守護神開眼 その2

 奥書院では淡戒が桐箱の組み立てをしていた。時折り、栄雪が手伝いに遣って来て、でき栄えを褒めていたが、淡戒は何となく物足りなさを感じていた。

 『箱書きをどうにか工夫しなければ…』

 淡戒は、懐地蔵の持つ意味を理解していたので、新堂に出向いて素空に相談した。

 「箱書きですか?名をしるすだけでは趣旨が分かりにくいとおっしゃるのですね」素空は念を押した後、淡戒の考えを聞くことにした。

 「天安寺の老僧、高僧に正しき仏道に立ち返ってもらうためのものであれば、以前、明智様の配下であった方々にも、お手伝い願った方が良いのではないかと…」

 素空は、淡戒の思いを理解した。

 「そうですね、栞書しおりがきを筆の上手なお方にお願いするのが良いでしょう。蓋には鍛冶場の最後の仕事として、『懐地蔵 天安寺』の銘の焼印やきいんを押すことにいたしては如何でしょう」淡戒は喜び、早速取り掛かることにした。

 栄信が天安寺を発って7日が過ぎた時、素空と淡戒が鳳凰堂ほうおうどう仙啓大師せんけいだいしを訪ねた。仙啓大師は、素空と淡戒を快く迎えて本堂に案内した。3人は本尊の前で経を唱えた後、話しを始めた。既に素空の経を聞き付けて12、3人の僧が、本堂の脇に控えていた。懐かしさと共に、素空の経に歓喜や、悔恨の涙を浮かべる者達がいた。

 「で、ご用の趣はどのようなことであろうかの?」仙啓大師は笑みを浮かべて、素空の言葉を待った。

 「座主様ざすさまには、明智様の嘗てのお仲間をお預かり頂き、まことにありがとうございます。この度、新堂の落慶法要らっけいほうよう引出物ひきでものとして、天安寺の老僧、高僧の方々や、ご来賓らいひんの方々に心ばかりの品を献上申し上げる所存です。付きましては、座主様のもとにお預かりの方々に、ご加勢頂きたいと思いまして、お願いに上がりました」

 仙啓大師は暫らく笑顔を崩さず考えていたが、やがて言葉を返した。

 「素空よ、玄空様の愛弟子の願いとあれば、是非もないことであるよ」

 仙啓大師は、明智の以前の配下をすべて呼び集めた。西礼、宇鎮を始めとして続々と集まり、仙啓大師が口火を切った。

 「修行の途中ですまないが、素空様のお話を聞いておくれ」

 素空が話し始めると、話しの半ばで皆が涙した。そして、1人残らず従い、心の片隅に明智への思いが膨らみ、嘗てのはけ口のない無念な思いが蘇った。

 淡戒は筆の達者な者と、そうでない者に分け、筆の苦手な者には鍛冶場で焼き印を押してもらうことを伝えた。

 次の日、桐箱の蓋をすべて集めて、15人の僧が代わる代わる焼き印を押した。

 焼き印が押された箱は、奥書院に戻され、仕上げのすんだ懐地蔵を袱紗に包んで桐箱に納めた。箱の隣で栞に由来を記すために十人の僧が筆を執っていた。

 明智が様子を見に来た時、一同感激の再会だったが、1番涙を流したのは明智だった。明智は一同のすべてが正しい仏道に立ち返ったことを喜んだ。

 「皆様、長きに渡りご苦労をお掛けしました。これからは、共に正しい仏道を歩みましょう。この引き出物で、嘗て私達が受け入れることができなかった不条理を正します。素空様のお力で私達は正しい仏道に立ち返りました」

 明智が言い終わると、宇鎮が口を開いた。

 「私も、明智様と変わらぬほどの体験をしていながら、どうすることもできませんでした。勇気があれば、もっと早く苦難を乗り越えることができたでしょうに…」

 明智は、宇鎮の言葉が終わらないうちに話し始めた。

 「いいえ、そうではありません。素空様なら過ちを改めるに遅いと言うことはないとおっしゃるでしょう。今になってそのことが良く分かります。素空様は、天安寺に上がってすぐに、私達のことを気に掛けておいでで、仏師方のすべての彫り手を我等から選ばれたのです。これは、西院の2人にも同じことが言えるのです。人は行くところまで行かねば分からないものです。素空様はそのことを初めからご承知のようでした。すべては、御仏の思召しののままにお運びになったのでしょう」

 明智の言葉が終わると、一同は黙り込んだ。重い空気が奥書院を満たしたその時、懐地蔵が一斉に金色の輝きを放ち、皆は目を開けていられなくなった。明智も驚きながら目を閉じた。閉じた瞼を通り抜け、金色の輝きが目に入り込んだ。輝きはすぐに収まり、瞼に残光を写していた。やがて、それも治まると、一同は喜び合った。

 仁啓が感激して言った。「明智様の懐地蔵が輝きました。すべての地蔵様が金色に輝きました」仁啓は歓喜して、法垂と抱き合った。その日の夕刻、すべての懐地蔵が袱紗に包まれ、栞付きの桐箱に納められた。

 明智が、素空を呼んで完成を知らせた。

 「見事なでき栄えですね。これは、皆様で成し遂げられたことに大きな価値があるのです。箱の中の地蔵様はまことの御仏です。私達は献上したお方が真の仏道を歩むように、御仏にお願いをいたしましょう。そうすることで、私達の願う天安寺となることでしょう」

 素空は言い終わると、経を3本唱え始めた。一同は素空の後を追うように唱えた。

 素空が2本目の経を唱え始めた時には、宇鎮、西礼が嗚咽を始めた。潔癖を求めながら、心がけがれて行くような日々だった。ことに、西礼は心優しい僧だったが、最後は泥沼の中で身動きできず、凍死する寸前に仏師方と灯明番によって救い出されたのだった。西礼は、あの時、罪を背負ったまま死ななかったことに感謝した。

 宇鎮の涙は、深い悔恨のほとばしりだった。鳳凰堂での修行は、他の者にとっては新たな旅立ちにも似て、過去を打ち捨てて正しい道のみを見詰めることだった。だが、宇鎮は過去を捨てきらず、自責の念にかられていた。明智がそうだったように、宇鎮は、明智の言葉の実行部隊として、過去の罪を清算できないでいた。素空の経を聴くことで、仏に触れたような喜びを味わい、一方では消すことのできない自責の念が、宇鎮を責め立てた。

 3本の経が終わり、一同清々しい顔で喜びを露わにしていた。だが、宇鎮だけが苦しい表情をして桐箱の1つを見詰めていた。

 「宇鎮様、如何なされましたか?お加減が悪いのではありませんか?」

 「いいえ、何でもありません」素空は、宇鎮が取り繕うのを見ていた。

 「宇鎮様、どうぞ懐地蔵をお1つお持ち下さい。明智様が丹精込めて彫り上げ、皆様方が正しき仏道を歩むよう、念じたものです。これから先、宇鎮様を正しくお導き下さることでしょう。毎夜、就寝前に箱からお出ししてお祈り下さい。心安らかに休むことができるでしょう。人には過ちを悔いる謙虚な心も大切ですが、悔いる心の一方で、御仏に更に近付くことが肝要と存じます。悔いるばかりでは逃げることとなりましょう。悔いる一方で、御仏にすがり御慈悲を頂き、その御慈悲に感謝して、更なる修行をいたすのが、私達僧の務めなのです。一心にお祈りなさることです」

 素空は、くどいばかりに重ねて言った。

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