#2ー2 世界にポテチが生まれた日(イングリッドサイド)

「そうだよっ、無ければ作っちゃえばいいんだよ!」

 

 追走するルイーズに答えながら、ワタシは厨房を目指して生涯で初めてかもしれない速さで走り続けた。

 

 ――二つ目を右で、その一番奥!

 

 突き当りの扉のノブを掴むと、ワタシは中に駆け込んだ。

 

「料理長ーっ、料理長は居るっ?」

 

 ガランとした厨房の奥に誰かが立っている。

 

「ねぇ、料理長がどこか知らな……………ぎゃあああああああああっ」

 

 その身体の大きなは、ゆっくりと振り返ると、手には赤い液体の滴る大振りの山刀のようなものを握り、その身体から頭までもが真っ赤に染まっていた。

 ワタシはきびすを返すと扉に向かって駆け戻る。

 その時、丁度ルイーズが厨房の中に入ってきた。

 

「ルイーズ、逃げて! アレ、オーク? トロール? よくわかんないけど聖女宮の厨房が襲撃されてるよぉっ」

 

 だけどルイーズは理解が出来ていないのか、小首を傾げる仕草をした。

 

「イングリッド様、そんなに慌ててどうかされたのですか?」

「いやいやいや、アレが見えないのっ?」

 

 ルイーズは厨房の奥に視線を送ると、合点がいったように頷く。

 

「あら、ジョルジュさん、仕込み中でしたかしら」

「え?」

 

 ワタシが恐る恐る振り返ると、血まみれの巨漢は困ったように頭を掻いていた。

 

 

 ※※※

 

 

「いやぁ、なんともお見苦しいところをお見せしました。野豚をシメようとしてたのですが、活きが良すぎて手こずってしまいまして」

 

 顔の血を拭い服を着替えたその巨漢は、オークではなく太くてデカくて顔がコワイ人だった。

 

「料理長を務めさせていただいておりますジョルジュと申します。聖女様にはこちらに移られた際にたしかご挨拶させていただいておりますが……」

「あ……あー。ゴメン、覚える人が多くてちょっとど忘れしちゃってて……」

 

 ――ほんとはあの頃MAXにやさぐれてて覚える気がなかったんだけど。

 

「いえいえ、お気になさらずに。……ところで、このようなむさ苦しい所へ聖女様直々にお出ましになられるとは如何なる御用でしょうか。……ハッ⁉ まさか本日のお食事に何か粗相でも⁉」

「あっ、違うの。食事は大丈夫だから。今日はちょっと作ってもらいたいものがあってね」

「はぁ……それは如何なるものでしょうか?」

 

 ん?

 ここまで来ておいて、ワタシは不意に思考が停止した。

 よくよく考えてみたら、ワタシはほぼ食べるばっかりで料理なんてほとんどしたことがなかった。

 その料理のことを一切知らない人に対して、1からレシピや作り方を教えられるような知識はワタシにはない。

 ぐっ……こんなことならもう少し料理とかしておけばよかったかな。

 どうしよう、せっかく思いついたのにこのままじゃ何も変わらない。

 何か、何か出来そうなもの……うー……うーん…………あっ! そうだアレなら昔母さんと一緒に作ったことが。

 

「ジョルジュ、この厨房にある芋を見せてくれない?」

 

 ワタシの突然の申し出にジョルジュが困惑の表情を浮かべた。

 

「芋でございますか? 芋ならばあの壁際の木箱に四種類ほどありますが……」

 

 ワタシはジョルジュが指差した木箱に歩み寄ると順番に確認していく。

 

 ――これはちょっとサツマイモに似てるけど、コッチはサッカーボールみたいにデカくてイガイガしてる。これは……黒くてテカってるけどホントに芋なの? 最後のは……おっ、これ!

 

「ジョルジュ、この芋何ていうの?」

「ああ、それはジャゴ芋でございます」

「ジャゴ芋……」

 

 名前も見た目もほぼジャガイモのそれを手に取ると、ワタシはジョルジュに手渡した。

 

「これ、どうやって食べるの?」

「そうですねぇ、普段は煮込みに入れるか、焼いて食べるかでしょうか」 

「ワタシの食事に出てきたことはないような気がするけど」

「ああ、ジャゴ芋はもっぱら庶民の食べ物ですから。修道女や下働きの者達の食事には使いますが、聖女様や高貴な方には、あの黒光りするジロー芋をお出ししています」

 

 ――あれジロー芋っていうんだ。コッテリとクドくてワタシは苦手なんだけどな……。

 

「……それはともかく、このジャゴ芋を料理してほしいの」

「はぁ、それは構いませんが、如何様にいたしましょうか?」

「そのジャゴ芋を薄く切ってみて」

「薄く、ですか?」

 

 ジョルジュは包丁を手に取ると、まな板の上でジャゴ芋に刃を入れた。

 

「いかがでしょうか?」

 

 ジョルジュが手にした芋は1センチほどの厚さがあった。

 

「あ、もっと薄く。紙ぐらいの感じで」

「紙でございますか⁉ ううむ」

 

 普段ジャゴ芋をそんな厚さに切ることがないのか、ジョルジュは最初はとまどっていたけれど、料理長を務めるだけあってすぐに軽快な音を立てて包丁を走らせ始め、瞬く間にまな板の上に薄く切られたジャゴ芋の山を作った。

 

