第2話「死の救済」

 神という存在を認識していなかったわけではなかった。

 神仏関係の学校に通っていた過去もあり、目の前に自身が神であると言う存在が現れても、頭の可笑しい人なのだろうな、何処かで頭を打って起きたまま夢を見ている可哀想な人なのだろうと思うくらいだった。だから、今回も大きなソファの上で足を組んでこちらを見下ろす。二メートルはあるであろう体躯の女神は、艶のある黒髪を腰の位置まで伸ばし、黒いドレスに身を包み優しい笑みを浮かべて、言うのだ。

「幸せになるべきだと」「特別な存在である」「選ばれた存在」だと、宗教かと思うくらいに。

 そこからの生活は思ったよりも苦ではなかった。異世界に来たら起こるような魔王討伐や王様からの無茶な指令や、ドジっ子魔法使いやドヤ顔のナルシスト剣士などに絡まれるという事も一切なく。ゼーレという機関から戸籍を与えられ騎士という職を貰い、呼ばれれば神の世話をする。魔法の勉強は各々のペースで進められるし、食事も与えられる。この世界の住民は他者を拒まない。この世界では息がしやすいと思う。

 面倒事と言えば、魔獣が時々街の近辺に現れるので討伐に向かうくらいである。

 人々のいざこざを止めたり、不穏な動きをする者たちを取り締まるくらいだ。


「疲れた」

「お疲れ様、キミもなかなかに大変だな」

「リン。そっちも大変だろう」

「そうでもないよ。活気に溢れているのはいい事だからね」

「元気そうで何よりだな。それで、何かあったか?」

「あぁ。そのことで少し、キミに相談したいことがある」


 ゼーレ内中央広場内は人が閑散としていてだいぶ静かだ。その中でベンチに座って息を吐いていると、視界の端に薔薇の香りを漂わせた真紅のような赤い髪が映る。

 リン。同じくゼーレの機関であるイーグレット所属の騎士である。リンが仕える神は太陽の神であるガーネットと呼ばれる神だ。そして、彼女はその部隊の隊長である。

 クリアはシュバルツ部隊副隊長であり、影の神だあるシャドウという神に仕える。

 位的にはリンの方が上だが、シュバルツ部隊の隊長は不在なので代わりに情報を交換している。

 ゼーレ内には四つの部隊があり、イーグレット部隊、シュバルツ部隊、シャイン部隊、ミラー部隊の四つだ。

 表舞台で動くことが多いのは、イーグレット、シャインであり、シュバルツ、ミラーは裏から密かに動くことが多い。


「なるほど。不穏な動き、うちの部隊か」

「あぁ。最近シュバルツ部隊の制服を着た数名が禁書の閲覧にくる回数が増えているらしい。その閲覧している本が神に関しての記録だ。閲覧に関しては何も問題はないんだが、会話が相応しくないと司書の者が言っていた。何か心当たりはないか」

「心当たりね…最近訓練にやけに参加率が上がっている奴らが増えて感心していたんだが、感心出来ることじゃないみたいだな」

「その者の名を教えてはくれないだろうか。すまない」

「いや、謝る必要はないよ。それがもし間違いでも勘違いをされるような行いをしたうちの隊の者たちが悪い。リストアップしてデータをそっちの端末に送るよ」

「ああ!助かるよ。ゼーレ内で争いごとは避けたいからね」

「…あぁ。俺も同じ気持ちだよ」


 遠くから楽しそうな声が聞こえてくる。そこに視線を送り愛おしそうに目を細めるリンの横顔にクリアは何処か申し訳なく感じる。

 他の部隊のことなど放っておけばいいのに、イーグレット部隊は皆正義感が強くて全てを救おうとする。その両手に収まる限りは。


「送った。こっちでも話をそれとなく聞いてみるよ」

「ありがとう、助かる。…クリアは逆賊についてどう思う」

「どうと言われてもな。実際何か不満があってのことだろうけど、それを殺意になる前に声を聞くと言うことも出来るんじゃないかなって思う。実際、難しいかもしれんが…」

「素晴らしい意見だ。私もそう思う、だから未然に防ぎたいんだ。クリア協力に感謝する」

「……こちらこそ」

「ルーナにも名簿を送ってもいいだろうか」

「ルーナもこの件を知っているのか」

「ああ。実は最初にこの件を報告してくれたのがルーナなんだ。クリアに直接言わなかったのは、不確定な事が多いからと自身の言葉が足りなく傷つけたくない、と。黙っていてすまない」

