第4話「反逆者」
目を覚ますと目の前が霞んで見える。泣いている事に気付く。
けれど何故泣いているのか分からなくて、けれど心にはぽっかりと開いてしまっている感じがして苦しい。
精霊たちが心配そうに顔を覗き込んでくる。心配はないと微笑んでやる、すると泣きそうな顔で頬にすり寄ってくる。
「さて、行こうか」
いつものように制服を着て、腰には護身用の剣を携帯して玄関の扉を開ければその先は晴天に恵まれて活気立つ街が待っている。
ゼーレに着けば仕事は沢山溜まっている。
ナインがまた外に出掛けてしまった基、任務に出てしまい今日までの期日の資料や提出物の確認が終わっていないのだ。
そしてローズとの打ち合わせもまだ終わっていない事ばかりだ。
それでも、元の世界での生活を思い返せばはるかにましだと思える。
「副隊長。休憩にしませんか?いまお茶とお菓子をお持ちしますね」
「あぁ。助かるよ」
気遣ってくれる仲間がいて。
「副隊長!聞いてくださいよ!訓練なのに本気で殴りかかってくるんですよ」
「怪我のないようにな。本番で活躍してほしいから、ほどほどにな」
「はーい」
頼ってくれる仲間がいる。
この小さな幸せを感じられるくらいには余裕が出来ている。
あの不幸な呪いはただの都市伝説ではなかったのだろうと思い知らされる。
「失礼する。ナインはいるか」
「すまないルーナ。ナインはいまいないんだ」
「またか…一応聞いておこう。いつ頃帰りそうなんだ」
「この現状を見て俺が言えることは無いよ」
「…そうだな。クリア至急この資料を見てサインをくれないか」
「……これ、ナインじゃないといけないんじゃ…」
「規定に基づけばそうだが、あの馬鹿がいないんじゃ間に合わない。こちらから連絡はしておく、急ぎだ副隊長のクリアのサインでも構わないだろう」
「兵器を使用するほど、危険なのか」
「…何とも言えない。だが、隣国の雰囲気がおかしいことは確かだ。半月の来る時、判決は下される…そんな不穏なカードがゼーレに寄越されたとしたら警戒をしておくに仕方がない。ゼーレは強固な結界を張っているが街の人々をシェルターに誘導する前に落とされては意味がない。これも必要なことだ」
魔力は絶対ではない。その者の保有量は個人差がある。
騎士は結構な人数がいるが魔力を際限なく扱える人間は限られている。
魔法道具にも魔力を使う。いざとなれば剣を用い近接戦として敵と相対するしかないのだ。
四つの神が支配するこの国は、その光を失えばこの国は闇に飲まれ人間は屍となるだろう。そうなれば転生をした意味もなくなるだろう。
「はい。いまの状況はどうなっているんだ」
「いま確認中だ。シャイン部隊とイーグル部隊が二手に分かれて探索をしている」
「こちらからの手も必要か?」
「数人借りられるか。もう少し詳しい現状が知りたい暗躍に向いている人材だと助かるのだが…」
「分かった。すぐに向かわせる」
「感謝する」
「この事を神は知っているのか?」
「恐らくな」
「承知した」
「ナインにはこちらから知らせよう。すぐに戻るように伝える」
「すまない…」
「いや、構わない。アイツには一度お灸を据える必要があるからな」
「そうだな」
「心配するな。何も起こらないさ」
クリアはサインをした文書をルーナに手渡した。
隣国、テルウス。数年前まで音沙汰もなく特に目立った事象もなく警戒対象外だった国だ。それがごく最近になって急に動き出した。
あれは月夜の夜。紅い月の満ちる日に訪れた災厄だったのかもしれない。
空は晴れているの雨が降っていた。誰かが言ったまるで泣いているようだと苦しんでいるようだ、と。
あの日クリアはその月を巡回中に目にした。ナインとの巡回で気持ちの悪い天候だとナインは言った。それにクリアは黙って頷くばかりでナインの嘆きを半分でしか聞いていなかったが、城壁の上で隣国が燃えている様子を見た。
