第10章 岳屋清兵衛 その1

 栄信は、瑞覚大師と再会した翌日、新堂の薬師堂やくしどうに座して玄空大師と語り合った。玄空大師は薬師堂の諸事に付いて、栄信が既に承知のことと思い、多くを語ることはなかった。

 瑞覚大師の受け入れに伴い、庫裏を増設しなければならないのだが、今の大きな問題は、宇土屋喜兵衛うどやきへえが新堂の落成後、公卿くぎょう二条家にじょうけの仕事をして、手が回らないと思われることだった。仲間の大工に口を利いてもらうことになるのだろうが、材料調達から着工、完成までが極めて短期間の工事を、無理を承知で請け負ってもらわなければならなかった。工事に掛かる費用は、その分超過することも承知していた。

 玄空大師は、薬師堂の僧の数を栄信に告げた。「お付きの僧を2人とし、瑞覚大師と栄垂の5人が十分過ごせる部屋を作らねばなるまい。お付きの僧2名は当然の如く、栄垂えいすいの交代も務めることになるだろうが、必要であれば増員せねばなるまい。早速、明智に人選させようぞ!」その後、西院の興仁大師に、移籍の願いを申し入れた。玄空大師は決断が早かったが、実行に移すのは更に早かった。

 その日の午後から、明智の薦めで淡戒たんかい胡仁こじんが、栄信のお付きの僧として、薬師堂に遣って来た。同時に栄至えいし東山ひがしやまに遣わし、宇土屋喜兵衛に大工の手配を依頼した。

 宇土屋喜兵衛は思案していた。玄空大師の文を読み終えて、急いで何とかしなければならないと思ったが、身動き取れない状態だった。自分の仲間内の棟梁は5人いたが、皆、請けた仕事が続いて、新たに請け負える状態ではなかった。

 「栄至様、返事はすぐにできませんので、今日は我が家にお泊り下さい。私はこれから、別の大工の棟梁に当たってみますので、我が家でごゆっくりお待ち下さい」

 宇土屋が言うと、栄至がすぐに答えた。

 「実は、京に参りましたら岩倉屋様にお泊め願っていまして、既に今夜の逗留は約束ずみなのです。お申し出はありがたく存じます…」栄至の言葉通り、岩倉屋惣左衛門は用がすむまで、何日でも泊まるよう申し出ていた。

 その日早速、宇土屋喜兵衛は仲間内を当たったが、やはり、いずれも手一杯でどうにもならなかった。

 宇土屋はその時、フッと玄空大師の言葉を思い出した。この頃、京の大工仲間は、4派に分かれ、宇土屋の仲間以外は、まったくの他人同士で顔もあわせないほど疎遠だった。宇土屋は飛騨匠ひだのたくみの流れだったが、同じく飛騨の流れで駒屋吾兵衛こまやごへえと言う棟梁がいた。京には早くから岳屋清兵衛たけやせいべえ山城屋仁左衛門やましろやにざえもんと言う2人の棟梁がいたが、宇土屋のような、2代目では新参者扱いされ、相手にされないところがあった。当然、岳屋と山城屋は、老舗で代々続いて、多くの顧客を持っていた。規模も実入りも破格だった。

 4人の棟梁は、それぞれの仲間内の棟梁とのみ関りを持ち、4人が互いに関わることは殆んどなかった。同じ飛騨の流れでも、宇土屋と駒屋は張り合うことはあっても、協力したことなど、これまで1度もなかった。

 4派の棟梁は、仲間内の棟梁達から『元締め』と呼ばれ、元締めの指示なしに宇土屋に加勢することは決してなかった。宇土屋は、3人の棟梁を説得しなければ、玄空大師の望みを叶えられないため、恥を忍んで3人の棟梁を訪ね始めた。

 1人目は、同じ飛騨匠ひだのたくみの流れを汲む、駒屋吾兵衛だったが、まったく取り合われなかった。駒屋は宇土屋と同じような客筋を持っているため、宇土屋が忙しい時は、駒屋も忙しかった。

 岳屋清兵衛は嵐山あらしやまふもとに住み、『右京の岳屋』が通り名の50才には届かない、脂の乗った、遣り手の男だった。

 宇土屋の頼みを聞き終わると、条件を付けて承諾した。宇土屋喜兵衛は急場をしのぐためには、多少の無理は仕方ないと思い、岳屋の条件を聞くことにした。

 岳屋清兵衛は、宇土屋の頼みを聞いた時、天安寺に手を拡げられると直感した。岳屋清兵衛と山城屋仁左衛門は、宮造りから町家まちやまで、建物と名の付く物は何でも扱ったが、圧倒的に多い庶民の家を建てるうちに、公家屋敷や寺院の仕事から離れて行った。寺社や公家の屋敷は、遣り方次第で儲けが大きく、岳屋清兵衛は、この機会を逃すまいと思った。

 宇土屋喜兵衛は、岳屋清兵衛の野心を危惧しながらも、薬師堂と、住職の玄空大師のことを告げ、明日、天安寺の遣いの僧を引き合わせるために、もう1度改めて伺う旨を伝えた。この時は、まだ玄空大師が座主を務めていると思っていた。

 岳屋清兵衛は宇土屋の顔をなめるように見つめた後、交換条件を提示した。

 「ところで、宇土屋さん、お困りの時に助けの手を差し上げるのですから、この他に1つ、天安寺で新築の仕事を回して頂きたいものですね。庫裏ひと棟だけではなく、新堂造営と言う訳ですが如何でしょう?私共の次の仕事が終わらぬうちは、天安寺での仕事は受けぬと約束して頂きたい」宇土屋は条件を呑むほかないと判断した。

 宇土屋は家に戻るとその脚で、京屋分家岩倉屋に赴き、栄至に手配が付いたことを知らせた。「栄至様、岳屋清兵衛と言う京で1、2の棟梁が請け負ってくれましたので、早速明日挨拶に参りましょう」

 岩倉屋惣左衛門が同席して口を挟んだ。「栄至様、宇土屋様、右京の岳屋さんには私共の屋敷を手掛けてもらっていますので、明日は私もご一緒させて頂いても良いですか?…京屋本家や、私共が存じ寄りの商家の殆んどを手掛けていますので、お役に立てることがあろうかと思います」岩倉屋惣左衛門は商売柄顔が広く、何に寄らず世間相場を承知していたし、助けになる存在だった。

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