「構わないよ。あの敏感なルーナが関わっていない事なんてないから。ルーナにも謝っておいてくれ。何かあれば、俺が決着をつけるから極力二人の手は汚させない」

「クリア。私たちは所属は違うが仲間だ、それにケルン氏の代わりにいつでも頼ってくれ」

「あぁ。ありがとう」


 リンが少し悲しそうな顔で笑うから、どうしてそんな顔をするんだろうと思う。リンが悲しむ必要は一つもない。間違いを犯したのであれば正しいほうへ手を引いてやればいい。その手すら拒むのであれば、そこで処分すればいい。不穏は小さいうちに消しておく方が後々厄介なことにはならないだろう。


「お疲れ様です。クリア殿」

「丁度良い。少しいいか、アイン」

「えぇ。何なりとお申し付けくださいませ。副隊長殿」


 訓練場に向かう廊下で、クリアを待ち受けるかのように影から現れたのは暗殺が得意な世話好きのアインだ。シュバルツ部隊に長いこと所属していてクリアよりも年上だが、位や評価には興味がないさっぱりとしている性格の切れ者である。

 耳打ちをするように静かに伝言を伝えると、アインは一つ頷いて影に溶けるように姿を消した。

 さて、とクリアは再び部隊の隊員が待つ訓練場へ足を向けた。

 辿り着いた先には、先程リストアップした五名から二名になっている、点呼を取る際それとなく聞いてみるが来ていない事情は知らないとのことだった。

 訓練中にその三名をリンに報告をしておき、何事もないことを祈るように訓練を見守る。

 その二名を注視しすぎたせいで、外野の動きに気付きが遅れたと気づいたのは訓練場の砂が爆風と共に舞い上がり視界を奪われた瞬間だった。

 大きな破裂音と近くでの爆撃音だったせいで耳が数秒の間何も聞けなくなり、視界は砂埃で人数の把握も出来ない、顔も認識できない。

 やられた―そう思った瞬間目の前に鈍く光る刃が喉元目掛けて差し込まれる。

 寸での所で避け、その刃の持ち主の手を掴む。


「魔法では勝てないから、武力でなら勝てる、と。間違いではないけれどこれでも副隊長を背負っている出来ないわけではないよ」

「ッ!?」

「少し話をしないか」

「……」

「言えない事か」

「忠誠を誓っているのでしょう。ならば同罪だ」

「一体誰に…ってシャドウ様か」

「そうだ。貴方と隊長は同罪だ」

「同罪ね。知らない間に罪を背負わされたようだけど、忠誠を誓っているかと言えばいいえ。だな」

「嘘を吐くな!!」

「嘘じゃない。別に忠誠を誓わなくてもこの座には着けると思う。俺はあの神を信仰しているわけではない。なんて言ったらいいのかな、職場の上司だから仕方なくって感じ、呼ばれなければ顔を見ることも無いしあの方に関して特別な感情はない」

「嘘だ…そんな訳ない!だったら、貴方もこちら側ではないのか…」

「いや、こちら側がどちら様か知らないが。俺はこんな野蛮なことはしないが…」

「あの方は貴方方を気に入っていらっしゃる。だからそんなことを言えるんだ、私たちは、自由が欲しい。下っ端だからと言ってあの巨大なバケモノを世話するのはもうごめんだ」

