4話

「ごめん! 大事な用があったの」

「あるわけないだろ、アオイに大事な用なんて」


 嘘で切り抜けようとしたがすぐに見抜かれた。


 まあ、べつに、図書委員の仕事なんて、いつもソウタ一人でやっているようなものだ。ソウタもそれを分かっているからか、特に文句も言わずに貸し出しの判子を整理していた。


「で、なにしてたんだ」

「気になる?」

「いや、一応、聞いてやっただけだ」


 顔も向けずに偉そうに言うソウタ。


「ねえねえテンシツキって知ってる?」

転失気テンシキなら知ってる」

「なにそれ」

「おなら」

「あははははは!」

「なに急に笑ってんだ」

「いや、お、おならって、なに急に? ギャグ?」 

「『傷寒論しょうかんろん』という中国の古い医学書に書いてある、らしい。お前こそなんだ急に」

「いや、それがさあ」


 職員室でカナエ先生が言っていたという所から、ヤベ先生、教頭先生、校長先生に話を聞いてきたことをソウタに話す。ちょうどチャイムが鳴る。授業5分前だった。図書室にカギをかけたところで話を終えると、ソウタは「わかった」とつぶやいた。


「それ、たぶん教頭も校長も間違っているな」

「え、なんで?」

「文脈からしておかしい。占いも家電も授業中に出てこない」

「じゃあテンシツキってなんなの?」

「おならのことだろ」

「あはははははは!」

「いい加減にしろ」


 笑いの止まらない私のほっぺを、ソウタがぐにぃと引きのばす。


「普通は転失気という言葉も使わないが、ほら、カナエ先生はほかの実習生より少し年齢が上だっただろ。あれは薬学部から転向したからだって挨拶の時に話していた」

「私、聞いてないよ?」

「お前はいつだって人の話をろくに聞いてないよ」


 痛むほっぺに冷たい視線が突き刺さる。


「とにかく、恐らくテンシキを言い換えて、テンシツキと友達の間くらいで言っていたんだろう。おならと言いたくなくて、テンシツキとつい言ってしまったんだ」

「じゃあ天使憑きって?」

「教頭先生は知らないと言えず、見栄を張ったんだ」

「天湿器って?」

「校長先生は知らないと言えず、見栄を張ったんだ」


 説得力はあったが、私はソウタの言うことを信じるというのも納得いかず、頬をふくらませて下唇を上向かせる。納得いきませんというジェスチャだ。


「あと、俺の席だけは聞こえた」

「なにが」

「カナエ先生がおならしたの」

「あはは! ……いや、それ最後に言うのずるくない?」

「ずるくない」


 階段を降りる。5年3組の教室はすぐそこだった。


「じゃあ知ってたのは担任のヤベ先生だけだったんだね」

「どうかな。あのな、ヤベ先生にこう言ってみろ」


 ソウタが私の耳に口を近づける。くすぐったくて笑ってしまうと、今度は耳を引っ張られた。

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