新堂落成 その3

 天安寺大門は盆の3日前に仕上がり、薬師堂への裏参道は多くの人々の協力を得て、新堂の落成式の前日に完成した。

 素空は、天安寺大門が仕上がった日、感謝を言うべく、宇土屋喜兵衛を訪ねた。宇土屋は、公家屋敷を請け負う傍ら、落成式の準備のため、玄空大師の配慮で、このところ、薬師堂の客間に滞在していた。既に、大工達の宿所は取り壊され、出店の小屋に建替えられていたからだった。

 「私共は、既に素空様に命を救われております。そのことに比べれば恩返しにもなりません。どうぞお気になさらないで下さい」宇土屋喜兵衛は、素空の言葉を遮り当然のように言った。

 素空は裏参道が仕上がった日に、栄雪に会うために灯明番の詰め所を訪ねた。部屋に入ると、明智が薬師如来像を彫っていた。

 「明智様、この度はお骨折り頂き、まことにありがとうございました。お陰様で立派な参道ができ上がりました」素空が礼を言うと、明智が、素空に向き直って言葉を返した。「素空様、私は人の手立てを付けただけです。あのように立派に仕上がったのは栄雪のお陰ですよ」

 明智が言い終えたところで、折り良く栄雪が遣って来た。

 「栄雪様は、あのような仕事に才をお持ちのようで、お陰様で随分見事に仕上がりました。ありがとうございました」

 素空が感謝すると、栄雪が笑顔で答えた。

 「近江八幡おうみはちまんの里の寺には、裏山のほこらに通じる石段があり、新堂と同じような道筋だったのですが、時折り補修をしなければならなかったのです。私が子供の頃から何度も補修されていて、その都度棟梁に付いて回り、工事の遣り方は多少心得ていたのです。その頃の知識がお役に立てて嬉しい限りです」

 素空と明智は、栄雪があっさりとして言った言葉に驚いた。人は見掛けに寄らないもので、栄雪にしても、淡戒の鍛冶屋奉公にしても、思わぬ人が思わぬ業を身に付けているものだと感心した。

 3人は暫らく歓談したが、話題の中心は明日の新堂落成式のことだった。宇土屋の仕切りで、神式しんしき竣工祭しゅんこうさいと、仏式ぶっしきでの落慶法要らっけいほようを行う予定だと栄雪が話した。

 「神式は、何でも、上賀茂神社かみがもじんじゃ宮司様ぐうじさま司式ししきで行なわれると聞きます。仏式では、興仁大師が座主となって、15名のお大師様と16名の老僧を従えてお昼まで法要が続くらしいですよ。昼餉ひるげを挟んで、午後からは東院の瑞覚大師が座主となって、9名のお大師様と12名の老僧を従えて、3本のお経を唱えると聞いています。最後に、玄空大師と素空様で、守護神の祈願をして終了となるらしいですよ」素空は驚いて、栄雪の顔を見返した。

 素空は自分の名前が知らないうちに式次第の中に入っていることに、釈然とせず、思わず問い掛けた。「その式次第はどなたからお聞きになったのですか?」

 栄雪は、情報源を明かした。

 「私が宇土屋様に聞いたのは、神式で上賀茂神社の宮司様が行うことでした。仏式の次第については、西院の清賢大師せいけんだいしから伺い、東院のことは揚善大師ようぜんだいしに伺いました。守護の祈願は淡戒たんかいが、全催様ぜんさいさまに聞いたと申していました」

 素空は、明智と顔を見合わせて笑った。

 「それは噂ですね?私の名が突然出たので驚きました」

 素空が言い終わると、入れ代わって明智がひとこと言った。

 「揚善大師は、私が懐地蔵を是非に手渡したいと思うお方です。当て推量でまことしやかに物申すのは、今も昔も変わりないようですね…」

 明智も疑いの眼差しで栄雪を見た。そして、更にひとこと付け加えた。

 「全催様は、揚善様と同じく、当て推量がお好きで、相手を捕まえては、事の成り行きを興味本位で推量するところがありました」そう言うと、素空の顔を笑顔で眺めて、またひとこと言った。

