第3話「薔薇の報せ」
噂というものは何処ともなく根も葉もない事が多いものだ。
印象操作、悪評も含めてあまり良い物ではないことは確かだ。
そんなものを簡単に信じてしまうことも人間の性質だとは思う。
神の幕引きを担当するという事は、呪いを被る可能性もあるということだ。クリアは最近悪夢ばかりを見る。
薄暗い中、赤い液体が頬を伝ってその頬を撫でる手が懐かしさと共に悲しみに満ちていて、顔は良く思い出せない。けれど二人の顔があったぼやけて見えないけれど、きっととても大切なものだったように思う。
ゼーレ内を歩いていると聞こえてくる雑音。人の視線とコソコソと話す嫌な言葉。
神の幕引きは仕方がない事だ、だが見方によっては反逆者と思われても仕方がない。
そのせいで悪者扱いをされることもある。そんなことは分かっているがどうしても鬱陶しさに心がかき乱される。
「仕方がなかったことだ、今更嘆いても仕方がない。だったらもっと良い方法を教えて欲しかった犠牲者が出ない、誰も傷つかないで済む、誰も悪くない方法を…」
心の中で独り言ちて、被っていたフードの端を掴んでその手に力が籠る。
爪が食い込んで地味に痛い。
こんな気持ちになるくらいなら、本当に反逆で終わればよかったなんて思ってしまうほどにクリアは知らず知らずのうちに追い詰められていたのだろう。警備警戒中に流れ弾を避けきれないくらいには。
周りにいた者たちの悲鳴と動揺が聞こえる。駆け付ける者の姿が見覚えのある赤髪と慌てたような声に心配ないと言葉を紡ぐ前に意識が切れた。
気が付いた時には、ゼーレ内にある医務室のベッドの上で遠くから聞こえてくるのは聞き覚えがあってそれでいて懐かしさを感じるほどに離れていた男の声。
暫くすれば、その声が止んで一つの足音がクリアがいる方へ近づいてくる。
「睡眠不足と集中力の無さは関係あるのかな」
「…さぁ、どうかな」
「立てそうか。送っていこう」
「必要ない。一人で帰れる、アンタ帰って来たばかりだろう。やることあるんじゃないのか…」
「……報告をするにも、その神がいないからなぁ」
「…ごめん」
「謝ることは無いさ知っていたからな。ほら、帰るぞ」
「なぜ、怒らない」
「怒る必要はないからな、お前も、セレナたちも悪くない。誰も悪くない」
上手く回らない頭のまま、床に膝を付いてクリアのブーツを丁寧に足に履かせてくれる男、シュバルツ部隊の隊長であるナインケルンは静かに涙を零すクリアを何も言わずに背負い医務室を出た。
「勝手に涙が出るくらい、我慢するくらいなら。少し我儘になっても誰も文句は言わないさ。そうじゃないかクリア?」
「………」
「明日何処か出掛けようか。なぁクリア街まで出て買い物でもするか?俺もお前も非番が被るのは久しぶりだからな、パーっと飲みにでも行くか?」
ナインケルンは、努めて明るくクリアに言葉を投げかける。
当然返事は返ってこない。そんなことはケルンにとっては周知の事実だ。
クリアはただケルンの首に回した腕を強めて、か細い声でうんと頷いた。
久しぶりに室内に自分以外の人間がいる光景にクリアはただソファの上で寝転んで目で追う。周りには心配で集まってきた魔獣がいる。手持無沙汰なクリアはソファに顔だけを載せる魔獣の頭を撫でてやる。嬉しそうに鳴く魔獣に微笑んで微睡む。
気付いた時には意識を手放していて、その日は珍しく悪夢は見なかった。
翌日、目が覚めた時魔獣の声がして驚いて目が覚めた。珍しく興奮したような声が聞こえたからだ。
「なっ」
「お、起きたか。ハハッこいつ相変わらずやんちゃ坊主だな。分かったから、ほらご主人様が起きたから飯にしよう」
「……なんだ、遊んでいたのか…」
「ん?どうした、ぼうっとして、起きたなら顔洗って支度して来いよ。出掛けるって言っただろ」
「あ、あぁ」