「…当番制だろう」

「そうだ。だが、あの方の機嫌を取れば私たちにもいい位をくれると」

「信じたのか」

「神の言葉は絶対だ、じゃないとこちらが痛い目を見るんだ!これ見よがしに痛い想いをするのも見るのも嫌だ。彼が金に溺れる様を変わっていく様を見るのは御免だ!」

「彼…あぁ。なるほど。お前ら騎士を辞めたかったのか」

「そうだ…。でもゼーレ職員の一存では離職は出来ない。神の許可がいる」

「何故、俺に言わなかった」

「…貴方に迷惑を掛けるわけにはいかない。貴方は一番最初に祝福してくれた人だから……神は許可をくれなかった」

「だから、俺や神を傷付ければ解雇される。そう思ったのか」


 刃物を握る手が震え、目の前にいる女性隊員の体が小刻みに震える。

 クリアはただ笑って、その刃物を握る。当然鈍い痛みと共に掌から血液が流れ出る。

 一緒に握った手が大きく動揺の動きを見せる。


「そうするか?いいよ、それでお前が救われるなら。助けてくれなかった俺を憎んでここを出るか」

「あ…ぁ」

「セレナ。幸せになれ、その権利がセレナにはあるよ」

「はい…っ」


 手の中の刃物が砂になり、流れた血液は治癒魔法で傷跡もなく消える。

 上下に手を振って問題の無い事を確認して、泣きはらした目でクリアを見据えるセレナを連れて喧騒の中を駆ける。移動魔法で飛んでもいいがセレナは魔法に弱い負担にならないように速度を上げる魔法を掛け目的地まで急ぐ。

 目的地付近まで行くと、既に事は大騒ぎになっていた。巻き込まれた他の隊員やゼーレ内の職員は先に到着していた他の部隊隊員が保護している。

 シャドウの部屋の内部が露になるくらい破壊された壁や扉、苛立ちと共に影が揺らめいている。魔力が恨みを滲ませている。

 痛い。心が痛い。


「面倒だな」

「副隊長?」

「セレナはここにいろ。絶対外に連れ出してやるから、マレスと一緒にな」

「副隊長!」


 セレナと周りの隊員が制止する声を振り切って、何食わぬ顔で自身の神へ顔を向ける。不愉快極まりないといった様子のシャドウはいつもの美しい髪を振り乱して憎しみと恨みの籠った瞳でクリアを睨む。そのシャドウの手元には既に息はしていないだろう同じシュバルツ部隊の制服を着た男性隊員の姿があった。


「セキを離してやってください。死んでしまいます」

「もう遅い。遅いのじゃ…何もかも!何故、お主は直ぐ我の元に来ぬのだ!消えても良いというのか!!」

「そうは言っておりません。私もシャドウ様と同じ状況だったので」

「嘘を吐くでないわ!皆、我をコケにしおって!呪ってやる、この恨み許されると思うでないぞ…出て行け。我の前から消え失せよ」


 シャドウはセキの体をクリア目掛けて投げつける。流石に成人男性のしかも鍛えている人間の体を少年体系のクリアが支えられるはずもなくそのままひっくり返ると、眼前にリンがしゃがみ込み体を支えてくれた。

 制服がだいぶ汚れているようだが、怪我は無いようだった。しかし少し怒っているのは何故だろうか。リンがセキの体を抱えてくれたおかげでクリアはようやく立ち上がることが出来た。

 シャドウは気に入っていたソファに体を沈めてこちらに見向きもしない。

 外にいた者たちも撤退を始めている。リンとクリアがセキの体を支え出て行こうとした時、黒いカラスの羽のような形をしたモノが凄まじいスピードで襲い掛かる手を伸ばして二人を庇おうとしたクリアの前に温かなそれでいて眩い光が一線を引く。

