良円の喜び その2
「素空様、今日から泊まり込みで道具の見張りをしたいと思いますが、如何でしょう?朝のお勤めと、食事を交代で摂ることにして、これ以上道具の紛失をなくすのです」
素空は暫らく考えて口を開いた。
「明智様、それで紛失を防いでも問題の解決にはならないと思います。暫らくなすがままにしておくことです。道具は作ればよいのです。あらゆる妨害は、御仏が私達に下さった試練なのです。試練は耐えねばなりません。御仏は、私達に試練に耐えることをお望みなのです。明智様、決して争ってはなりません。さあ、朝のお勤めが始まります。すべては御仏の思し召しのままなのです…」
明智は従う以外に道がないことを知っていた。
その日の午後、皆晴れやかな気持ちで
一派は
「これはこれは、明智様、仏師方の居心地は如何でしょうか?明智様が、我々をお見捨てになられてから、今日まで辛い毎日でしたぞ!…そこで、私達は新たな
善西の不敵な笑いと、怒りと憎しみに満ちた言葉に、良円、仁啓、法垂は
明智は、己が為した罪の深さを悔やみ、善西の罪の赦しを仏に祈った。
突然、経を唱え始めた明智に、
「素空様、仏師の素空様!」そう呼ぶと大声で高笑いした。
「怯えることはない。我々はこの天安寺に真の仏道を広める責務を負っているのだ。老僧、高僧として、腐れた心に支配された者や、世俗の価値を持ち込む不届きな者を追い出すまで闘うのだ」
素空は、ここでやっと口を開いた。
「宇鎮様も、西礼様もそう思われるのでしょうか?」2人は目を逸らし、黙って頷いた。
「どうやら、あなた方には何を申し上げても無駄のようです。私も、明智様と同じく、御仏にすがるより致し方ないようですね」そう言うなり、明智の横に座して経を唱え始めた。
善西はこれ以上は無益だと思い立ち去った。素空と明智は経を唱え続けた。2人の声は共鳴し、周りの者を引き込んだ。良円、仁啓、法垂もそれに倣ったが、すぐに法垂の目から涙が溢れ、肩を震わせた。この時、良円は道具を持ち去った者が法垂だったと確信したが、その行為を糾弾する気にはならなかった。思えば、仏師方に選ばれて以来、時折り雲隠れしたようにいなくなり、いつの間にかフッと現れていた。法垂が善西の部屋から選ばれた者であれば、善西の手から容易に抜けられなかったのも、無理からぬことだと思った。そして、このことは成り行きに任せようと思った。明智一派として、蔑まれ、恐れられ、異端の札付きとなったのだ。仲間を見捨てることは決してできないことだった。
その日から3日が過ぎ、なくなった道具がすべて戻った。良円は、法垂の顔を覗き見た。法垂は、そ知らぬ顔で自分の道具を探していた。法垂の企てではないことは明らかだったが、その企てに加担し、明智を裏切ることができるとは、思いもよらないことだった。良円は、十人部屋の長の存在が、部屋の僧達にとって大きいことは承知していたが、善西と法垂の関係が、これほど強いとはまったく意外だった。
『法垂は、仕事が終わると部屋に帰り、仏師方の様子を
奥書院の詰め所は、昼の
良円は、十人部屋で素空と明智の作を比べた時のことを思い出した。『あの時は、どう見ても明智様の
良円は、仏の確かな印を目にしたのだった。『この輝きを見ることができれば、法垂も立ち直ってくれるだろうか?』ぼんやり考えながら文机の前で涙した。
「良円、そこで何をしているのですか?」栄雪の呼び声でハッと我に返った良円は、法垂のことを話し始めた。
「法垂が、善西様と手が切れずに、私達の様子を告げたり、道具を隠したりしていたようなのです。先ほど、なくなった道具が全部戻って来ました。法垂はそ知らぬ顔で自分の道具を取っていましたが、法垂の仕業であることは明白です。法垂が立ち直り、本当の仏師方として仲間になってもらいたいのです。栄雪なら、法垂のことでよい知恵を与えてくれるのではないかと思っています。如何でしょうか?」
栄雪は暫らく考えて口を開いた。「良円、3日前に善西様一統が見物に来た時、善西様お1人が、明智様に敵意を剝きだしていましたね。お分かりでしたか?」
良円は、以前の明智の口調で、明智に嫌味を言っていた善西を思い出していた。
「明智様のいなくなった一派をまとめ上げるのは大変なことだったでしょう…行く当てのない一派の方々を、まとめて行くのは…」栄雪は、更に考えた。
「一派のお1人お1人は、一体どうお考えなのでしょう?」
栄雪に促されて、良円はちょっと考えた。
「それは、それぞれで違うでしょう。私や仁啓は、明智様の後に黙って付いて行くでしょう。
「良円、あなたは仏師方に選ばれたことで御仏の御慈悲を得たのです。あなたにハッキリと
「今の私は素空様に従います」良円の答えに、栄雪は安堵した。
そして、良円はキッパリと言い放った。
「素空様は、初めから、恐らく最後まで変わることなく正しいお方ですから…御仏の御姿を映すお方であることが分かっている今となっては、栄雪の問い掛けは笑止と言わざるを得ません」
栄雪が言った。「あなたは御仏の御慈悲を受け、法垂は善西様に
2人は顔を見合わせて笑った。ここに至って2人は、近江八幡から一緒に出て来た同郷の親友に戻ったのだった。
「法垂も、迷っているのだろうか?」良円は寂しそうにポツリと言った。
「皆、自分の仏道を求めて、まっすぐに歩もうとしているのですよ。曲がっても、折れそうになっても、行き着く先は同じであると、素空様はお考えではないでしょうか?法垂様の
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