明智の罪 その2

 この様子を隣の十人部屋で密かに聞いていた者がいた。六円りくえんと言う年若い僧で、西礼に1番可愛がられた僧だった。

 善西との決別を決めた時、西礼は六円にそっと告げた。

 「六円、今宵は会合に決して出てはなりません。夕餉ゆうげを摂らず、病の振りをしてジッとこの部屋にいるのです。明日、私に異変があれば、奥書院の明智様を訪ね、助けを求めなさい。何があろうとこの部屋に戻ってはいけません。また、部屋を出るまでは、何があっても動揺を気取けどられないようにするのですよ」

 そう言うと、六円の様子がおかしいと言って、手当てを始め、手桶ておけ手拭てぬぐいを用意させ、暫らく枕元に付いていた。

 仮病を使い、ひとり部屋に残された六円は、部屋の仕切り板を1枚外すと、宇鎮の部屋の板壁に顔を近付け、会合の様子をうかがった。

 六円は、ただならぬ事態に驚いた。『西礼様はこのような事態を予測して、私を救おうとお思いになったのだ』そう思うと、すぐに助けを求めることにした。西礼の言い付け通り、このまま明日まで待つことは決してできなかった。六円は、そっと部屋を抜け出し、奥書院を目指した。

 「明智様、大変です!お助け下さいませ!どうか、西礼様をお助け下さい!」

 六円の必死の訴えに、全員驚いて注目した。

 「六円ではないか。順序立てて話しなさい。皆に分かるような説明をしなさい」

 ハッとして六円は、皆の顔を見た。明智の他、仁啓、法垂、がいた。そして、その向こうに素空と栄信がいたのだ。

 周りに目が向くと随分落ち着くもので、皆に分かるよう順序立てて話すことができた。六円は話し終えると、明智に救いを求める眼差しを向け、明智は立ち上がり助けに向かおうとした。

 「明智様、お待ち下さい。明智様が行かれれば、事が大きくなるばかりです。私に良い考えがありますのでお聞き下さい。いいですね!」

 素空は、何時になく強く、キッパリと言った。

 「先ず、六円様は、ここに来ることに気付かれましたか?気付かれていなければすぐにお戻り下さい」

 一同は驚いた。六円をおおかみ巣窟そうくつに帰すようなものだからだ。栄信は、素空が如何なることを考えているのか、興味津々の面持ちだった。

 一方、明智はすぐさま反対し、このことを気取られては、六円の命に関わると主張した。素空は、六円の側に近寄り、優しく語り掛けた。

 「六円様、あなたは西礼様のお言葉の通りにいたさねばなりません。どのようなことになろうと、西礼様はあなた様のお身の無事を願っていらっしゃいます。西礼様は助け出されても、あなたに難が及ぶことを恐れることでしょう。ここに明智様の大日如来像だいにちにょらいぞうがあります。この如来様を懐に入れて一心いっしんに祈るのです。明日、西礼様の異変を耳にした後、改めて助けを求めに来るのです。さあ、御仏にすべてをお任せして西礼様の言葉に従うのです」六円は力なく、十人部屋に戻ろうとした。その時素空が一言付け加えた。

 「六円様、懐の如来様は明智様が近頃まで手を加えられ、御仏の魂の籠った如来様で、一心に祈ればそのことがお分かりになる筈です。ご安心下さい」

 素空の言葉に力を得て、六円が戻って行った。

 素空は、皆を集めて話を始めた。

 「さあ、これから西礼様と宇鎮様を助け出します。しかし、人の手で助けることは好ましくありません。御仏にお助け頂いたことにするのです。ほんの2、3日そう思わせれば良いことです」

 栄信は面白いことになったと身を乗りだした。

 「仁啓様は毛布を2枚、熊手くまで竹箒たけぼうきを3本ずつご用意願います。法垂様は鍛冶方のお2人に声を掛けて外出そとでの用意をし、奥書院の裏手にお集まり頂くようお伝え下さい」

 そう言うと、今度は栄信に向かって話した。

 「栄信様、まことに申し訳ないのですが、栄信様の奥座敷を3,4日お貸し頂けませんか?」栄信は、皆まで言うなと言った顔で答えた。

 「承知しました。2つの寝床とたらいに湯を満たしてお待ちしています」そう答えると何やら嬉しそうに部屋を出て行った。

 栄信は、自分の部屋に戻ると、灯明番を招集して、力強く指示を与えた。

 「これから始めることは、永久とわ法灯ほうとうをお守りする任と、同等の価値の高い任務です。鳳来山天安寺の重大な節目となる1日が始まりました。これから取り組むことは、一切他言無用いっさいたごんむよう一切隠密裏いっさいおんみつりに運ばなくてはなりません。心して掛かるよう申し上げておきます」

