戦地の恋
沢田和早
戦地の恋
眠れない。
きっと誰もが同じ思いのはずだ。
無理もない、明日は決戦の日なのだから。
「どれだけ生き残れることやら」
隣の寝床で兵士がボソリとつぶやいた。敗北すれば全滅は必至。勝利したとしても壊滅的被害は免れないだろう。どちらにしても悲惨な運命しか待っていないのは明らかだ。
「あの頃が懐かしい……」
思い出すと涙が出そうになった。豊かではないが平穏な暮らし。不慮の事故で命を落とす者も少なくはなかったが、ひっそりと身を潜めて目立たぬよう行動すれば誰でも天寿を全うできた。こんな日々がずっと続くと思っていた。しかし、
「A軍団がこちらにも進撃してくるらしい」
20日ほど前、そんなうわさがテリトリーにもたらされた。A軍団、我々とはまったく違う種族によって構成された軍団。巨大で異形なその姿は悪魔に例えられていた。
もちろん一度も見たことはなかった。遭遇は死を意味するからだ。
「迎え撃つしかない」
全ての成人男子が召集され部隊が編成された。大部分は戦闘経験のない者ばかりだ。だが座して死を待つくらいなら戦って死んだ方がいい、それが我々の選択だった。
「近傍のテリトリーが全滅したそうだ」
「次はオレたちだ」
毎日届く情報は悲惨なものばかりだった。そして10日前、それはいきなり襲い掛かってきた。
「ダメだ! みんな逃げろ!」
まったく勝負にならなかった。我々のテリトリーはあっという間に蹂躙され多くの命が消え去った。
「くそ、くそ、どうしてこんなことに」
もはや敗走するしかなかった。傷ついた体にムチ打って力の限り走り続けた。
「ひとまずここに隠れよう」
物陰に身を横たえる。あちこちから聞こえていた仲間の叫び声は徐々に少なくなっていく。そろそろ軍団が撤退を開始したのかもしれない。一息ついて目を閉じようとした時、何者かの視線を感じた。
「はっ!」
身じろぎすらできなかった。目の前にいるのは巨大な異形の生物。A軍団の兵士に違いなかった。
「おまえ、足をケガしているのか」
聞き間違えたのかと思った。だがその兵士は確かにそう言った。しかも声から判断して女性兵士だ。
「……」
恐怖で声が出ない。うなずくことさえできない。女性兵士は尻の辺りから太い糸を出すと、ケガをしている足に優しく巻き付けてくれた。
「その糸は鎮痛作用がある。これで歩けるだろう。このテリトリーはもう終わりだ。早く遠くへ逃げろ」
女性兵士が立ち去ろうとする。腹に力を込めて声を出した。
「待て、どうして敵であるオレを助けるんだ」
「さあな。きっとおまえが好きだからだろうな」
「好き?」
意外な言葉に気が動転した。そしてその時初めて彼女の顔を直視した。優しさと勇気が同居したような表情。黒い8個の眼はまるで宝石のように輝いている。胸が高鳴った。そして確信した。これは一目惚れなのだと。
「よければ名を教えてくれないか。オレはチャバネという」
「私はアシダカ、軍曹だ」
「治療の礼をしたい。どこに行けば会える」
「しばらくは1階倉庫の天井裏を駐屯地にするつもりだ。だが10日も経てば再び進撃を開始する。覚悟しておけ」
アシダカ軍曹は去った。足の痛みはほとんど感じなくなっていた。
「ようこそ、歓迎する」
たどりついたのは2階にある中華料理屋だ。襲撃された各テリトリーの生き残りは全員ここに集結していた。この商業ビルに残された最後のテリトリー。ここが陥落すればこのビルからチャバネゴキブリは一掃される。
「決戦の日は近い。負傷者はしっかり養生し、それ以外の者は鍛錬に励んでくれ」
誰もが殺気立っていた。しかしオレは違っていた。毎日のようにテリトリーを抜け出して天井裏へ行き、アシダカ軍曹と逢引を重ねていた。オレの恋心はどうしようもないほど燃え上がっていたのだ。
「今日はハエを持ってきた。食ってくれ」
「いつもすまないな」
「そうか。あの兵士たちは子どもなのか」
「ああ、300匹ほど産卵したのだが引き連れているのは100匹ほどだ。この作戦が終了した後は全員独り立ちさせるつもりだ」
他愛もない世間話。そんなものでもオレの心を癒やすには十分だった。もちろん誰にも言えなかった。敵の軍曹と密会を続けているなどと知られれば即座に処刑されてしまうだろう。
「喜べ、援軍が到着したぞ」
吉報がもたらされた。かねてから隣接する商業ビルに援軍要請を打診していたのだが、それが許諾されたのだ。力を貸してくれるのはクロゴキブリによって構成されたG軍団。直ちに作戦会議が開かれた結果、挟撃戦法が採用された。
「現在A軍団は1階倉庫天井裏中央に陣取っている。ここに奇襲をかける。我らチャバネ隊は西から。そして援軍のG軍団は東から。決行は2日後の未明。これは最終決戦だ。各自死力を尽くして戦うように」
「おおー!」
意気上がるチャバネゴキブリの同志たち。しかしオレは不安でいっぱいだった。クロゴキブリG軍団は最強の戦闘集団だ。いかにアシダカ軍曹が悪魔的な強さを誇っていても、不意を突かれて集団で攻撃されればどうなるかわからない。
「知らせなくては」
その日の逢引で全てを打ち明けた。アシダカ軍曹は驚きと感謝の眼差しでオレを見た。
「感謝する。しかしいいのか。仲間を裏切ったことになるんだぞ」
「構わない。オレはおまえさえ無事でいてくれればいいんだ」
「そうか。ならばひとつ良いことを教えてやろう。天井裏北側にゴキブリホイホイが置かれている。攻撃が始まったら戦いに参加せずそこに身を潜めるんだ」
「ゴキブリホイホイ? そんな場所に入って大丈夫なのか」
「すでに数カ月経過し乾燥とホコリで粘着力はなくなっている。おまえが隠れるにはもってこいの場所だ」
「わかった。そうしよう」
オレが思っている以上にアシダカ軍曹もオレを思ってくれている。オレの選択は間違っていなかったのだ。
「なんとか生き残りたいものだ」
隣の寝床から聞こえてきた声がオレを回想から現実に引き戻した。いよいよ明日が決戦の日。眠れない。仲間を裏切った罪悪感は確かにある。しかしそれ以上に気掛かりなのはアシダカ軍曹だ。
(本当にG軍団の猛攻撃に耐えられるのだろうか)
彼女だけは無事に逃げ切ってほしい、そう思わずにはいられなかった。
「持ち場に着け!」
夜が明ける前から作戦が開始された。一階倉庫に到着したオレたち襲撃隊は静かに天井裏西側に陣を敷いた。少し離れて後詰隊。少数精鋭の遊撃隊。倉庫東側ではクロゴキブリのG軍団もすでに集結しているはずだ。
「落ち着け。慌てず合図を待て」
隊長の指示通り、オレたちはみじろぎもせずその時が来るのを待った。やがて、
――ガラガラガラ!
