二番弟子西礼 その4

 次の日、明智のところに、新堂から西礼が挨拶に遣って来た。「明智様、永らくお世話になりました。明後日、伊勢滝野いせたきの薬師寺やくしじに参ります。私が苦難の時に支えて頂きました。また、雪の中を素空様と共にお救い下さいまして、ありがとうございました。私は今、生まれ変わり、伊勢滝野へは胸を張って赴くことができそうです」

 明智が語った。「西礼、あなたの徳は、聡明で優しいところです。それは、御仏の御姿に通じるところがあるのです。あなたは私のもとにあった時から、御仏に愛されていたのかも知れませんね」その後、西礼は、栄信への伝言を受けて明智と別れた。

 次に、西礼は鳳凰堂ほうおうどう宇鎮うちんを訪ねた。嘗ての仲間の殆んどが未だに鳳凰堂で修行をしていた。僧房で嘗ての仲間に囲まれ、暫しの幸せを味わった。宇鎮は明るくなっていた。懐から、素空にもらった懐地蔵ふところじぞうをだして見せ、ニッコリ笑って語った。「私は、西礼と共に救われて、本当に良かったと思います。この御仏は私を励ますために、金色の輝きを見せて下さいました。信心と言う言葉の本当の意味を知ることができたのです」西礼は、信心の本当の意味とは何かと尋ねた。

 「西礼、素空様の言葉は常に正しく、その言葉の中で、真の信仰に付いてこう語っておられます。『御仏に倣いて生きる』これに尽きるのです。さすれば、素空様と同じ人となりを持ち、同じ信仰の極みに達するのだと言うことです」宇鎮は晴れやかな顔を向けた。その瞳はよどみなく、口元には笑みを浮かべていた。

 六円りくえんは涙を流して再会を喜び、涙を流して別れを悲しんだ。西礼は正しい仏道を歩み始めた仲間を見て安心して去ることができると思った。

 また、西礼はその日のうちに西院の素空を訪ねた。素空には口では言い尽くせないほどの恩義を感じていたので、そのことを感謝した。

 素空はジッと聴いていたが、西礼が語り終えるとすぐに言葉を返した。

 「西礼様は既に、我が師にすべてのことを学んでいると思いますので、ご心配には及ばないでしょう。伊勢滝野の薬師寺には、真の御姿ばかりが祀られ、我が師が申すに、御仏に願掛けをしているそうです。心が御仏に最も近付いた時、御仏の証を示して下さる筈なのです。住職として、西礼様の信仰が、檀家衆の信仰をお導き下さることをお祈りいたします。そして、その時、御仏の証を見ることができますようにお祈り申し上げます」

 素空の言葉は、西礼の心に沁みた。

 素空と別れると、次に喜仁大師きじんだいしのもとを訪ね、挨拶をすると用向きを伝えて2人と対面した。善西ぜんせい悠才ゆうさいは視線を膝に落としたまま部屋の入口に座し、喜仁大師に勧められるまで中に入ろうとはしなかった。

 「善西、何を気にしているのですか?あなたは御仏によって赦され、今は生まれ変わったのではないのですか?悠才も一緒です。元気を出しなされ」西礼の言葉は温かく、2人の凍て付いた心を包むように沁みていた。

 西礼は更に言葉を掛けた。「私は明後日天安寺を離れ、伊勢滝野の栄信と交代するのです。恐らく、これが最後となることでしょう。善西には小坊主の頃から仲良くしてもらいました。栄信と私達の3人は、苦難の末に天安寺に辿り着いた、何時までも変わることのない大切な友です」西礼は暫らく語り合い、西院を後にした。

 善西は永く西院に留まり、15年後に西院の大師になり、広く仏の慈悲を説いた。

 西礼は旅立ちの日、新堂から忍仁堂にんじんどうに遣って来た。忍仁堂の表門の前に見送りの僧が集まった。鳳凰堂からは嘗ての仲間が駆け付けた。忍仁堂では、灯明番の僧ばかりではなく、嘗て対立した老僧、高僧の姿も見られた。だが、嘗ての仲間を率いていた明智の姿はなかった。

