仏師虚空 その2
素空と悠才が釈迦堂のすべての仏像を手入れし終わった。さすがに堂内の40体の仏像の殆んどが、手入れをするだけですんだが、4体が不良と評され、その内2体の仏像が素空の手直しを受けることになった。
「悠才様、2体は火に投じて処分をしなければなりませんが、残る2体は手直しをいたし、真の御姿に彫り直したいと存じます。手直しの間、悠才様は次のお堂で手入れの用意にお取り掛かり下さい。勿論、手直しの様子をご覧になりたい時は、何時でもおいで下さい」素空は2体の仏像の手直しは数日のうちに終わると思った。
悠才が、素空の指示を確認するように言った。「素空様、次は
素空が諭して言った。「悠才様は既に本当の御姿をお清めなされているではありませんか。青龍堂や釈迦堂の御仏像も、その殆んどが本物の御姿でした。金色に輝く物だけが本物と言うことはありません。また、私には本物のすべてが金色に輝くのが見えるのですから、間違いのないことです」
悠才はどうすれば金色の輝きを見ることができるのかと尋ねた。素空が暫らく間を置いて、声音を変えて言った。「心を尽くしてお手入れをすることです。御仏にすべてを委ねて生きることは、僧として当然のことですが、信じて継続することが真の信仰の証なのです。
素空が釈迦堂の2体の手直しを終えたのは、10月7日の昼頃だった。興仁大師に観音菩薩を2体処分することと、2体の手直しが終わったことを報告した。
「処分とは一体どのようにするのじゃな?」興仁大師の問い掛けに、素空がいつになく神妙に答えた。
「天安寺の中にも、どうにも手直しのしようがない
興仁大師はジッと聴いていたが、素空が話し終えると慈愛に満ちた顔を向けて、ひとこと囁いた。「まさに素空の申す通りじゃ。この世の物で、人の役に立ちやがて役目を終えた物は、供養に値するのじゃよ」
素空は、興仁大師と暫らく語らったが、悠才が気になり、玄武堂に向かった。
素空が玄武堂に上がるのは初めてだった。天安寺の最も北側に位置し、鬱蒼とした森を抜けると広場があり、広場の北側の階段を20段ほど上がったところに玄武堂があった。玄武堂は
天安寺の仏閣は、忍仁堂、釈迦堂、青龍堂、玄武堂の順で造営されたが、鳳来山の山上に造営されたため、落雷の被害は珍しいことではなかった。玄武堂の被害は開山以来最大で再建を余儀なくされた。勿論、他の仏閣でも、立ち木や瓦に落ちることは良くあることだった。神社に神木があるように、鳳来山では落雷や風雨から寺を守ってくれるものとして、巨木を大切にした。
素空の足は門前で止まった。門前の仁王像に目を止め、ジッと見比べた。『この仁王像には何やら邪気を感じるが、どうしたことか?』素空は、2体の仁王像にただならぬ邪気を感じて、その訳に思いを馳せた。『どのようなお方の作であろうか?真贋を問われれば、まさに本物に間違いはないのだが…?』
「そなたは素空であるな?」肩越しに声を掛けられて振り向くと、70才に近い老僧が笑みを湛えて立っていた。天安寺の老僧の中で最も高齢で、玄武堂の座主を務める宋隻大師だった。
「そろそろ素空が参る頃だと、悠才から聞いておったが、まさか、門前で足が止まろうとは思いも寄らぬことだったよ。この仁王様も手直すべきものなのかな?」宋隻大師の言葉に、素空が首を振りながら答えた。「仁王様は本物で
宋隻大師は、眉根を寄せて真顔で言った。「そなたは、噂に聞いておったが、聴きしに勝る僧であるようじゃ。この仁王様は、そなたが見たままの姿を意図して作られたのじゃよ」宋隻大師は仁王像にまつわる謂れを話し始めた。
「百年も昔のことだが、お堂が再建された時、この仁王門に奈良の仏師を招いて建立したのじゃが、50年前に旅の僧が訪れて、手入れをしたそうなのじゃ。名を
そして、悲しそうな顔をしてひとこと呟いた。「素空よ、この世に於いて、僧は様々な道を選ぶのじゃ。そのすべてが御仏を向いているのは言うまでもないことであるが、御本山に残る者、諸国の寺に下る者、諸国を行脚する者、様々であるのだよ。西院で諸国の僧の名簿を見たが、諸国行脚の僧はいずれ失踪とされるのじゃ。乞食坊主となりても、浄土を目指すは僧の喜びと言えるのであろうよ」宋隻大師は、虚空が浄土に参ったことを疑わなかった。そして、肝心の謂れを話し始めた。
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