第2章 仏師良円 その1

 秋の半ばを過ぎた頃には、阿形尊と吽形尊は中彫りの姿を現していた。既に彫手の組み合わせが変えられ、阿形尊と吽形尊の立つ土台と、金剛杵こんごうしょを明智に任せた。阿形、吽形を合わせて素空が彫り進め、2体の調和を図った。阿形尊は、片膝を1尺(30cm)ほど上げて、雲の土台に乗って、今にも動きだそうとしていた。また、手には金剛杵を持ち、口を開けて怒りを露わにしていた。吽形尊は右足を半歩引き、握り締めたこぶしに怒りを表してはいるが、口をムッと閉じて怒りを抑えた形相ぎょうそうをしていた。

 仏師方は全員、素空の描いた絵図を眺めていた。毎日のように見ていたのだが、こうして改めて眺めると、全体に鋭さのない姿を、素空がどのように修正するのか興味津々だった。5枚の絵図面と実際の守護神とでは、かなりの食い違いがあるように見えたのだ。

 この頃になると、仏師方の道具は大物から、中、小物に替わっていた。鍛冶方の仕事は山場に達し、淡戒は2人の弟子と共に、毎日夜遅くまで仕事をし、行信も加勢に加わるほど忙しかった。淡戒には既に親方の風格が身に付いていた。

 淡戒の仕事振りが変わったのは、2月前ふたつきまえの盆過ぎの頃だった。

 天安寺てんあんじの盆は、正月と共に、信者が忍仁堂にんじんどう釈迦堂しゃかどうに直接入れる特別な日だった。

女人禁制にょにんきんせいのため、婦女は入山できなかったが、護符ごふ金剛杖こんごうづえ数珠じゅずこうなど、天安寺で求めた土産みやげを手にして、高僧のお清めを受けるのだった。天安寺の僧は、盆と正月になると半月ほど前から、土産物の品揃えに取り掛かり、寺の売り上げにしていた。日ごろの修行に加えて、盆暮れの品揃えは、僧達には苛酷なものだったが、これも修行と励んでいた。

 仏師方総勢10名は、これまでと変わりなく守護神に専念できた。

 淡戒がおののこぎりつちなどの大物を作り上げた頃、仁啓が丸刀の注文をしに遣って来た。仁啓は、右手も左手も器用に使えるため、左右の道具が欲しいと常々こぼしていた。

 「仁啓様、丸刀だけで良いのですか?三角刀や切出しなどはよろしいのですか?」

 「正直申せば、道具は左右全部揃えたいのです。そうなると、私1人で鉄材を全部使ってしまいそうですね」仁啓は冗談を言って笑いながら、帰って行った。

 淡戒は見る見るうちに顔が青白くなり、額に脂汗を浮かべ始めた。

 淡戒はそれからすぐ、奥書院の詰め所に栄雪を訪ねた。栄雪は、ただならぬ様子に驚いて問い掛けると、淡戒は泣き出しそうな顔で答えた。

 「栄雪様、私はウッカリではすまないことを仕出かしました。どういたしましょう?どうすればいいのでしょうか?」

 栄雪は、やっと気付いたか、と心の中で苦笑した。

 「淡戒、何がどうしたのですか?順序立てて説明しなさい」淡戒は、自分が材料の砂鉄さてつ玉鋼たまはがねの注文をし忘れたことを告げ、どうすれば良いか相談しに来たと言った。

