玄空の力 その3

 ある日のこと、素空は新堂の本尊について興仁大師に質問した。守護神ばかりに専念し、1番肝心な寺の本尊がないのに気付いたのだ。新堂の落成は、間もなくと言うのに、どこから運び入れるのかまったく聞いていなかった。

 「素空よ、新堂の御本尊は既に御座おわしますのじゃ」

 興仁大師の言葉に、素空は更に問い掛け、興仁大師が答えた。

 「御本尊は、御仏で御座せば、御仏の心は既に御座しますのじゃ。形を求めるのであれば、瑞覚大師の薬師如来像が良かろうと、瑞覚様と話し合っておるのじゃ。何せ本当の如来様で御座しますれば、どこの御本尊と比べても、決して劣ることはないのじゃからな!但し、瑞覚様のご希望で、新堂に安置するのは2年後となろう」

 素空は驚き、瑞覚大師に薬師如来像を献上しなかったらどうなっていたかを質問した。すると、興仁大師はあっさりと答えた。

 「天安寺には数多の仏像があり、その中の何体かのうちの1体を安置するつもりだった。勿論、御本尊がなくとも、寺には既に御仏が御座しますのだが、人は形にして見せねば信じられぬもののようじゃ」興仁大師は1人笑った後、更に語った。

 「素空よ、寺の御本尊は形ではなく、御仏の御心が息づいているかどうかなのじゃよ。先ずは、玄空様を新堂の座主とするのじゃ。新堂の隅々に至るまで、御仏の御座おわさぬところはないであろう。そう思わないか?素空よ…」

 素空は、興仁大師の明快な答えに圧倒された。

 素空は木を彫り、仏の姿に似せ、最後は仏の心を彫り込むことで、仏師としての達成感たっせいかんを得たのだが、その過程で形にこだわっていたように思った。考えるまでもなく、石像や木像のないところにも、仏は存在するのなら、初めに心ありき、僧たる者そのことを決して忘れてはならないことだと思い、素空は己が、仏師の前に僧だと言うことを肝に銘じた。

 そして、最後に1番の疑問を口にした。

 「そもそも、新堂を建立し、我が師を座主とした訳をお教え下さい」

 素空の素朴な質問は、新堂の根本に関わる重大なものだった。興仁大師は、声音を変えてハッキリと答えた。

 「素空よ、我らがこの世にありて求めるものは何であろうか?…左様、我らはこの世にありて、御仏の如くに悟りを開くことであるよ。さて、素空も然りであるが、法力を備えた御仏像は、法力を得た者でなければ得られないものであるが、毘沙門様をひと目見た時に、御仏の御心が込められたものであることが分かったのじゃ。瑞覚様とも相談して、過去を償うためのお堂を造ることを決めたのじゃよ。誰に償うかとは言うまでもないであろう」

 興仁大師はフッと息を吐いて続けた。

 「初めはお堂の建立だけを考えたのじゃよ。瑞覚様は違ったお考えのようじゃったが…。そなたが天安寺に上がって、玄空様との関りを知り、わしの思いと瑞覚様の思いが一致いっちしたのであるよ。玄空様が、瑞覚様やわしなど及びも付かぬほど才知さいちけ、御仏に愛されているのは、誰しも認める所であるよ。法力を備えていることはその証でもあるのだが、新堂、ひいては東院を任せるに足るお方は他にいないのじゃ」

 興仁大師はまたもフッと息をいた。

 そして、更に語った。

 「我等とて、御仏にすがるのであるよ。その心を持っている限り、我等より秀でたる者を決しておろそかにするものではないのだよ」

 素空は、興仁大師に深く頭を垂れた。

 玄空が毘沙門天を仕上げた日、瑞覚大師は、玄空を伴って西院に赴き、興仁大師に玄空を引き合わせた。玄空が天安寺に着いた日、折悪しく興仁大師が風邪を引いて、臥せっていたからだった。

 今日は表向きには、毘沙門天の完成の報告と、引き続き新堂に寝泊まりすることを許してもらうためだった。どちらも簡単に用が済んで、瑞覚大師と興仁大師の前に、玄空と素空が座して、半時はんとき(1時間)ほど歓談した。興仁大師が素空のことを語り始めた。

