことにして、女性の方を向く。

 一斉に複数の視線を向けられた女性は、一瞬で硬直して顔を真っ青にしている。

 この異様な状況に対する恐怖。全員の視線。犯人として拘束されるということに対するものなのか、それら以外の理由かは旅人には判断しかねた。


「……一体、な、何のつもりですか?私が、……犯人だとでも言いたいのですか?」


「ああ—―。あんたが犯人だな」


 間髪入れずに返答する相棒に、女性は明確な敵意と恐怖を顔に浮かべて睨みつける。

「人聞きの悪いことを言わないでください!他の人も!何の根拠があって私を犯人呼ばわりするんですか?」

 その意見に心の中で同意しつつ、旅人は黙って相棒の背中を見て答えを待つ。相棒は彼の方をちらりと一瞥すると口を開いた。


「根拠というか、単純にあんたが鉄臭いからだが。血の匂いがあんたからする」


 根拠というにはあまりにもふわふわとした形のない答えに、女性は目じりを釣り上げて、耳を突き刺すような甲高い声を上げる。

 大半の人間を不快にするであろう不協和音に、旅人は思わず顔を顰めた。見るとその場にいる何人かは、耳を手で覆って音の侵入を阻もうとしたり、控えめにだが眉を顰めて発生源を睨みつけている。


「血の匂いがするって、そんないい加減なことを言って、私を馬鹿にしているんですか?」


 興奮して一気にまくしたてる女性に旅人は若干引きながらも、相手の反応は間違ってはいないので、相棒のさらなる追求の手を待つ。


「——後は、単純に素人仕事だってことだな。急所の正確な位置が分からないから無駄に差す回数が多い。恨みも多少は混じっているだろうが。出血量が多くてわかりづらいが、傷跡の深さが浅い。普通に考えれば、力の弱い人間の仕業だろう。——これらの状況証拠から、俺はあんたが犯人だと断定した」


 もっともらしい言い分ではあったが確固たる物的証拠はない上に、同じ条件でいえば管理人の奥さんも当てはまる。

 旅人としては、さすがに十歳前後の子供が犯人だとは思いたくはないし、可能性も低いと思える。


「だったら、管理人の奥さんはどうなの——!彼女だって女で、何よりもこの建物に精通していて、鍵だって持っている。うろついていても怪しまれない」


 女性は外の廊下で、開いた入り口越しに中をのぞいている奥さんを指さした。指さされた当の本人は驚いた様子もなく、平静そのもので静かに情勢を見ている。むしろ何の感情の起伏が見受けられないことに、旅人は違和感を覚えた。


「いや。それはない。あの人ならば、一発で仕留めるだろうし、出来なかったとしてもこんなに無駄に傷つけるような真似はしない。労力と時間の無駄だし、無意味に誰かをなぶるような真似はしない」


 確信に満ちた相棒の言葉に、旅人は思わず口をはさんでしまう。


「……奥さんと知り合いだったのか?何度かこの山に来たことはあるが、ここに泊まるのは初めてだと言っていたが……」


 元々この時期のこの山に登ることを提案したのは相棒で、近くの町に立ち寄った際に、荘厳とそびえる山を眺めていて唐突に言い出したことだった。

 山のことを宿屋の店員に聞いたところ、この時期は霧が深く地面もぬかるんでいて足場も悪い。観光目的の登山はよした方がいいと注意を受けていた。

 そのことも相まって、地元ではあの山は怪物が霧の潜んでいて、人を惑わして食べてしまうとまで言われた。実際、死体が見つからぬままのことも多々あったらしい。

 ——けれど、この時期の山は知る人ぞ知る、絶景が見られるというのも事実だった。足しげく山に通い、経験と技術を積んだ玄人だけが見れる褒美のようなものだと。

 一時期はその話を聞いたにわか客がこの時期に押し寄せて、遭難が相次ぎ、町の人達も救助するのにてんやわんやして大変だったとのこと。救助隊の二次遭難まで起きてしまったそうだ。

 旅人からの問いかけに相棒は横目で彼を見ながら頷く。


「ああ。その通りだ。この場にいる者達とは基本的には初対面だ。連れのお前以外はな。けど、彼女はそんなことはしない。する意味がない」


 初めて会った相手に対して、そんなことをする人物ではないと言うのはいささかいい加減ではないかと、旅人は眉を顰めた。

 そういう反応が返ってくると察していたのは、相棒は肩をすくめてからかうように笑う。


「そこの奥方が犯人ならば、いくらでも方法はあった。死体の隠蔽だってやろうと思えばできたはずだし、もっと都合のいい場所で殺したはずだ。それに、わざわざ刃渡りの短い殺傷能力の低いナイフ何と使わない。——何より単純な腕力でいえば、彼女の方がお前よりずっと強い。いざとなれば、刃物なんて使わなくても殺せる」