早朝営業の喫茶店のシャッターが開く音が聞こえてきた。合図だ。
「かかれー!」
東に向かって突撃を開始するチャバネ隊。これほど勇猛なチャバネゴキブリの姿を見るのは初めてだ。
「いたぞ、あれがアシダカグモの駐屯地だ」
前方に群衆が見えた。こちらに向かって突撃してくる。まずは弱いほうを叩いておこうという腹積もりらしい。
「一斉攻撃開始!」
隊長が叫んだ。だがその言葉とは裏腹にチャバネ隊の最前列が足を止めた。敵の最前列も止まっている。
「な、なんてこった」
誰もが驚いた。こちらに向かってきたのはA軍団ではなくG軍団だったのだ。挟み撃ちするはずの敵がどこにも見当たらない。
「バカな。ここに来るまでA軍団の駐屯地はなかったぞ」
「見落としたのでは?」
「そんはずはない」
「消えた?」
「どこへ?」
混乱するゴキブリたち。ふと北側を見るとボロボロのゴキブリホイホイが置かれている。こっそりとその中に身を潜める。
「うわああー!」
叫び声が聞こえてきた。チャバネ兵士がオオダカグモに襲われたのだ。
「上だ!」
ゴキブリホイホイから顔を出して見上げると天井裏の垂木にアシダカグモがびっしりと張り付いていた。
「奇襲を見破られていたのか」
「くそっ、やられた」
混乱するゴキブリたち。そこに目掛けてA軍団が降下を開始した。
「逃げろ!」
もはや戦いにならなかった。チャバネゴキブリはもちろん、クロゴキブリですら呆気なくアシダカグモの餌食となった。ほどなくゴキブリは全滅した。
「終わったか」
ゴキブリホイホイから這い出したオレは仲間たちの惨状に心が痛んだ。だがアシダカ軍曹の無事な姿を確認した途端、そんな心の痛みはすぐ吹き飛んでしまった。
「また助られたな。礼を言うよアシダカ軍曹」
「礼を言うのはこっちだチャバネ。おまえの情報がなければこちらも大きな被害が出ていただろう」
ゴキブリを食べ終わったアシダカグモが1匹、また1匹と外へ出ていく。アシダカ軍曹は引き留めようともしない。
「いいのか。子どもといってもあいつら兵士だろう。勝手に持ち場を離れるのは軍紀違反だ」
「前に言ったはずだ、この作戦が終了すれば独り立ちさせると。あいつらはもう兵士ではない。軍団にも所属していない。これからは各自がそれぞれの人生を歩むのだ」
「そうか」
オレはアシダカ軍曹に自分の体を寄せた。8本の足の1本がオレの体を抱いた。
「子どもを独り立ちさせればおまえはひとり。これからどうする」
「適当な男を見つけてまた子どもを作るさ。と言ってもしばらくは独身生活を満喫するつもりだが」
「いいご身分だな」
「そういうおまえはどうするチャバネ。仲間は全滅して完全にひとりになってしまった」
「オレは……オレはおまえと一緒に暮らしたい。好きなんだ、アシダカ軍曹」
「私もおまえが好きだぞ、チャバネ」
「なら一緒にいてくれるか、アシダカ軍曹」
「ああ、おまえと私はずっと一緒だ、チャバネ」
アシダカ軍曹の8本の足がオレの体を抱いた。顔が近付く。軽い痛み。噛まれたようだ。感じる。消化液がオレの体に塗りつけられている。
「チャバネ、好きだ。ハエやカやアブも好きだが、やはりゴキブリが一番の大好物だ。おまえは私の体になれ。そうすればいつも一緒だ」
「嬉しいよ、アシダカ軍曹」
体が溶かされていく。液状になったオレの体組織を彼女が吸い上げている。感じる苦痛が快感に変わる。そうだ、オレは食われても構わないくらい彼女が好きなんだ。こんな喜びの中で最期を迎えられるオレは世界で一番の幸福者だ。恋に殉じたオレの生き方は間違っていなかった。今、心の底からそう思う……。
戦地の恋 沢田和早 @123456789
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