ケルンに促されるまま、クリアは洗面所に行き顔を洗い、服を着替え支度をする。
その間にもリビングから楽しそうな声が聞こえてくる。元々は3人で住んでいた部屋だった。だが、ケルンは家を空けがちでもう一人はもう帰ってこない。
だから、ここ数か月は一人で住んでいるのと同じでだだっ広い部屋を持て余していたくらいだ。心なしか家の中全体が明るく感じられて気持ちがいい。
街は相変わらず、人々で賑わっている。
ケルンは街でも人気なようで、すれ違う人々から色んな物を貰っていた。そして何故か一緒にいるという事もあるクリアも果物や花などを渡され、二人は街に降りて数時間で両手に物がいっぱいになってしまった。
これでは身動きが出来ないので、クリアがマジックボックスを作り出し、その中に頂き物を入れることにした。
「ハハ、熱烈だったな!」
「もう二度とお前と出掛けない」
「そんな悲しいこと言うなよ…、さて何処かで休憩でもするかー」
「あぁ。この近くにリンがお勧めしていた喫茶店が…」
「どうした」
「いや、いま……」
微かに香った薔薇の香り。薔薇なら花屋で売っているがこの香りは間違えるはずがない。クリアの顔に動揺の色が滲む。
その時、目の前に現れた薔薇の花束。桃色の薔薇だ。
目の前にいる女性は、邪気の無い笑顔でクリアにその薔薇の花束を向けている。
「貴方にこれを」
「………」
「先程、この薔薇の花束を貴方に渡してほしいという方がいらっしゃいまして。なのでどうかこれを」
「その人は…どこに…」
「それが、すぐに何処かに行ってしまわれて…」
「どんな人だったか覚えていますか」
「え、えぇ。とても優し気な女性でしたわ。この薔薇と同じ髪色をして…あ!そうだわ優雅な薔薇の香り。癖がなくてとてもいい香りがしていましたわ」
クリアはその花束に目を落とす。
その瞬間、突風が吹いて花弁が舞う。視界の端に目が誘導されるように向いた視界の向こうに、彼女は居た。
忘れるわけがない。クリアは無意識に彼女の名を呼んで走り出す。
「クリア?!」
風が瞬いて、いろいろな物を吹き飛ばす。
細い路地を抜けて、人が賑わう大通り。人を掻き分けるように道を抜けて古い路地を駆ける。街からはどんどん離れていく。
見失わないように駆け抜けて、辿り着いたのは一面花畑の公園だった。
上がった息を整えて周りを見渡す。面影を追い駆けるように。
もう一度、彼女の名を呼ぶ。
「ローズ!!」
「クリア様」
風に靡いた髪から覗く表情は優し気で、あの頃の彼女を思い出す。
どうして、なんでなんて言葉は全部投げ捨てて。彼女の元へ駆け出した。
「またお会いできましたね。そちらの薔薇気に入って頂けましたか?」
「あぁ…でも、直接渡してくれても良かったんじゃないか…?」
「それでは楽しくないでしょう。クリア様に驚いて頂きたかったんです。それに、これだけではないんですよ」
「どういう意味だ…?」
「まだ内緒です。ふふ、懐かしいですね、ここには良く遊びに来ていましたね…覚えていらっしゃいますか?」
「覚えてる」
「シャドウ様のことは、聞いています。お辛い立場でしたでしょうに、任務を全うされたと、ノア様からお伺いいたしましたわ」
「それは……」
「ご安心くださいね。私はそんな貴方を誇らしく思うと同時に、二度と同じ目には合わせませんから」
「何が―」
背後からケルンの声が聞こえてくる。
その声に応えようと振り向こうとした瞬間、ローズに手を握られる。
驚いたのも束の間、ローズの顔が至近距離に近付いて固まる。
その様子に微かに笑ったローズが目を伏せる。
「クリア様。次はゼーレでお会いしましょう」
「ゼーレで…?」
「クリア!!」
突風に巻かれるように薔薇の花弁が散る。
驚いてそのまま尻餅を着いて呆然とするクリアの傍にケルンが駆け寄ってくる。
肩を掴まれて揺さぶられる、ハッとしたころには既にローズはいない。
