第8章 新堂落成 その1

 玄空大師が天安寺の新堂に戻って20日ほど経った時、宇土屋喜兵衛が語らいに遣って来た。新堂はほとんど完成したも同然で、大工達は、戸や建具の建付けを見たり、節穴の補修をしていた。庭師はこけの付き具合を見ながら、樹木に水を遣っていた。指物さしもの調度品ちょうどひんも運び込まれ、本尊を除く仏像が堂々と鎮座していた。宇土屋は本堂で玄空大師に話し掛けた。

 「お大師様、このお堂は天安寺にあって、天安寺ではないと伺いましたが、一体どう言うことでしょうか?」

 玄空大師が、いつものようににこやかに笑みを浮かべて答えた。

 「天安寺は忍仁大師にんじんだいしの昔より、女人の入山を拒んで来たのじゃが、信心に男も女もないのはご承知のことであろう。このお堂はきょうに1番近く、裏を返せば天安寺の入り口と言える位置にあるのだよ。盆正月は御本山を広く開放すると言えども…」

 「女人は入山できないのでは如何なものかと思って、それで、このお堂までは女人の出入りを許そうとおっしゃるのですね」宇土屋喜兵衛は、とうとう玄空大師の言葉を取ってしまった。

 玄空大師は、笑みを浮かべて頷いた。

 「宇土屋殿、女人の入山を禁ずる意味は、僧の弱さを隠したいがためなのかも知れません。修行の場である御本山であれば、致し方ないない向きもあるのじゃが、このお堂くらいは里にある寺の如く、すべての人に開かれた場としたいものではないか?…」

 宇土屋喜兵衛は、玄空大師の親しみ易い人柄と、思いも付かない考え方が、どうにも堪らなく好きだった。傍らにいる者に安らぎを与える数少ない僧だと思った。

 「ところでお大師様、落成式まで手前は家に戻って次の仕事の準備をいたします。甚太じんた祥吉しょうきちを残しますので、何かありましたら甚太にお申し付け下さい。今日は昼過ぎに興仁大師にご挨拶に参りますが、それがすんだら手前の仕事は終わりなのです」宇土屋喜兵衛は晴れやかな顔で語った。

 「宇土屋殿、次の仕事はいずこかな?」

 「天安寺の仕事がない時は、お公家様くげさまのお屋敷を預からせてもらっています。次は二条様にじょうさまですが、他に近衛様このえさま三条様さんじょうさまのご用も承っております」宇土屋喜兵衛は、少々誇らし気に言った。

 「ほほう、それはお忙しいことでしょうな。仮に仕事が重なるとどうなさるのでしょうか?」玄空大師は、世間話として質問した。

 「京極様きょうごくさまからは、去年の秋にと頼まれましたのですが、天安寺の新堂が終わるまでお待ち頂きました。本当に重なった時は、大工仲間がおりまして、お互い助け合うことにしています。この稼業も、お寺に宗派があるように、4派にわかれております。仲間とは、同じ一派いっぱの職人同士を言い、他の3派は他人も同然、顔も存じません」

 宇土屋喜兵衛が自虐的な口調で言い、玄空大師が、宇土屋のしょぼくれた顔を見てなだめるように優しく言った。

 「宇土屋殿、同じ宗派の中でさえ、お互い相容れぬと言って仲を絶つこともありますのじゃ、口も利かず、顔も知らない職人同士と言うことは、なかなかに洒落しゃれているではないか。ただ、いずれ関りができた時、どう言う構えでいるかが問われるだろうよ。先ずは、お仲間を大切に、次は同じ大工同士を大切になさることじゃ」

