新堂落成 その2

 素空は西院に戻ると、興仁大師に目通りを願い、来客中だったが入室を許された。玄空大師の言葉の通り、宇土屋喜兵衛が座していた。素空は、玄空大師に話したことと同じことを伝え、興仁大師も新堂の位置付けについて、玄空大師の思いを承知していたので、素空の企てをすべて承諾した。

 「素空よ、そなたは何時からそのことを考えていたのじゃな?」

 興仁大師はすべてを承知した後、ついでのようにさり気なく尋ねた。

 「はい、昨年のお盆前に、既に良からぬことと思っておりました。幸い私はいちに関わることから免れましたが、機会があれば正して行くべきと思っておりました。市の場所を門外とすることは、この修行の場を守り、既得権益を失わぬ方法として、有効であろうと思いました」素空は更に言葉を加えた。

 「宇土屋様には、門を立てると同時に、門外に小さな店をできるだけ多く建てて頂きたいのです。また、門内から新堂の裏門まで、新堂への参道として、新たに道を開きたいのです。これには、僧の力で十分と思いますので、瑞覚大師にお願いして、東院の僧のお手をお借りできれば良いかと存じます。また、西院からも5名ほどの手配をお願いいたしたいのです」

 素空の言葉が終わると、興仁大師が言った。

 「すべて承知じゃ。…宇土屋殿、素空の望む通りに動いてはくれませぬか?わしや、瑞覚大師は天安寺に永くおり、慣れ親しみて見えなくなったことが多くあるのだろうよ。素空の思いは新鮮で、実に的確であるよ」興仁大師は噛み締めるように語った。

 宇土屋喜兵衛は、素空の真価が更に膨らみ、周りの高僧に力量を認められていることを実感した。これまで、何度となく素空の力量を測り違えて来たが、考えてみれば素空はあまりにも若すぎるのだ。宇土屋ほどの年の者から見ると、何かしらの余裕を持ちたいと思うのだった。毎度のことながら、宇土屋喜兵衛は、くもあしくも素空を評することが、そもそも目違いの始まりだと思った。

 素空は、興仁大師の部屋を出ると、続いて瑞覚大師を訪ねた。西院の僧衣は、東院の物とは違うため、松石がそうだったように、違和感を持って見られていた。 素空は初め奇異な目で見られたが、素空と気付くと皆好意を示した。素空は僧衣の違いが意味のあるものだと承知していた。そこで、僧衣に対する排他的な見方を正すべきだと思い、一計を案じていた。

 瑞覚大師は笑顔で迎えた後、用向きを尋ねた。

 素空は、玄空大師に言った内容と同じことを話した。瑞覚大師は暫らく考えていたがニッコリ笑って語り始めた。

 「玄空の思いは尤もなことであるが、わしも興仁様も良きことでると心得ていながら、素空の企てのように、その術を見出せなかったのじゃ…かしらを定めなければならぬが、素空が良き者の名を挙げよ。また、盆までには1月半ひとつきはんほどしかないのじゃ。必要な人手を掛けねばなるまいのう」

 「栄雪様えいせつさまは東院では既に信頼厚く、明智様みょうちさまの嘗てのお仲間からも信頼を得ております。その仕事振りは言うに及ばず、お心のあり様に感服する次第です」

 素空は、栄雪を推薦した後続けて言った。

 「工事は新堂側からも行いますので、1日に10人の手合いを4組欲しいのです」素空が言うと、瑞覚大師は暫らく考えて、指示を与えた。

 「素空よ、栄雪なら申し分あるまい。人の手配は明智に頼んでおくれ。僧達の仕事の割り振りをすべて任せておるのでのう。栄信えいしんの代わりとなって良く動いてくれている。わしらは年を取り過ぎて頭が固くなっていたようだよ」瑞覚大師は自戒したようにしみじみと語った。

 素空は、瑞覚大師の部屋を出て、灯明番の詰め所を訪ねると、明智が文机で薬師如来像を彫っていた。

 「明智様、薬師如来像ですね?」素空の問い掛けに、明智が答えた。「暇を作っては彫っています。新堂の守護神を手伝わせて頂いてより、素空様に少しでも近付くことができるよう励んでいますが、なかなかに本当の御姿を写せません。私の心のありようが至らないのでしょう」明智が力なく答えた。