辺りを見渡してもローズの姿は無く残ったのは桃色の花弁だけ。
「誰と話していたんだ?」
「……ローズ」
「ローズって、有り得ないだろう。彼女は…」
「分からない。俺にも分からない」
呆然と掌に残る花弁を見つめるクリアにケルンは言葉が見つからず、二人はただその場で佇むしかなかった。
ローズ。その名を持つ彼女はもう何年も前にこの世を去ってしまっているのだから。
翌日、その日はゼーレの協会の前の広場で民間人を集めたとある催し物があった。
神の誕生の瞬間を見届ける、所謂着任式だ。
クリアは式典用の衣装に身を包み、式場の警戒警備を行っている部隊と打ち合わせの真っ最中だった。その様子をゼーレ内の窓越しにケルンは見つめると、奥の扉の開く音がし目を向け、敬礼をする。
「お久しぶりです、と言ったほうがいいのかな。ローズ殿」
「えぇ。お久しぶりです。ナインケルン騎士隊長」
「私はまだ騎士隊長でいいのでしょうか」
「私は、貴方以外の適任者を知りませんわ。辞退するのならば後任を推薦してくださいな」
「ハハ。失言でしたな。さて、今回は我々の指揮者としての就任おめでとうございます。我々シュバルツ部隊一同心より嬉しく思っております。この命を賭けて貴方の命をお守りすると騎士の名に誓いましょう」
「えぇ。その言葉受け止めその意を許しましょう」
「…クリアとはもう会いましたか」
「はい。今朝、とても驚いていたみたいですけれど喜んでいました。久しぶりにクリア様の笑顔を見れて私は嬉しいです…」
式場へ向かう道のりのエスコートをしつつ、ケルンはローズの憂いに満ちた表情を見下ろす。神は基本自身よりも身長が高く見下ろすことは無い為、表情を伺うことがない。だが、今回は違うローズは存命時と同じ姿でいまここに在る。
憂いの中に満ちた、何かにケルンは震える心を押し殺して式典の場所までローズと共に歩く。
ゼーレの玄関とも言われる大扉の前、職員がその扉を大きく開ける。すると優しい風に乗って赤と桃色の薔薇の花弁がローズとケルンを迎え入れる。
ローズが先に壇上に上がり、その後ろからケルンとクリアが続いて登壇する。
歓声が止まない。歓喜に満ちた民間人の声にローズも優しく手を振って、マイクの前で演説をする。
ほんの一時間程の式典は無事に幕を閉じ、クリアたちはシャドウの部屋に集まった。
そして、何故かローズの入れた紅茶をクッキーをお茶請けに飲んでいる。
「いや、逆だろう」
「あら、いいのですよ。私はこちらのほうが気を使わなくていいですもの」
「そうだが…俺達はローズの騎士なのに…」
「お気になさらず。私が好きでやっている事ですから」
「まぁ、ローズ殿がこう言っているんだいいんじゃないか?」
「アンタ、順応が早すぎるだろう」
「ケルン騎士隊長、おかわりはいかがですか?」
「貰おうかな」
「ケルン…」
「分かったって、怖い顔をするな」
「そんな怖い顔をなさらないでください。守って頂いているのならお礼も必要でしょう」
「……」
「そういうことだな」
「アンタが言うな」
言い合いをしていれば、協会の鐘が鳴る。
夕刻を報せる鐘だ。
「そろそろお暇しようか」
「そうだな」
「では、シャドウ様。良い夜を」
「………」
「どうかしたか」
「そのシャドウ様という呼ばれ方はどうしても必要でしょうか」
「…そうだな。だが、隊員の前では流石に真名では呼べないから許してくれ」
「はい。では、お二人とも良い夜を」
「おやすみ」
「おやすみなさい」
夜の挨拶をして、ケルンとクリアは部屋を出た。
ローズは窓から姿が見えなくなるまで二人を見送る。
「この先、何が起きようと貴方は私が絶対に守ります」
ぐっと握りしめた拳を緩めて、遠ざかる後ろ姿を撫でた。
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