 砂鉄も玉鋼も、素空の指示で既に注文がすみ、月末までには届く筈だった。

 栄雪は、素空が命じたのは、注文だけに留まらないことを承知していた。淡戒に鍛冶場の親方の仕事とは何たるかを自覚させようとしたのだ。

 栄雪は、どうすれば分かってもらえるのか思案した。

 「淡戒、私が灯明番になって1年後にあなたが入って、既に3年になりますね。灯明番は栄信様が1手に率いていらっしゃいます。とても名誉あるお役目です」

 淡戒は大きく頷き、言葉を返した。

 「私は灯明番に選ばれて、栄信様や栄雪様に大切にされて幸せでした」

 「それでは、仏師方になってどうですか?」栄雪の問いに、淡戒が即答した。

 「素空様や栄雪様は勿論、明智様や他の方々とも懇意にさせて頂き、新たな世界を知った思いです」

 栄雪は少し考えてから質問した。「では、鍛冶方はどうですか?」

 淡戒はもどかしく、込み上げる怒りの種を抑えて答えた。「3人共、素空様の下で仕事に精進しています」

 ここに至って栄雪は、あきれてものが言えなくなった。淡戒が親方の鍛冶方は、素空から独立した存在でなければいけないと、どうやって説明しようかと思案した。

 「栄至と胡仁は誰の下で仕事をしているのでしょうか?」栄雪は力なく質問した。

淡戒はキッパリと答えた。「栄雪様、お2人は素空様からお預かりして、鍛冶方として技量の伝授が私の使命と思っています。そんなことより、砂鉄と玉鋼の注文をお願いいたします」栄雪は思いも付かない難問になったものだと困惑した。

 栄雪は、行信を呼んだ。「素空様においで下さるようお願いして下さい」

 栄雪は、どうにもできないもどかしさの中で、素空に頼ることになったことを恥じとした。しかし、そうすることしか解決の道がないのなら、その恥に耐えなければいけないと覚悟してのことだった。

 やがて、行信が帰って来た。

 「只今戻りました。素空様は手が離せないそうです。ご伝言を頂きました」

 行信は、素空の伝言を伝えた。

 「素空様は、栄雪様の窮状きゅうじょうをありのままに伝えることが良いと仰せでした」

 栄雪はあっけに取られた。『何んと言うことだろう?私の心をさらすことが説得の道だとおっしゃるのだろうか?』栄雪は思案した。…だが、どうしても考えが付かないのだった。そして、栄雪は意を決して語り始めた。

 「淡戒、私もあなたと同じでした。あなたは鍛冶方、私は事務方、お互いに素空様の下でお役目を果たしています。私は素空様に事務や勘定書きのことで、煩わせてはならないと思い、日々務めて参りました。私は行信と共に仏師方の助けとなるよう励みました。近頃では、素空様のお手を煩わせることもなくなりました。淡戒も同じ思いでしょうが、肝心なのは万事ぬかりなきよう押さえておかなければ、却って迷惑をお掛けすることになりましょう。淡戒は、小事に没頭するあまり、1番肝心なことをおろそかにしていたのです。このことは、よくよく肝に銘じなければ、改めることはできません。素空様は賢明なお方で、淡戒の性分を見抜いておられ、既に注文をすませてあります。月末には、砂鉄さてつ玉鋼たまはがねが届くでしょう」

 淡戒はホッと一息吐いた後、込み上げる怒りを抑えてひとこと言った。

 「素空様も栄雪様も、それをご存じで黙っておられたのですか?」淡戒は怒りに震え、それっきり黙り込んだ。

 栄雪はどうなだめたものか思案した。その時、素空の言葉を思い出した。『そうだ、今の窮状をありのままに伝えることだ』

 「淡戒、それがあなたのためだと承知してのことでした。そして、あなたに分かってもらうのが、私の務めだったのです。ですが、私はあなたを説得できないと知ると、素空様を頼ってしまったのです。つまり、あなたと同じことをしていたのです。側に大きな存在があると、つい頼ってしまうのは、あなたも私も同じことでした。私達は、共に半人前と言うことかも知れません。でも、私には行信が、あなたには栄至と胡仁が付いています。あなたがどう思うとも、配下を導いて行く勤めがあるのです。彼らが早く独り立ちできるように導くのです。私達が大きく育たない限り、配下を育てることができないのです。私もあなたも、素空様に突き放されなければ育たぬ厄介者でした。これからは、ますます忙しくなる素空様のお手を煩わせることのないようにいたしましょう」淡戒は力なく頷いた。

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