第3章 明智の罪 その1

 栄雪は、寒風の吹きすさぶ中、良円の墓に参っていた。早いもので、今日が月命日だった。良円の里と自分の実家の寺には、既に文を送っていたのだが、返事の報告をするために、文を持って来た。

 「良円、お母上が随分おなげきになったそうです。天安寺では墓参りも叶わないとおっしゃって、3回忌さんかいきにはあなたに会いたいと仰せだそうです」

 栄雪は、暫らく良円と話をした後、墓所を下りるために立ち上がった。すると、寒風に乗って経の響きが伝わって来た。『この声は、確かに素空様のお声だ。一体、どこから聞こえて来るのやら…』栄雪は、風上を見詰めた。

 墓所は、天安寺に暮らしたおびただしい僧が眠るところで、中心部は随分先にあった。風上を求めて坂を上り、丘の上に眠る高僧の墓が並ぶ場所に、黒松くろまつの木と大きな岩が見えて来た。黒松が墓所の中心なのは承知していた。その黒松の横の岩に素空が座して、ひとり経を唱えていた。ここまで来ると、素空の顔も、声もハッキリ分かったが、肩口から首筋にかけて金色の光が揺らめいて、これ以上近付くのがはばかられた。

 素空は、もう10日も墓所に通っていた。あちこちで経を唱えたが、墓所が1番落ち着いた。素空は墓所に来ると、4回経を唱え、東西南北、四方の霊を慰めた。そして、良円と太一の墓に参るのが日課になっていた。

 この日、偶然、想雲大師そううんだいしの墓を見付けた。師玄空しげんくうとの関りを聴いていたので、哀れに思って経を唱えることにした。見事な石塔せきとうに刻み込まれた『そう うん』の2文字に、その昔、威勢を誇ったこの墓のあるじを思い、墓所に眠っては、最高位の貫首かんじゅも、一介いっかいの僧の墓も何ら変わりないことだと思った。ただ、高僧の墓石と、一介の僧の墓石には隔たりを設けられ、人の世の、罪の深さを悲しむのだった。

 素空が墓所での修行を行い、人間の罪に付いて黙想している頃、明智は嘗て山籠もりした時のように、守護神の作業小屋に仁啓、法垂と共にいた。5日の断食行は、水だけの本当の断食行だったことに、仁啓も法垂も驚いた。嘗てのような偽りの修行ではなかったのだった。明智は2人を伴い、仏の慈悲に付いて黙想した。

 冬が厳しさを増したある夜、善西ぜんせい一派いっぱが2つに割れていた。宇鎮うちん西礼さいれいが仲間から外れ、善西達多数派に囲まれて窮地に陥った。

 今では、悠才ゆうさいが善西の右腕として幅を利かせていた。悠才の配下として、益念えきねん常哉じょうや休裁きゅうさいが脇を固めていた。悠才は仲間が離れようとする中、その制裁に非情を極めた。

 天安寺の十人部屋の中で明智の部屋は、1番奥にあり今は宇鎮が部屋長へやおさをしていた。宇鎮の部屋の手前に西礼の部屋があった。今では、1番手前でその2部屋を監視するかのように、善西の部屋があり、重要な話をする時は奥の宇鎮の部屋を使っていた。

 悠才が善西に冷ややかな笑みを浮かべて言った。「善西様、お2人は私達をお導き下さるべきお方なのです。そのようなお方が、我々をお見捨てになるなど、思いも付かないことでした。斯くなる上は、今夜1晩頭を冷やして頂き、明日改めてお考え願った方が良いようですね」善西は、意のままにことを運んでくれる悠才を喜んだ。

 「悠才、お前が思うようにしなさい。2人が、我々を見捨てないように、心変わりを願うばかりです」善西は、そう言うと、益念を見て顎をしゃくった。

 益念は、縄を持って来て、宇鎮と西礼に縄を掛け始めた。掛け終わると悠才に目で合図を送った。

 悠才は、2人に向かって笑みを浮かべ、優しく語り掛けた。

 「お2人には、以前と同じように強い心で、我々を導いて欲しいのです。縄目を与えて申し訳ありませんが、今宵は1夜外の冷たい風に触れ、頭を冷やして頂きたいのです。では、明朝、朝のお勤めまでにお迎えに参ります。お心変わりにならない時は、更に昼餉ひるげの前に参りますので、早目にお心変わりをいたした方がよろしいかと思います」

 宇鎮は、彼らの言うがまま、されるがままにしていたが、ここに来て急に高笑いをして言い放った。「ていのいいことを言っているが、この寒さでは夜中までに凍えて死ぬことは明らかではないか。縄を打ち、このような企てをするなど、神仏の報いを受けることになるであろうぞ!」

 悠才は、不敵に笑いながら言い返した。「おお、宇鎮様、その神仏の報いを、あなたがこれから受けようとしているのですよ。あなたがこれまでに為したことの報いを受けようとしているのですよ」

 宇鎮は黙して暫らく考えた。

 「それはやむを得ぬことかも知れないが、西礼まで巻き添えにすることはなかろうぞ!」宇鎮は必死だった。己一人の命など惜しくもないが、温厚で思慮深い西礼を巻き添えにすることだけはどうしても避けたかった。

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