仏師素空 天安寺編(中)

晴海 芳洋

第1章 良円の喜び その1

 仏師方ぶっしかた守護神しゅごしんの制作に掛かってから10日ほどが経っていた。

 ここは、天聖宗てんしょうしゅうの本山への入り口付近の広場に作られた、仏師方の作業場だった。そこからきょうへの参道さんどう1町いっちょう(100m)ほど下ったところに、造営中ぞうえいちゅう新堂しんどうがあり、その守護神である仁王像におうぞうを作っていた。彫り手は5名で、素空そくう良円りょうえん明智みょうち法垂ほうすい仁啓じんけいが2手に分かれて作業していた。しかし、最近仏師方の道具が、1つ、また1つと紛失して、明智の物が1番多くなくなったが、当然、法垂、仁啓の物も幾つかなくなっていた。

 「栄雪えいせつ、近頃困ったことが起きているんですよ。明智様の手合いの中で道具の紛失が何度も繰り返し起こっているのですが、どうも私が疑われているみたいなのです」栄雪と良円の仲は、3年ほど絶交状態だったが、この頃には元の友人関係に戻っていた。

 栄雪は初めは驚いたが、ジッとして静観するのが 良いと助言した。

 「素空様も、そのまま捨て置くようにとおっしゃったけど、私は疑われたままでいることに、とても我慢ができないのです。ここ2、3日、見物に来る僧達の見る目が変なのです。このままではとても耐えられません」良円は、半べそをかいたような顔で助けを求めた。

 栄雪はあっけに取られて二の句にのくが継げなかった。

 栄雪は、3年前に良円と決別した時のことを鮮やかに思い出した。あの時、同じようなことで決別したのだった。良円は純で正義感が強く、他人ひとに疑われることが耐えがたい苦痛になるのだった。栄雪には誰よりもよく分かっていたが、その当時は上手うまなだめることができなかったのだった。やがて良円は、栄雪から離れて、明智一派みょうちいっぱに加わった。

 だが、栄雪はあれから3年が過ぎて、物の言い方、人の宥め方も少しは分かるようになっていた。

 「良円、私は素空様のおっしゃるようにするのが、1番良いことだと思います。あなたは本当に疑われているのでしょうか?あなたの心配は、独りよがりな思い過ごしのように思えてなりません。素空様や周りの方々はどなたも、あなたを疑っていない筈です。周りの方々を信じることです。そして、あなたに1度訊いておきたいことがありました。3年前、あなたと仲違いしてから、明智様のもとで一体何を修行して来たのですか?」良円は言葉がでなかった。

 「今の明智様をどう思いますか?あなた方を率いていた時の明智様と、仏師方として素空様のもとにおられる明智様を比べて下さい」

 良円はおずおずと口を開いた。

 「3年前、私が絶望の淵にあった時、明智様は救って下さいました。あのお方は才知に長け、思い遣りもおありです。いつも自信に満ち、不正を正して下さいました」

 「では、今の明智様をどう思いますか?」

 栄雪の問い掛けに、良円が答えた。

 「明智様は、お優しくなられました。私は明智様に付いて行くばかりです。素空様が現れるまでは、明智様より才知に長けたお方はいませんでした。素空様は、明智様以上に才知に長けたお方でしたから、明智様は素空様に従っているのだと思います。しかし、私はこの世の果てまで明智様に従って行く所存です」

 栄雪は、友の決意とも言える言葉に落胆して、涙が止まらなかった。

 「いいですか…良円…明智様が、素空様に従っていらっしゃるのは、ご自分より才知に長けたお方だからではありません。明智様はお分かりなのです。素空様が御仏の遣わされたお方であると…。あれほどのお方が心を変えられたのは、御仏の御姿を目の当たりにしたに違いありません。その時、人にあらがいながら生きるより、御仏に従う生き方を選ばれたのです。恐らく素空様は、仏門ぶつもんに入られた時からそのような生き方を身に付けていらっしゃったんだと思います。だからこそ、素空様に従うことは、御仏に従うことと同じだと明智様は思っているのです。素空様のおっしゃることに従うことは、御仏の意に従うことで、明智様にも従うことなのです。良円、あなたも私も、素空様も明智様も、御仏の意に適うよに生きているのですよ!」

 良円は、友の言葉に涙した。3年前につたない言葉で説得してくれた友の言葉を、今のように素直に受け入れていたなら、苦しい時を知らずにすんだのかも知れなかった。

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