「これでよろしいでしょうか?」

「うん、いい感じだと思うよ。後は……油あるかな? サラダ油……じゃない、なんか植物から絞った油。それを鍋で温めて」

「ジョルジュさん、わたくしもお手伝いしますわ」

 

 ルイーズが大きな壺の中から油をすくい、鍋に注いでいく。

 ジョルジュはその間にかまどに火を起こしていった。

 

「――聖女様、油が熱くなってきましたが」

 

 油温計があるわけでもないし、あっても適温の目安がわからないから、後はやってみるしかないな。

 

「それじゃ、ジャゴ芋を何枚かずつ鍋に入れてみて」

 

 油の中に投じられたジャゴ芋からショワショワと弱い気泡が上がる。

 

「たぶん、油の温度……熱さが足りないっぽいね」

「それではもう少し火を強めてみますか」

 

 第一陣を取り上げてみると、グニャリと中途半端な硬さの芋の油漬けみたいなものが出来上がっていた。

 

「これがイングリッド様が望まれていたものですの?」

「ううん、ちょっと違う」

「聖女様、今度は前より熱くなっていると思います」

「よし、それじゃもう一回よ」

 

 再び油の中に数枚のジャゴ芋の薄切りが投じられると、今度はショワーッという音と共に勢いよく気泡がジャゴ芋を包みこむ。

 

「今度はいい感じかも。ジョルジュ、狐ぐらいの色になったら油から出して。あとルイーズはカゴ持ってきて。それで余分な油を切るから」

 

 ルイーズの用意したカゴに、ジョルジュが次々と揚がったジャゴ芋を並べていく。

 

「聖女様、味付けはいかがいたしましょう」

「あ、塩だけでいいよ。上からパラパラ撒く感じで」

「それだけですか?」

 

 ジョルジュが塩を振って軽くカゴを揺すると、そこにはワタシがずっと渇望していたものがあった。

 

「とうぞ、ご賞味ください」

 

 ――見た目は完璧。あとは味がどうかだけど。

 

 カゴから一枚を手に取り、匂いを嗅ぐ。

 ルイーズとジョルジュが固唾をのんで見守る中、ワタシはそれを口に含んだ。

 カリッとした食感と香ばしい風味が口の中に広がる。

 

 ――あ、これ。これは……これはっ。

 

「ポテチだああああああっ!」

 

 ワタシは絶叫していた。

 

「ポテチだよおおおおおおっ」

 

 二枚目を手に取ると今度は遠慮なくバリボリとポテチを頬張る。

 

「美味しいよおおおおおおおおっ!」

「まあっ、イングリッド様、お顔はそんなに笑ってらっしゃいますのに滝のような凄い涙ですわ」

 

 ルイーズがワタシの涙を拭いながら苦笑している。

 

「だってさ、だって、本当に食べたかったんだよ。……そうだ、二人も食べてみなよ、絶対美味しいから」

わたくしもですか⁉」

「よろしいので?」

 

 ルイーズとジョルジュはポテチを一枚ずつ手に取るとしげしげと眺めた後、意を決したように口に含んだ。

 

「まぁっ!?」 

「これはっ!?」

  

 二人は驚愕の表情を浮かべると立て続けにさらに二枚ほど口に運ぶ。

 

「このような食感、風味の食べ物は初めてですわ……」

「まさか、ジャゴ芋からこんな料理が出来るなんて……いったいこの料理の名前は!?」

「ん? ポテチだよ。ポテトチップスの略。ねぇ、もっと食べたいからどんどん揚げてよ」

「は、はい。ただ今!」

 

 ジョルジュはさらにジャゴ芋を切り、ルイーズがそれを手際よく揚げていく。

 すぐに大皿に山盛りのポテチが出来上がった。

 

「よし、それじゃ食べようか」

 

 ワタシがポテチの山に手を伸ばした時、開け放たれた厨房の扉の向こうからこちらをうかがう複数の人影が目に入った。

 

「あら、皆さんそんなところでどうされたのですか?」

 

 ルイーズに声をかけられ、おずおずと修道女達が歩み出る。

 

「覗き見るような事をして申し訳ありません。厨房が賑やかだったのと、何か不思議な良い香りがしているので、つい――」

「ああ、それはイングリッド様が考え出されたこの『ポテチ』の香りですわ」

「ポテチ……」

 

 修道女達は引き寄せられるように前に出てきた。

 

「何なら食べてみる?」

「え、よろしいのですか?」

 

 ワタシの言葉が意外だったのか、修道女達は戸惑ったように互いに顔を見合わせる。

 

「いいよ、いっぱいあるし。なくなったらジョルジュにもっと作ってもらうから」

 

 普段は腫れ物に触るようにワタシに接している修道女達が、遠慮がちにポテチに手を伸ばした。

 各々が不思議そうに眺めた後、口に含む。

 

「え! 何かしらこれ⁉」

「うそっ、凄く美味しい!」

「こんなの、初めて!」

「これを聖女様が⁉」

 

 いつもは慎ましやかさが服を着ているような修道女達がみたいにはしゃいでいた。

 スゴイな、ポテチの威力。

 まぁ、よく考えてみたらワタシと同じような年頃のコ達だし。

 

「ジョルジュー、悪いけどもう一皿追加で」

「かしこまりました」

 

 大勢で騒ぐのはホントはあまり好きじゃない。

 

 ――でも、たまにはいいか。今日はこの世界にポテチが生まれた日だし。

 

 ワタシは乾杯でもするように四枚重ねのポテチを口に頬張った。


【続く】

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