 栄雪が語り掛けた。「西礼様、天安寺で御仏の御慈悲に与ったことは、この後、信仰の糧となりましょう。お幸せにお過ごし下さい。また、栄信様とごゆるりとお話し下さい。私は、良円りょうえんうしなって初めて分かりました。大切な友であれば、生きているうちに、もっと大切にしていれば良かったと…」

 西礼は東院の僧達と別れると、西院との分かれ道に遣って来た。そこには、素空と善西、悠才が待っていた。思わず胸の奥から込み上げる感情に足を止めた。善西の見送りほど嬉しいことはなかったからだ。

 「素空様、お見送りありがとうございましす。私を正しい仏道に立ち帰らせて頂いたことは、終生忘れることはありません。いつも御仏に倣いて生きて行く所存です。どうか息災でありますようお祈りいたします」西礼の言葉に、素空は多くを語らなかった。天安寺にあっては、会うと、別れは日常のことだった。人にとっての真の別れとはどのようなことか、素空はぼんやり考えていた。

 「悠才、あなたはまだ若く、過ちの傷はすぐに癒されることでしょう。東院に早く戻り、皆と一緒に修行ができるよう願っています」西礼がそう言うと、悠才は明るい顔で答えた。

 「西礼様、明日より素空様の下で、御仏像の手直しを手伝うようになりました。私のことなら大丈夫です。どうぞ、ご安心下さい」悠才の声は弾んでいた。

 西礼は最後に、善西に声を掛けた。「善西、あなたと栄信は、私にとって永遠の友です。小坊主の頃の苦しい体験を共にした大切な友です。共に幸せのうちに仏道をまっとうし、後の世に於いて相見あいまみえましょう」善西は嗚咽して言葉を失ったが、心は繋がった。

 西礼は、3人に深くこうべれて、天安寺大門てんあんじおうもんの方に歩きだした。大門は、新堂落成の前に素空の企てにより実現したのだった。西礼は、3人の乞食坊主を受け入れてくれ、12年間、僧として育ててくれた天安寺への思いを胸に、新たな世界に踏みだすような、実に新鮮な思いだった。

 門外の広場には、多くの出店が建てられ、今更ながら、素空の力量を知るのだった。今年の盆には、市井しせいの物売りは大門より締め出され、忍仁堂や釈迦堂しゃかどうの本尊の3日間の開帳かいちょうがしめやかに行われたのだった。女子は新堂の薬師堂で参詣が許された。今年の盆は本来の寺の盆だったと西礼は思った。そう思いながらフッと前を見ると、鞍馬山くらまやまと新堂の分かれ道で、玄空大師と明智が並んで立っていた。

 さっきまでの郷愁にも似た思いがいっぺんで消え去った。「お大師様、明智様」西礼はそう叫んだ切り言葉を失い涙に暮れた。

 「西礼よ、僧の別れに涙は無用だよ。別れは再会の喜びを生むものじゃ。この世での再会が叶わずとも、後の世には叶うであろうよ。また、わしが天安寺にある間に、再会の時は必ず訪れることを確かに申し伝えておくよ。良いな!再会の時には更なる高みにある姿を見せておくれ。我が二番弟子西礼よ!」玄空大師の言葉は、西礼を勇気付けたが、涙を止めることはできなかった。

 明智が言った。「玄空様のお弟子たる西礼に、私が何を言うべくもないことですが、体にだけは十分気を付けて下さい。これは最後の懐地蔵です。もはやあなたに必要ではないでしょうが、餞別の品です。真に必要なお方に差し上げても良いでしょう。行きは、この馬をお使いなさい。さすれば、栄信様のお帰りも早くなることでしょう。再会を楽しみにしていますよ」明智の言葉に、優しさが溢れ、西礼は深く感じ入った。

 行く手には、赤い蜻蛉とんぼの群れが飛び回り、季節はまさに秋だった。

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