黒煙が立ち上り、赤い炎が燃えている。その様子がまるで暗黒の闇の呪いのようだと心なしかそう思ったことを覚えている。
「………」
「クリア副隊長!」
「うわ!!な、なに…」
「シャドウ様がお呼びです」
「…今行く」
あの日の記憶に呆然としていた。
あの日以来、隣国の嫌な噂しか耳にしなくなった。
考え事をしながら、廊下を歩く。
「はぁ…」
「盛大な溜息だな。幸せが逃げちまうぜ」
「?!」
「おっと、待った…。話をしないか」
「お前は…誰だ…」
「知っているはずだぜ。初めましてじゃない」
「そんなこと…!!」
「いや。お前はオレを知っている。そしてオレはお前を知っている。そうだろう、クリア・ハーツ」
「…なぜ…その名を…」
心臓が一際大きく高鳴った気がした。
その名前を知っている者は唯一と言っていい。だが、有り得ない。
有り得ないのだ。
掴まれた腕が熱を持って、熱い。引き寄せられる体が相手の体に近付けば耳元に寄せられた顔がニヒルに笑んで、何かが壊れる音がした。
その瞬間に警報が鳴って、非常装置が作動して上から水が降ってくる。
眼前が開けて怒号がかなり遠くから聞こえるようだ。倒れ込む体を駆け付けたルーナが支えてくれる。
「どうした!!何があった!!」
「……」
「ルーナ!クリア!!」
駆け付けたリンが、クリアの濡れた髪を掻き分けてくれる。が、その表情に焦ったような困り声で頬を優しく撫でる。
「クリア、キミ…何故泣いているんだ…」
「どこか怪我をっ?!」
「…ぁ……っ」
「え?」
「アーツ……」
「?!」
クリアの消えそうな怯えたような声に二人は驚いて顔を見合わせた。
その名前に身に覚えがあっただった。
「そう、ですか…」
「はい。いま医務室でリンやルーナ共にケアを受けているという事です」
「承知しました。ケアが終わり次第こちらに向かうように言付けてくださいますか」
「畏まりました」
シュバルツ部隊の隊服を身に着けた隊員が部屋を出て行く。
微笑みを宿した表情は消え去り、苦悩の表情をしたローズは窓の外を見つめる。
今日は半月だ。月の支配者が一番好むこの日、彼が来た。
月は裏の支配者だ。あの者は全てを見つめ全てを記録する神だ。
あの者が出てきたという事は、このままではこの世界は幕を閉じる。
「なぜ…ノワール。貴方は何も言わないのですか…このままただ眺めるだけのおつもりですか…ノワール」
ナインは河川敷で報告を聞いた。
一人の名を聞いて表情をより一層暗くする。
「アーツ…生きていたのか…」
「隊長、如何なさいますか」
「早急にゼーレに帰還する。転移魔法を準備しろ!」
ナインの号令に隊員達は一斉に魔法陣を描く。
ナインはその魔法陣の中に入ると眩い光に包まれそこは先程までとは違い静けさを取り戻した。
「戻ったか…」
「ルーナ」
「人助けは大いに結構だが。仲間を見殺しにでもするつもりか」
「……」
「言い返さないのは肯定と見なすが」
「ルーナ。落ち着け」
「リン。いいんだ。こうなってしまえば何も言えないな。すまない彼らを信頼して傍を離れたと言えば言い訳になるのだろうか」
「長期遠征は事前に申告しろ。お前らの隊は不安定すぎる、信頼することはいい事だがメンタルケアは怠るな。大丈夫かと問えば大丈夫だと返す人間しかいないのだからな」
「ルーナ!そんな言い方はないだろう!」
「そうだな…以後気を付けることとするよ」
「……もういい。早く行ってやれ、僕達ではあれを止めることは出来ない」
ルーナは仮面を付け直すとゼーレ内に入っていった。リンは何も言えず立ち尽くしていると、大きな掌が頭を撫でた。
「リンにも心配を掛けたな。すまない、きっと言いたいことは沢山あるだろう。だが今は…」
「あぁ。早くクリアの所に行ってあげてほしい。少しでも彼を安心させてやってくれ」
「感謝する」
ナインは装備を外しながら医務室に向かう。
近付くにつれ張り上げた声が響いてくる。