 管理者の奥さんは中肉中背で、大人の男で一般人よりも鍛えていて心得のある旅人よりも強いようには見えない。単純な腕力でいっても、旅人の方が明らか強そうに見える。


「……まあ、細かいことは後で説明する。少なくとも、お前とその犯人以外はこの説明で——説明する前から納得している。とりあえずそこの女をどっかに閉じ込めてからだ」


 その言葉通り、旅人と女性以外は全員がそれで納得して同意をしている。旅人は納得はできてはいないが、相棒がそう言うならと同意をする。

 いよいよ自身が追い詰められているのが分かっているのか、女性は私は違うと騒いでいるが聞く耳を持つ者がおらず、完全な四面楚歌な状態では大した意味はない。

 女性は観念したのか項垂れて、管理人の誘導に従って客の男性達と部屋を出ていった。

——が、部屋を出て行って少ししてから、男性たちの驚いた声と女性の金切り声が聞こえ、どたばたと乱暴な足音と物が激しくぶつかる音がした。

 それを聞いた旅人達が部屋を出て音の方へ行くと、物が散乱し、男性達が床に座り込んでいて、その腕からは鮮血が零れ落ちていた。

 玄関の扉は開け放たれ、管理者が誰かを追いかけて遠ざかる背中がちらりと見えた。


 観念して大人しくなった女性をとりあえずは部屋に入れて、唯一の出入り口の扉を家具で塞いで閉じ込めることにした。

 けれどその部屋の扉を管理人が空けようとした途端、女性が暴れて隠し持っていたナイフで傍に居た者達を切り付け、近くにあった椅子や置物を投げて牽制し、彼らが怯んだ隙に外に飛び出していった。

 女性を逃がしたことに客の男性二人は皆に謝ったが、むしろ怪我をさせられたのだから彼らも被害者だろう。管理者の奥さんに手当てをしてもらいながら、情けないと肩を落としていた。


 管理者は逃げた女性を追いかけて外に出ていたのだが、やがて戻ってきて見失ったことを報告してきた。

 運の悪いことに、近年まれにみる濃霧で視界が悪い。追うだけならばできるが、道を見失ってしまえば戻ってこれるか分からないため、追跡を断念した。

 ——結局の所、女性は犯人だという恰好足る証拠を見つけることはできなかった。だがナイフを持ち、人を切り付けて逃亡したあたり、やはりそうだったのだろう。

 犯行理由は分からないまま。被害者との接点も。犯人が無事に山を下りることができるかも。


 あの後、遅めの朝食をとり、各々が自らの部屋に戻っていた。

 旅人と相棒は陽が昇る前に宿をチェックアウトして、深い霧の中、相棒に連れられて頂上を目指して歩いた。

 深い霧の中に出ていく旅人と相棒に、管理者は昼食用の弁当を渡しながらお気をつけてと、奥さんと子供と一緒にわざわざ外に出てまで見送ってくれた。

 あれだけこの時期の山は危ないと言っていた割には、すんなりと旅人達を送り出したのは、相棒がいるから大丈夫という理由だろうと、旅人にはなんとなく察しがついた。


 深い霧は旅人の体に纏わりつき、体を覆う外套を濡らす。高めの湿度のせいでじっとりとした汗が体力を余計に消費させる。

 視界は悪く一メートル先すら霞む始末。足元にはしっかりと舗装された道はあるが、うっかりと道を外れてしまえば遭難は逃れられないだろう。前を確かな足取りで迷うことなく進む相棒の背中を見ながら、旅人はかねてからの疑問を口にした。


「——どうして、ほかの客や管理人達は、意見に賛同してくれたんだ?」


 相棒はちらりと後ろの旅人を一瞥して、すぐに前を向く。


「それはあの場にいる全員——お前と犯人の女以外は、俺と全く同意見だったからだ。全員があの女が犯人だと思っていた」


 あの時初めて会った者達全員が証拠があるわけでもないのに、同意見。それはおかしな話だ。

 だが、不意に相棒の血の匂いがするという言葉が脳裏をよぎった。あの時、あの場にいた全員が相棒の意見に何も口を挟まなかったのは、全員が女性の体に染みついた血の匂いに気がついていたのだとすれば。


「——つまり、あの場にいた女性と被害者と私以外は……」


 答えに辿り着いた旅人が顔を上げると同時に、立ち止まった相棒の背中にぶつかってよろけてしまう。その腕を相棒が掴んで引いて自分の横に並ばせる。

 顔を上げて目の前の光景を見た旅人は息をのんだ。

 目の前に広がるのは、深い霧の海とそこに沈む山々。ゆったりと流れる雲海を朝日が照らし、日を飲み込んできらきらと輝いて見える。

 それは自然が作り出した壮大で、人間には手の届かない光景。


「いい景色だろ?俺も昔見た時、すごいと思って、霧が無くなるまで見ていた」


 それは確実に、旅人と相棒が同じ感想を、全く違う考えの二人が同じ様に心を動かした瞬間だった。


「たとえ全く違う価値観でも同じものを綺麗だと思えるなら、——それで良いんだよ」


「——明確な理由を求めるのは人間だけだろうさ」

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