玄空の力 その2
この日の夜半、新堂の宇土屋の宿所に3人の盗賊が押し入った。宇土屋には、新堂の建設費として、材料購入のための
宿所には10人ほどの職人が詰めていたが、刀で脅され、1部屋に集められた。賊は金を出せば、皆殺しにはしないと言い、宇土屋は寺に押し入ると、仏罰を受けるから思い留まるよう説得した。
他の者には、身動き取れないように縄が掛けられ、宇土屋には、刃物を突き付けて言った。「お前が棟梁だな。金があるのは分かっているんだ。隠し立てせず、素直に出しな!さもないと、仲間を1人ずつ殺すぞ!」
宇土屋は考えた。「金はここにはありません。表門の格子の中に隠しています。誰も出入りできないところにしか隠しません」
宇土屋は、素空の言葉を思い出し、仏の加護を一心に祈った。
宇土屋は荒々しく表に放り出され、闇に包まれた表門に向かって蹴飛ばされ引き摺られた。暗い境内を這いながら、阿形尊と吽形尊に助けを求めた。
表門まで2間(3.6m)ほどのところで、盗賊の1人がヒーと喉を鳴らして苦しみ始めた。暗がりに賊以外の誰かがいるような気配があった。ヒーと苦しげな声をだして宙に浮いているようだったが、宇土屋の目の前に放り出されると、気絶して動かなくなった。残った2人は、互いに顔を見合わせて、辺りの気配を覗った。
その時、外の暗がりに目が慣れた宇土屋喜兵衛は信じられないものを見た。身の丈7尺(2.1m)の半裸の男が2人、怒りも露わに凄まじい形相で、賊の首に手を掛けて宙に吊り上げていた。半裸の男達は2人の賊を宙吊りにしたまま、宇土屋の顔を覗き込むように見入った。ここに来て、宇土屋の恐怖は絶頂を極め、全身がガタガタと震え始めた。だが、素空の言葉がまたしても蘇って来た。『そうだ、仁王様はわしに危害など加えよう筈がない。賊を赦すかどうかを、わしに求められたのだ』宇土屋はそう気付くと、心の中で賊をお赦し下さいと祈った。次の瞬間、賊は境内に投げ出され、半裸の男たちは姿を消した。
新堂の境内で異変があった頃、素空は何時になく興奮して、眠れないまま新堂に出掛けようと思い、提灯を下げて夜道を歩んだ。新堂に着いた時は、既に盗賊には縄が打たれ、職人達に取り巻かれていた。宇土屋喜兵衛は不思議そうに守護神を眺めていた。
宇土屋喜兵衛は格子の中の守護神と、3人の盗賊を交互に見ながら語った。
「仁王様の仕業に違いありません。盗賊を素手で宙に吊って懲らしめなすったのですよ。人にできる芸当じゃありませんとも」宇土屋は興奮して語った。
「素空様、明日こいつらをお役人に渡そうと思っています。危うく殺されるところでしたから…」宇土屋は息巻いていた。
素空は、盗賊のところに歩み寄り、縄を解いて逃がすように言った。
「素空様、こいつらこともあろうにお寺に押し入って、私等を殺そうとしたんですよ。とても赦せる筈はありません」
素空は、賊に向かって言った。「あなた方を懲らしめたお方を見たのですか?」
素空の質問は簡単だった。盗賊の1人が恐怖に震えながら、身の丈7尺の仁王尊に、喉笛を掴まれて宙吊りにされたことを、消え入るような声で答えた。
「この者達は、御仏によって裁かれました。これ以上、人が何を望めましょう」
職人達は、なおも抗議した。「こいつ等を離せば、またどこぞで悪事をするに違いありません。どうか、素空様、この悪党どもに世の中の厳しい決まりを分からせて下さい」
素空は重ねて言った。「この人達は、御仏によって裁かれたのです。人がヒトを裁くことはできません。あなた方は、御仏によって助けられたのです。この人達が仏罰を受けてこのようになったのであれば、御仏の裁きは終わったと言うことです。あなた方が御仏より偉いのなら更なる罰も与えられるでしょうが…如何に!」
職人達は黙り込んだ。そして、素空が更に言った。
「この者達は、今この時だけで裁かれたのではありません。御仏はこの者達の
宇土屋喜兵衛は、仁王尊に問われて、賊を赦すと願ったことを告げた。素空は、それ以上語ることはなかった。そして、職人達は3人の盗賊の縄を解き、放免した。
「お前達、今度悪の道に入ったら、仏罰が与えられるから、悪さするんじゃねえぞ!」3人の賊は、甚太にそう言われると、逃げるように京への参道を下った。
素空は西院に戻って行き、宇土屋はこの日、素空の真価を本当に理解した。
翌日、素空と玄空が揃って新堂に遣って来た。素空の手には、仕上げに使う道具が入った木箱が抱えられていた。
表門の仁王像に黙礼して境内に入ると、宇土屋喜兵衛に声を掛けた。この日から玄空が寝泊まりすることになると伝え、仕上げに取り掛かった。
玄空が来る前に、素空は、興仁大師に命じられていた。
「新堂が西院の仏閣である以上、裏門の守護神の仕上げには、西院の僧が付き添わねばなるまい。素空よ、玄空様の助けとなるよう頼むぞ」これは興仁大師の粋な計らいだった。
2人は裏門に行き、厨子の扉を開いた。厨子の屋根は細工を外すと簡単に外れた。宇土屋の職人に加勢を受け、毘沙門天を本堂脇の縁側に安置して、この場所で仕上げの手を入れることにした。
宇土屋は、2人に茶と
「これはこれは、宇土屋殿、ありがたく頂戴するが、今後はどうぞお気遣いなきよう願います」玄空の言葉に、宇土屋喜兵衛が笑顔で答えた。
「これは、昨夜のお礼といたしましては、何ほどのことでもありません。何しろ、命を救われたのですから…」
宇土屋喜兵衛は昨夜のことを
玄空は声もなく考え込んだ。「素空や!」本堂にいた素空を呼んで、語り掛けた。「そなた、僧としても、仏師としても、わしを超えてしもうたようじゃな。福の神を描いた日より、既にこの日の到来は分かっていたが、これほど早く来ようとは思いも寄らぬことであった」
素空は、俯いて聴いていたが、玄空の言葉を否定した。
「私は、未だお住職様の足元にも及びません。まだまだお教え願いたいことが山ほどあるのです。どうか、これからもお教え下さい」
宇土屋には、どちらが謙虚なのか、凄いのかまったく分からなかった。ただ、そんなことを考えるのが、目違いの初めだとぼんやり理解していた。
毘沙門天の仕上げは、素空の助けを受けて7日で終わった。素空は、瞑想のうちに現れた毘沙門天を思い出した。表情も姿もまったく同じだった。だが、その心の奥底までは見通すことができなかった。
その時、玄空が語り掛けた。「素空よ、わしの力の限りを尽くした、30年掛かりの作であるよ。既に
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