 そう言うと、栄雪と行信に向かって言った。

 「お2人は、奥書院の裏手に行き、素空様の加勢をするのです。外出そとでの衣装で、毛布を1枚ずつ温めて持って行くのです。さあ、お急ぎ下さい」

 栄信の指示は的確で、何時にない力強い言葉に、灯明番全員が緊張した。灯明番は当番2人を残し、たらいを4つ、手桶ておけを4つ用意した。だが、風呂から湯を取るのが至難の業だった。栄信達灯明番の入浴時間に、手桶で何度も運び出した。外には宇鎮の部屋の者が風呂番をしていたので風呂に入った振りをした。やっとのことで、盥4つに湯を用意した。

 灯明番が湯を運んでいる時、素空達は宇鎮と西礼を助け出していた。2人はもはや自力で立てないほど衰弱していた。ちょうど栄雪と行信が毛布を持って加勢に来たので法垂と行信が宇鎮を運び、栄雪と栄至が西礼を運んだ。残った素空と明智、仁啓、胡仁の4人で足跡を熊手でき消し、竹箒で付近をならした。

 素空は、明智の十人部屋に居た時、部屋の裏手にある中庭の存在を知っていた。中庭の中心にけやきの大木があるのも知っていて、素空はその欅の幹に2人がくくられていることは当然のように予想が付いていたのだった。

 素空は幹の周りも救出経路も綺麗に痕跡を消し去り、仏の力を信じさせる段取りを完了した。すべてが元に戻され、奥書院の詰め所に仏師方が戻って来た。

 「素空様、雪が降り始めたようですね」明智が目を閉じ、しみじみと言った。

 栄信の部屋では既に行水ぎょうずいが行われ、2人は1つ目の盥から2つ目に移ったところだった。次第に意識がしっかりとして来た。

 「お助け頂き、ありがとうございました」2人は身繕みづくろいをして布団に入ると、ジッと目を閉じ涙を流した。栄信は、ゆっくり眠るように言うと、奥の間の襖を閉めた。

 素空が、栄信の部屋に来たのはそれからすぐのことだった。素空は部屋に着くなり2人の容態を訊いた。

 「お2人はすぐに体を温めて布団に入りましたので、今はぐっすり眠っていることと思います。それに付けても、素空様、この度は迅速なお働きに感服いたしました。で、この後は如何なりましょうや?」

 「先ずは、灯明番の方々のお陰で、お2人は危機を脱したように思います。まことにありがとうございました」

 居合わせた灯明番の僧達は、素空の言葉に顔をほころばせて共に喜んだ。栄雪と行信、栄至、胡仁は喜び一入ひとしおだった。

 「これからのことは明白です。先ず、善西様方は明朝まで外を見ることなく過ごすことでしょう。途中で外を見ることは、外の惨状を目にして助けをいたさぬことで、罪となることを恐れるからです。…やがて、朝になり、お2人が消えてしまったことに気付くと、誰の仕業かと疑うことでしょう。雪の上に足跡はなく、どこを捜しても、お2人の居場所が分からぬまま時が過ぎます。僧であれば、御仏の仕業だと言いだす者がでて参りましょう。僧であれば、人には逆らうことができても、御仏に逆らうことはできません。1日、2日と経つに連れ、造反のお方が多数を占め、一味いちみを成すことができなくなりましょう。その時、私達は御仏の御慈悲を知らなければなりません」

 栄信は、素空の言葉に感じ入って目を閉じた。

 栄雪は思いの片隅に、少しばかりの気掛かりを感じて、おずおずと疑問を口にした。「私達が御仏の御慈悲を知るとは、どのようなことでしょうか?」

 素空は微笑みを向けて答えた。「栄雪様ばかりではなく、皆様にもご理解願いたいのは、造反した者達を、心広く受け入れると言うばかりではなく、最後のお一人にも御仏の御慈悲を以って接すると言うことです。裁きは御仏のみが為すことのできるもので、私達人間は、御仏の御慈悲のみをならうべきなのです」

 素空の言葉で暫らく静まり返り、それぞれに、その時の身の処し方を考えていた。

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