その声に過去を思い出させる。落ち着いていたから油断していた、彼の中で無くなったものとして触れてこなかった。
きっと、クリアだけでなくリンやルーナにとっても苦い過去であるだろうに。
「失礼する」
「クリアさん!落ち着いてもう居ないから、大丈夫なのよ」
白いベッドの上で頭を抱えて唸り声を上げるクリアの姿に表情が暗くなる。
昔はもっと素直に笑う子だった、もっと不満を零す子だった。
アーツと一緒になって悪戯を繰り返すやんちゃ坊主のようだった彼がいつの間にか変わってしまった。あの悲劇さえなければきっとこの子はこんなに苦しむ必要もなかった。記憶に蓋をして全てを置いてくる必要もなくなっただろうに。
きっとこの子の時はあの時で止まっている。いや止めてしまった時間がいま壊れた時計のように動き出してしまっている。
「すまない。あとは私が変わろう」
「……ナイン隊長、分かっているんですか」
「分かっているよ。これは私の責任だ」
止まらない涙も消してしまいたいほどに苦しい記憶も全部、分かち合えたらどれほど良かっただろう。
自分を傷付けてでも縋るくらい苦しいこの瞬間を忘れてキミの心の平穏をあげたいんだと伝えてあげたい。
ナインはまだまだ幼い泣きじゃくる子供を抱き締めるように大丈夫だと呟いてやる。
「俺はキミとまだ笑い合いたいよ」
「……っ」
「大丈夫だ。いまは苦しいかもしれないけれどもう少しで苦しくなくなるから」
この苦しさも生きている証だと誰かが言った。
でも、その苦しさを一人で抱えるには大きすぎる、だから仲間が家族がいる。
そう言った誰かがいた。
確かにそこに居たのだ。どうして、忘れていたのだろう。
一番大切だったはずなのに、ずっといないままどうやって生きていたんだっけ。
あの時、キミはなんて言ったんだろうか。
数年前。ゼーレ内で起きた事件でゼーレに保管されていた負の感情が熱を持って暴れ出した。その感情に触れた者は皆気が狂ったかのように暴れ出した。次第にはその感情は実態を持って人を襲うようになった。
槍のような柱が冷たくて鋭利な刃物のように人々を貫いた。
血に染まったゼーレは絶望的な中で四つの部隊が動いていた。その時、クリアはアーツという青年と行動を共にしていた。
「キリがないな」
「はぁはぁ…っ」
「大丈夫かいクリア」
「魔力が…っ」
「魔力切れか…手を」
「駄目だ。そんなことをしたら、アーツが」
「オレは平気さ。こんな所で共倒れは御免だからね」
まだ新米だったクリアにアーツは魔力を分けてくれた。
再び走り始める。ゼーレの館内は電気が消え建物自体も崩壊し始めていた。
背後からは死者の断末魔が響いている。
この先で、シトリン、ガーネットが天光の魔法の詠唱を始めている。
そこまで誘導すればこの負の感情を喰らい尽くすとばかりに肥えた怪物は封印出来る。
あと少し、もう少し。リンの姿が見えた。
リンの表情が安堵から悲痛と絶望の入り混じった表情に変わる。
足が、縺れて前に踏み出したはずなのに倒れ込む。悲鳴に似た声でアーツが叫ぶ。
「クリア!!!」
「……ぁ……ぁあつ」
何かを破壊する音が背後から聞こえるのと同時に倒れ込む体をアーツの腕が支えてくれる。
痛い、熱い、苦しい。感情が入り乱れて耳鳴りがして息が上手く出来ないまま仰向けになって抱えられたまま何度か空中に浮かんで、その間も金属に似た音と魔力の込められた熱線が近くで爆ぜる。
「………?」
「ごめん。オレは今から嘘を吐く」
「……ぁ」
「喋らないほうが良い。急所は外れているけれど痛むだろう。キミに少しのさよならを言わないといけない」
何かが肉を裂く音と、頬に伝う生温かい感覚に上手く反応が出来ない。
足音が近づいてくる。
「少し眠ると良いよ」
「あーつ…」
「ん?」
「あー…つ……」
「うん。大丈夫、次に目が覚めた時にはちゃんと傍にいるから」
アーツの表情がぼやけて見えないことが怖くて、恐ろしくてクリアは震える手を伸ばす。その手を取ってアーツはそっと微笑んだ。