 キィンと音がしたと思えばその羽は床に突き刺さっている。目の前には仮面を付けた青年が立っている。

 シャイン所属の部隊長ルーナだ。金の髪は神々しく凛とした立ち振る舞いが余計にその様を美しくさせる。


「全て報告させていただきます」

「…もう良い、好きにせよ」

「失礼します。行こう」


 細身の剣を鞘に収め、リンと場所を交代しセキの体を抱え歩き出す。リンもすぐその後を追い駆ける。クリアは振り向こうとしたがそのまま二人の後を追い駆けることにした。神の涙が零れた。


「すまない。犠牲者を出してしまった」


 リンがクリアに向かって頭を下げる。

 誰からも憧れられる騎士の姿はこんな時でも勇ましいく誠実だななんて他所事を考えていれば、頭上から軽く頭を撫でられる。


「リンのせいじゃない。そうだろう?」

「ああ。感謝しないとな。リン、ルーナ。ありがとう」

「…お前のせいでもない」

「いや、俺のせいだよ」


 笑ってルーナの顔を見れば、仮面越しでも分かるくらいに嫌そうな顔をしている。

 ルーナは感情が表に出やすい。だから感情の起伏も激しいけれど他人を傷付けることを恐れるばかり言葉が鋭くなりやすい。

 黙っているという事は、きっと言葉を必死に考えてくれているのだろう。優しい男だ。


「明日には通達が来るはずだ。お前は被害者だから休養になると思う」

「セレナたちはどうなる?」

「セレナ、マレス、ダイは国外追放。残念だがユナとセキは先程死亡が確認された」

「そうか…」

「セキとユナの遺体は国外に移送され秘密裏に葬られる。最後に会うことは出来ない」

「分かってる。そうか…セレナになんて言ってやったらいいかな」

「そのまま。ありのままを伝えてやるべきだろう。彼女らは戦ったんだ、誇るべきことだろう」

「はは…。ルーナ、シャドウ様はどうなる?」

「恐らく、既に魔力が衰えてきている。もうずいぶん前から信仰力が薄れ衰えが出てきていたはずだ。神は信仰力が主な魔力の源だ、これがなければ存在が維持できない。あの神は傲慢になり過ぎた、苦しみたくないのであればクリア、お前が最期を見届けてやるべきだ」

「………」


 ルーナの言葉にクリアは言葉を呑み込んだ。

 なんて答えればいいのか分からない。確かに信仰はしていない、だが、感謝をしていないわけではない。

 クリアをこの世界に呼んだのはいまのシャドウだ。あの神がいなければクリアはここで何の不自由もなく暮らせてはいない。優しい友人、慕ってくれる部下、いつでも笑顔で迎えてくれる街の人々。でも、その人たちを苦しめる原因があの神にあるのであれば、クリアがやらなければならないのではないのか。

 彼女らはその為に立ち上がった。ならばこの連鎖を断ち切るにはクリアが最後の引導を渡すしかないのだと、クリアは闇夜に染まった空を窓から見つめながら再びシャドウのいる部屋の前へ訪れた。

 静かな部屋に紅茶の匂いが広がっている。乱れていた髪は綺麗に整えられ、ドレスは一番の気に入りの、クリアが選んだドレス。

 皮肉だなと思う。腰の短剣を抜いて抜き身の刃をシャドウに向ける。

 シャドウは紅茶のカップを机に置いて、母のような優しい笑みでクリアを見る。

 心が痛い。引き裂かれるように痛い。

 駆け出した足は止まらない。

 シャドウは幼子を待ち受けるように大きく腕を広げてクリアを抱き締めた。

 手の中に広がる生温かい感覚。肉を裂く感覚と優しい温もりが混ざって気分が悪い。

 何故、涙が止まらないのだろう。

 人や魔獣を殺すことなんてもう何度も経験してきたはずだ。それなのにこんなにも気分が良くないことなんておかしい。


「おやすみなさい。シャドウ様」


 星の粒のようになったシャドウの体に一つだけ唇を落として、見つめる。

 神は絶対的な存在で死なんてものなどないと思っていた、でも最期を看取ることになることも死ぬことも人間と変わらないのだとそう思った。

 神様が死んだ。

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