#1ー6 鮭と泳ぐ日(イングリッドサイド④)

 地獄のような慰問を終え、控えの間でワタシは廃人になっていた。

 もちろん比喩だけど。

 

「今日はもう終わりでしょぉ、馬車こっちに回してよ。はやく帰りたい」

 

 お茶の用意をしているルイーズが少し困ったような表情を浮かべた。

 

「そうなのですが、実はイングリッド様にご面会を望まれる方が……」

「えーっ、そんなのパス、パスっ、聖女様はお疲れで〜とか適当に言っといてよ」

「ですが……」

 

 ――ん? ルイーズが珍しくこんなに歯切れが悪いって、もしかしてスゴイ偉い人?

 

 その時、何の予告もなしに控の間の扉が開いた。

 

「やぁ、聖女イングリッド様、お会いしたかった!」

 

 そこには綺羅びやかな装束に身を包み、ブロンドの髪と碧眼の端正な顔をした青年が立っていた。

 

「げっ! バカ王子⁉」

「ルカです、聖女イングリッド様」

 

 アリオン王の二番目の息子であるルカ王子は、しなやかな動きで歩み寄るとワタシの手を取り甲に口づけた。

 

「なっ、何すんの……いや、え、えーと、ほ、本日はどのようなご要件で?」

 

 ルカ王子は無駄に爽やかな笑顔を浮かべてワタシの手を握る。

 

「もちろん、我が兵士達への慰問への感謝をお伝えしたかったのもありますが、この再会を共に分かち合いたいと思ったのです」

 

 ――ワタシは別に分かち合いたくないけどね。

 

「聖女様を初めて目にした時から、この胸の高まりは雷鳴の如き音を立てて鳴り響く日々です」

「……そうですか。それはそれは賑やかなことで」

「そうだ! 今度湖の離宮に遊びに来られませんか?」

「あいにく日程が立て込んでおりまして……」

 

 ――ねぇ、聖女ってこんな簡単に口説いていいもんなの?

 

 ルカ王子と初めて会ったのは、ワタシが聖女となることを告知する式典でのことだった。

 式典の後の宴で、ルカ王子は初対面であるにもかかわらずグイグイとワタシに言い寄ってきて、教団の偉い人にたしなめられている。

 たしかに顔はいいけど、このチャラさとアホっぽさはワタシを萎えさせるのに十分だった。

 なぜなら私はモブの陰キャだからこういう陽キャを基本的に受け付けないのだ。

 その時、不意にワタシは同じクラスにいた田崎という男子を思い出した。

 チャラくてアホだけど、顔だけは良かったので女子にはモテていた田崎とルカ王子に、ワタシは同じような匂いを感じたのだった。

 

「ああ、それならば聖女様のご都合のいいときに私からお訪ねしてもいいのですが」

 

 ルカ王子は更に情熱的に力を加えてワタシの手を握る。

 

 ――このっ、少しは行間読みなさいよっ。

 

 ワタシの中にイラッとした感情が湧いたその時だった。

 バチッと電気が流れたような音がして、ルカ王子の手が弾かれる。

 一瞬キョトンとした表情を浮かべたルカ王子は、ようやく事を飲み込んだらしく再び笑顔を見せると後ろに下がって優雅にお辞儀をした。

 

「お疲れのところを失礼しました。お誘いはまたの機会にでも……いや、近々またお目にかかれるかもしれません」

 

 そのまま、ルカ王子は笑顔と共に去っていった。

 

「ふう、余計に疲れちゃったよぉ、ルイーズ、馬車まだぁ」

「かしこまりました。用意いたしますわ」

 

 控えの間に一人残ったワタシは、ルカ王子に握られていた手を見返していた。

 

 ――あれ? そういえばワタシに悪意や害意がある人間は、触れることが出来ないんじゃなかったっけ? んん? という事はあんなでもルカ王子の感情は、純粋に好意ってこと?

 

 ワタシはため息をついた。

 

 ――今ハソウイウノ、イイヤ。

 

 

 ※※※

 

 

 背後に遠ざかる王都を、ワタシは馬車の車窓から見るとはなしに眺めていた。

 馬車は聖女宮の建つ丘に向かってなだらかな道を登っていた。

 

「こんなこと、あとどのくらい続くのかなぁ」

「次の聖女様が現れるまででございますわ」

 

 ワタシの呟きにルイーズが即答する。

 

「それってどれくらい?」

「通例では十年ほどかと」

「死ぬほど長いなぁ」

「死なれる事はないかと」

「わかってるよ」

 

 馬車は深い渓谷に架かる橋に差しかかっていた。

 雪解けの時期で増水し、早い流れの川面が視界に入る。

 

 ――そういえば、これは試してなかったな。

 

「ねえ、ちょっと外の風に当たりたい。馬車止めて」

 

 御者が馬車を止めると、ワタシは馬車の扉を開けた。

 空気を何度か深く吸い込みながら、ワタシは密かに靴を脱ぐ。

 

 ――よし!

 

 何かを察したルイーズがワタシに手を伸ばす。

 ワタシはそれをかいくぐって馬車を飛び出した。

 そのまま橋の欄干に向かって駆け出すと、ワタシは欄干に手をかける。

 

「イングリッド様!」

 

 ルイーズの叫び声を背中に受けながら、ワタシは虚空へと飛び出した。

 高さではたぶん死ねない。

 でも、呼吸が出来なかったらさすがに死んじゃわないかなぁ。

 そんなことを考えている間にワタシの身体は激流に叩きつけられ、水中深くへと沈み込んでいった。

 光もほとんど届かない水底の流れに身を任せ、ワタシはその時を待つ。

 

 ――このまま、次の目覚めが来ませんように………………。

 

 

 ※※※

 

 

 ……視界が次第に明るさを増してきた。

 ワタシはそのまま浮上を続け、やがて緩やかな流れの川面に顔が出ると、雲ひとつない青い空が見えた。

 

「あ、あんなところまで流されておられましたわ! ロープをお願いできまして?」

 

 川岸からルイーズの声が聞こえた。

 浮いて川面を流れるワタシの胸の辺りに輪のようになったロープが投げこまれる。

 

「イングリッド様、今から引きあげますわよ」

 

 ロープが引かれ、ちょうど首に掛かったところで締まる。

 ワタシはそのまま地引き網をたぐるようにルイーズと御者に引かれて岸までたどり着いた。

 

「まあっ、なんだか縛り首みたいになってしまいましたわね。失礼いたします」

 

 ワタシの首からロープを解くと、ルイーズは口角を上げた。

 

「祝福の御力はいかがでしたか?」

「……水の中で、息出来た」

「なんて素晴らしい! 人智を超えた神秘ですわね」

「褒めないで。悲しくなるから」

 

 ワタシを抱き起こし、ルイーズは装束の縁や袖をつまんで水を絞り出していく。

 

「川の中では何をなされていたのですか?」

「なんか鮭みたいな魚がいた。しばらく一緒にゆらゆら泳いでくれたの」

「それは貴重な体験をなさいましたわね」

「……」

 

 ルイーズに手を引かれて、ワタシは河原の道を登っていく。 

 さすがにちょっとは寒いかな。

 

 ――でも、たぶん風邪なんか引かないんだろうけど。

 

 

【一章 終】

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