そして耳元で囁いた。その真意を聞きたくて口を開いても声が音が出なかった。
「リン。クリアを連れて結界の方へ走るんだ」
「だが!」
「キミは聞き分けがいいほうだと思っていたんだがな…頼むよリン。同期としてのお願いだ」
「友人としてではないのか」
「こだわるねぇ…そうだね、後悔は残したくはないけれど今更か」
「アーツ、やはり共に」
「時間がない。分かるだろう、離れた距離でもアイツは負の感情を欲している。オレが囮になる。キミはクリアを抱えて走るんだ。大丈夫、約束したんだ起きた時に傍にいるって…また会おう」
「アーツ!!」
「行くんだ!!リン!!」
リンはクリアを抱えてアーツに背を向ける。零れる涙を拭うことも無く。
全てが終わった後、アーツの亡骸はなく彼の身に着けていた装飾品だけが崩れた瓦礫の中から見つかった。
「リン」
「クリア。平気なのか」
「あぁ。その、ごめん。迷惑を掛けて」
「いや、良いんだ。なぁクリア、アーツの事なのだが…」
「リン」
「ナイン…」
クリアの背後に立つナインが首を横に振る。
戸惑った様子のリンにクリアは不思議そうにする。リンは笑ってクリアに抱き着いた。
「無事で、良かった」
「あぁ…心配かけてごめん」
リンはクリアを抱き締める腕に力を込める。
ナインはその二人を離れた場所で見つめる、すると近くに感じた気配に振り返りもせずに笑って声を掛ける。
「ルーナじゃないか。またお説教にきたのか」
「僕を一体何だと思っているんだ。クリアの様子を見に来ただけだ……それでまた無かった事にするつもりか。あの様子じゃ、次はどうなるか分からないんだ。また誤魔化すのか、そうやって彼を守っているつもりか?親のつもりでいるのか」
「いまじゃない。せめて、ゼーレの中にいる間は笑っていてほしい。俺の我儘さ」
「そうだな。とんだ我儘だ。お前も知っているだろう、ゼーレ内は安全じゃない。いつまたあの事件が起こるか分からない。ましてや今回侵入者が現れた。そしてお前はまた逃げるのか、そうだろうな。ここにいてはいらないことを思うばかりで、年長者というものは大変なようだ。心底同情するよナイン騎士隊長殿」
「……キミも変わらないだろう」
「お前と一緒にするな。不愉快だ」
ルーナは建物の影から出るとクリアたちの方へ足を踏み出す。
「ルーナ」
「なんだ」
「少しの間留守にする。クリアのことを頼めるか」
「知らん。勝手にすればいいだろう。僕は勝手にするさ、僕だってお前と同じ騎士隊長だからな」
「明日の夕刻には戻る」
「せいぜい自分の言ったことは守るんだな」
ナインは何も言わなかった。
ただ黙って、前を歩いていくルーナを見守るしかなかった。
ナインは手を伸ばす。自らの大切な存在が笑っていられる世の中を想像するように。
ローズは、目の前の男を見つめる。
なんて悲しい目で苦しそうに笑うのだろう。この者に救いはないのだろうかと、考える。その考えを打ち砕くのはいつだって彼なのだろうけれど。
「それは確かなのですか…」
「ええ。そうすれば救われる。オレと手を組んでくれますね」
「ですが、貴方が知っているように私は全ての信徒を守る義務があります。ただ一人の為にそんな…」
「アンタだって、その為に神になったんだろう」
「ッ!!」
「大丈夫さ、本当の信徒であれば取り零される…なんてことないんだから。ゼーレ…それは魂の還る場所…なんだからさ…」
漆黒の闇の中に赤い燻った炎が見え隠れするその瞳に、ローズは頷くしかなかった。
「!」
「ノワールさま?如何なさいましたか」
「いいえ。何でもありません」
「左様でございますか。出過ぎた真似をお許しください」
「……ノア。これをあの人に…」
「はい。早急に行ってまいります」
「頼みました」
真っ白な空間で真っ白な少女は祈る。
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