 「玄空様、春先に素空を西院に移してからと言うもの、私の務めが楽になりました。玄空様のお仕込みが良かったことはすぐに分かりました。側に着くと、私の心を読み取ったように、私の欲する如くにおこなってくれます」

 玄空は弟子をめられ満足そうに興仁大師に笑顔を向けた。

 玄空は、笑顔の中にキリッとした眼差しを興仁大師に向けながら語り始めた。

 「お大師様にお褒め頂き、この上ない喜びです。僧としても、仏師としても、私はその才を認めるところですが、これひとえに素空の精進の賜物と存じます。私が為したことは、素空を見出したことに他なりません。人は、早くに神仏と接することで神仏により近付かんと欲します。しかしながら、迷い、揺れ動く人の心はなかなかにまっすぐな仏道を歩むことができないものなのです。素空はこれまで迷うことなく、まっすぐに仏道を歩んで参りました。是、即ち素空の資質によるものと存じます」

 玄空は、如何にも満足げに話し終えた。

 素空は、終始俯き加減に、身じろぎもせずに聴いていた。心の中に、薬師寺での10年間が蘇って、どの場面を思い出しても、素空の前には常に玄空がいた。

 「素空よ、何ぞ考えているのかな?」瑞覚大師の声で、ハッと我に返った。

 「我が師の言葉に、伊勢滝野での生活を思い出していたのです」

 「ほほう、どのような思い出かな?」今度は、興仁大師が尋ねた。

 「御本山に上がるまでの10年間のすべてが一気に蘇り、まぶたを駆け巡りました。思い返せば、すべてのことは我が師が御座おわしましたればこそと感謝いたしております」

 2人の貫首は、師弟の強い絆を思い、素空の並外れた法力の訳を読み取った。

 「ところで、興仁様、松石しょうせきは如何なされていますかな?あの方は、栄信の従兄弟いとこと言うばかりではなく、わしの薬師如来像に光背が現れたのを見ることのできる、数少ない僧なのじゃよ。わしが玄空の代わりの者を立てるに際し、栄信を選んだ最大の理由が、松石のこのことなのじゃよ。栄信が灯明番を束ねる限り、御仏の降臨に与れぬと思うたのじゃ。松石を見て、栄信には見えなんだ。ままならぬものよ…」

 「瑞覚様、栄信とは10日ほど共に暮らし、寺の諸事を引き継ぎましたが、思慮深く、謙虚で、徳の高い僧であると思い、安心して御本山に上がることができました。瑞覚様のご心配は御無用と存じますよ。栄信はこのことに触れ、『尊い職務に付きながら、次第に卑しき心を持って灯明を預かっていたように思います』そう申しておりました。このことは、松石様より、御仏の光背の話を聴いた時に気付いたそうです。さすれば、栄信のこと、己の心を更に高めて、御仏の降臨に与れることは間違いないことです」

 「わしは弟子の心を測り違えたのであろうか?」瑞覚大師は寂し気に一言呟ひとことつぶやいた。

 玄空は、大切な兄弟子を慰めるために、一言付け加えた。

 「瑞覚様が僧である前に、1人のヒトとして、弟子に人情の限りを尽くし、行末を案じたもので、御仏の御慈悲も斯くありきと存じます」

 瑞覚大師は、友の慰めが心に響いた。興仁大師は、西院の中に弟子と言える僧がいない己の境遇を寂しく思い、とぼけた口調でひとこと言った。

 「お2人は、まことにうらやましいですね。わしなどは、東院の修行が終わって西院に移り、弟子と言えども、いささかとうが立った者が殆んどで、寂しいばかりじゃよ」

 皆はどっと笑い、場が明るくなったので、興仁大師は更に言葉を続けた。

 「ところで、松石の寺は志賀の里にこの春に建立され、天安寺としての落成式をいまだいたしておりません。そこで、3日後に落成式を執り行う予定なのですが、お2人共ご出席願いたいのです」

 3日後、瑞覚大師は2人の供を連れ、玄空は素空を連れて、西院の僧として行くことになった。

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