 玄空大師の言葉に、宇土屋は深く感じ入った。

 「さすがに、お大師様は手前らの考えの遥かに及ばない高いところから、物事をご覧になっていらっしゃいます。おっしゃることは肝に命じまして務めます」

 宇土屋喜兵衛は、玄空大師との話には人生の糧となる言葉や、考えなどがあり、何気ない話の中で教えられることが多かった。

 宇土屋が帰ってから、入れ代わるように素空が遣って来た。素空は毎日昼頃になると新堂に来て、玄空大師と語り合った。

 「おお素空よ、今日は何やらにこやかだのう。一体何事じゃ?」

 玄空大師もにこやかに質問した。

 「はい、崇慈様すうじさまから新堂の書籍をお運び下さると伺い参りました。明日の昼前に荷車に積んで来られると伺っております」

 崇慈大師は司書一筋に、30年務めた僧で、新堂の書棚を見に来た時、このお堂は女人にも開くことにする旨のことを伝えられていたので、崇慈が選んでくれる書籍がどのような物か楽しみが膨らんだ。

 「ところで、素空がここに毎日のように顔を見せるのも、もう暫らくで終わりになるな。新堂は来月末に落成式を迎え、いよいよ日常のお勤めをすることになるのだが、そうなると滅多に会えなくなるのが残念であるよ。…落成式の準備は怠りないかな?…そこでじゃ、皆に親しまれるよう、でき得る限り夫婦で列席できるよう配慮をしてもらえぬか?」

 玄空大師の念願を実現すべく、素空は一計いっけいを案じた。

 「お住職様、そろそろご招待いたします方々に文をださねばなりませんが、その前に盆支度ぼんじたくをいたしておくのが良いかと存じます」

 素空の意味ありげな言葉に、玄空大師がその意味を尋ねた。

 「はて?盆支度とは、どのようなことかな?」玄空大師は、素空の言葉を待った。

 「はい、お住職様、天安寺の入り口を定めるのです。場所は鞍馬谷方面くらまだにほうめんへの分かれ道の前にある広場です。そこに、これより天安寺伽藍とハッキリとお分かるような門構えと、表札を仕立てるのが良いと、かねてより思っておりました」

 素空が言った意味を、玄空大師は深く知りたかった。

 「素空よ、参道に立札を立て、古来より天安寺の敷地であると記されているではないか」玄空大師は、自分の言葉が終わらぬうちに、素空の思いを理解した。

 「なるほど、天安寺参道と、門内を分けると言うのじゃな?参道は天安寺の敷地を示し、女人も通れるようにし、門内は天安寺伽藍の内として、女人の立ち入りを禁ずるのだな?」玄空大師が納得したような仕草を見せたが、ハッとして、素空を見てから言葉を加えた。「素空、そなたは天安寺伽藍の内での商いを許さぬと言うのか?盆、正月の土産売りを寺から寺への通りで行なうことを許さぬとな?…尤もなことじゃが、思いも付かぬことであった…」玄空大師は驚いて暫らく黙した。

 「天安寺とは、実に難解な寺であると思いました。1つに、数多くの仏閣を総称して天安寺と言い、東院、西院に分かれ、修行の場を求めるに鞍馬山までの山岳一帯を縦横に使っております。確かに、参道には立札があり、これより天安寺参道とありますが、女人禁制のことは書かれておらず、万人が心得たることとして、立ち入ることはありません。また、御本山は修行の場であるにもかかわらず、ご承知のように土産売りをいたしており、盆、正月にはどのような者が入り込んで来るやらまったく分かりません。このような有様は天安寺の起源をひもとけば、あるべき姿と言い難いと存じます」素空は一息吐いてもう1つの企てを明かした。

 「新堂は、天安寺伽藍の外となると言う訳ですが、これではいけません。天安寺門外にありながら、天安寺の一部として天安寺内になければ、天安寺の新堂とは申せません。そこで、天安寺門内から、新堂の裏門まで抜け道を造ることで、内にありながら外、外にありながら内と言う特異の存在を求めたいのです」

 素空が語り終えた時、玄空大師は心の底から満足を得た。目に涙さえ浮かべ、弟子が己を越えたことを喜んだ。

 「素空よ、我が手を離れて随分成長したものだ。そなたの思うままに行うが良かろうよ。ただし、宇土屋殿は京に帰ると聞いている。今は興仁大師に挨拶を申している頃じゃ」

 玄空大師は語り終えると、素空の顔に笑顔を向けて、戻る姿を暫らく見守った。

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