 素空は、フッと一息吐いて慰めた。

 「明智様は、懐地蔵を始め、既に御心を彫り込んでいらっしゃいます。如何したことでしょう?ひょっとして灯明番のお勤めが障りとなっているのでしょうか?」

 明智が頷いて答えた。「尊きお勤めに就きながら、心卑こころいやしくなっていくようで、恥じ入るばかりです…」明智の自虐の言葉に、素空は、栄信の言葉を思い出して、明智に語った。「明智様、御仏は試練をお与えになっているのです。今この時を、どう過ごすかが、重要なことなのです。やがて、灯明番のお役目から離れた時が、明智様の真価を発揮する時かと存じます。彫り続けることです」

 やがて、栄雪が詰め所に入って来た。素空に挨拶すると、快く頼みを承諾した。素空が東院でこのように動くことは、瑞覚大師も承知のことと皆理解していた。

 素空が動きだすと物事は凄まじい速さで進むのだった。

 次の日、忍仁堂で新しい仕事割りが決められ、その日のうちに新堂裏の道普請みちぶしんが着工された。栄雪は、僧達を連れて門内から林の中に入って行った。崖をジグザグに降りながら、2人ずつ持ち場に配置した。裏門の近くに降りて来ると、残った2人と毘沙門天にお参りした。

 栄雪は毘沙門天を目にするのは初めてだったが、他の2人はその存在すら知らなかった。厨子の扉を開くと、毘沙門天の全容が目に入り込んだ。栄雪は驚き、口をあんぐりと開けて目を見開いた。2人の僧は身を引きざまに背中から倒れて仰天した。驚きの極みだった。栄雪は、急いで経を唱えて工事の安全を祈願した。

 真夏の力仕事だから、午前に1時半いっときはん(3時間)、午後から1時いっとき(2時間)10人の2手合いが、2交代で草刈りや雑木の伐採などをして道筋を決めた。2日後から、階段作りを始め、切り倒した雑木も階段作りに使い、大方の格好がついて来た。栄雪は、僧達を労いながら、工事を指示していた。素空の希望通り、4人が輿こしかついでも通れるくらいの立派な参道ができそうだったが、いずれ石造りの階段にするべきだと思った。

 栄雪の指示に従って、西院の僧達は、冷たい井戸水を2つの桶に満たし、柄杓ひしゃくや茶わんを用意して、喉の乾いた東院の僧達に振舞った。給水所は門造りの現場と、裏参道に2か所用意された。また、西院の僧達は医術の心得もあり、薬草も用意していた。これは興仁大師の配慮によるものだった。

 素空はこの工事を通して、少なからず僧達の交流が為されると確信していた。

 一方、宇土屋喜兵衛は新堂の余り材と、仏師方と鍛冶方の材木を使って、出店を作るための図面を引いた。ゆくゆくは、大工達の宿所も取り壊し、出店の材料にするつもりだった。

 門は甚太じんたが受け持ち、新品のひのきの丸太を2本立てて周りをやぐらで囲うことにした。

 「基礎は石積みにしました。柱の根元を地中に埋設すると長く保たれませんからね。でも、倒れないようにしっかりした土台が必要で、こんな大掛かりになりましたが、却って天安寺の大門としてはこれぐらいの大きいもんじゃねぇとつり合いが取れませんや」

 素空は、甚太の大工の腕に感心し、頼もしく思った。

 甚太が絵図面を見ながら呟くように言った。「立派な門柱に彫り物があれば更に立派になるんだが…」素空はこの言葉を聴き逃さなかった。

 「甚太様、彫り物とは登り龍と下り龍のことでしょうか?」

 「そうでございます。こんな天を衝くような7間(13m)の柱にはそれがお似合いで、伽藍に落ちる雷はこの柱で引き受けるようにしたいですね」素空はまたしても感心した。「甚太様は彫り物がおできになるのですか?」

 「いいや、素空様のようには行きませんよ。私等大工は欄間らんまを自分達の腕で彫り上げるのです。大工はみんな欄間を彫って腕を競うものでございます。仲間内でのちょっとした自慢の種でございますよ」

 「それでは、柱に彫り物をする時は、甚太様の技を拝見したいものです」

 素空は天に聳える門柱に、龍の彫り物がされ、すべての落雷を引き受けてくれることを想像した。

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