 「私としては、玄空様と、素空様の守護祈願が本当にできれば良いと思っています」

 栄雪も、明智と一緒に笑った。

 素空は、2人の悪戯っぽい笑顔に答えるように笑顔を向けた。3人は、久し振りに心からの笑顔を見せたが、栄雪がフッと一息吐いて呟くように語り掛けた。

 「落成式が終わると、素空様はどうなさるのでしょうか?このように、気軽にお会いできなくなりそうですね…」

 明智も、栄雪を見てうなずくように同意した。

 素空は淡々と答えた。「同じ天安寺に居るのです。離れることは寂しいですが、再会の喜びは数倍に膨らむのです。その時の喜びを胸に修行に励むばかりです。落成式の後は、西院の御仏像を改め、真の御仏に仕上げることが御仏に与えられた使命であると存じます。西院が終われば、東院の御仏像を手掛けることになりましょう。その時はまた、このようにお話ができると思います」

 次の日、忍仁堂の朝の勤めに、素空の姿があった。興仁大師の許しを得てのことで、裏参道の完成の礼を述べるとすぐに西院に戻るつもりだった。

 「素空や、お勤めの後でわしの部屋に来て欲しいのじゃが、よいかな?」瑞覚大師が素早くささやいた。

 素空はすぐに返事をし、朝の勤めの経に没頭した。

 老僧の声で、素空の名が呼ばれ挨拶が始まった。

 素空は挨拶をしながら、西院の僧達が献身的に東院の僧達を支えていたことと、東院の僧達がそれに感謝していたことを思い出していた。そして、自分の企てを受けて、栄雪が西院の僧達に与えた役どころのお陰だと感謝した。素空は、僧が自ら垣根を作り、人を区別することは、うれうべきことだとかねてから思っていた。この工事によって少しは良い方向に進んだと確信した。

 素空が挨拶を終えると、裏参道の工事に参加した僧達は誇らしげな笑顔を見せた。東院での素空の存在は、伝説のように広まっていて、しかも、誰もが好感を持っていたのだった。

 素空は朝の勤めの後、瑞覚大師の部屋を訪ねた。書棚の上に薬師如来像が祀られ、光背が眩いばかりに金色に輝き、衣が虹色に輝くのを見た。既に薬師如来像は、仏の真の姿を写し始めて、素空が瞑想の中で目にしたものとまったく同じ薬師如来になっていた。まさに、素空が献上した薬師如来像は、木彫りの像ではなく本当の姿へと変わり始めたのだった。

 「お大師様、お加減は如何でしょうか?」

 素空は最も気掛かりなことを尋ねた。

 瑞覚大師は、薬師如来像をチラッと見ると、素空に笑顔を浮かべて言った。

 「素空よ、近頃はころもに色が出始めたのじゃ。思えば、御仏に3年と承ってから1年と4ヶ月ほどが過ぎているのだよ。御姿に変化がないのは却っておかしなことであるよ。わしは、次第に変わって来る御姿のお陰で、御仏といつでもお話ができる幸せを実感することができるのじゃ。そなたのお陰で、僧として立派な最期が迎えられそうなのじゃ。ありがとうよ」瑞覚大師は、素空に優しい笑顔を向けて感謝した。

 「ところで素空よ、本日の新堂の落成式には、玄空と共に守護祈願をして欲しいのじゃが、良いかな?」

 素空は、昨日栄雪の話にでていた老僧全催の当て推量のことを思い出した。

 「お大師様、そのことは承知いたしましたが、何とも急なことで驚きました」

 素空がそれだけ言うと、瑞覚大師は事の次第を話し始めた。

 「素空よ、天安寺では、久しく僧の仏師を就けてはいなかったのじゃ。30年前、玄空が毘沙門様を彫ったのが、御本山でも久々のことであったのじゃが、昨夜、玄空との語らいの中で頼まれたのじゃよ。仏師として僧が彫ったのであれば、新堂完成の時には、経を唱えて守護祈願をせねばならぬとな!その夜、崇慈すうじを訪ねたのじゃよ。そのような前例を知らぬかと思ってな。崇慈曰く、『昔は当然の如くそのようにしていた』と言うことだった。わしとしたことが迂闊であったが、玄空の申すようにすべきである、との結論に至った訳なのじゃよ。よろしく頼むよ…」

 瑞覚大師は、そう言うと素空に微笑んだ。

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