#1ー4 モブの佳奈(イングリッドサイド②)


 百舌野佳奈もずのかなという人間を一言で言い表すとしたら、それは「モブ」だ。

 

 無個性のその他大勢、学園モノの漫画ならアシスタントが描くクラスメイト。

 成績は中の下、運動神経に特筆すべきものなし、容姿は控えめに言って「可愛くない」、率直に言えば「まあまあブサイク」といったものがワタシの全てだった。

 陰では「もずの」をもじって「モブの佳奈」なんて言われていたようだし、ワタシにとって学校生活というものに特に愛着はなかったけど、イジメにあっていたわけでもないから何の抑揚もない毎日を人知れず過ごしていた。

 これからの人生なんて興味はなかったし、長生きなんてしたくもないと思っていた。

 だけどそんなワタシにもたった一つだけ生きている喜びを感じる時間があった。

 

 それは、漫画とアニメとゲームとジャンクな食べ物がある時間――。

 

 学校が終った後のワタシはけっこう忙しい。

 家についたら、まずはリアルタイムでは見きれなくて録画してあったアニメをハシゴする。

 休憩代わりに漫画の新刊を読んだら再びアニメへと戻り、今度は次回の予習として前回の話を再視聴。

 その間、傍らには常にポテチがお供のように寄り添っていた。

 普段は安くて量が多いスーパーのPBが主力だけど、気分を上げたい時は奮発してフラ印のアメリカンポテトチップスうすしお味で贅沢をする。

 夕食は母さんがいる時は普通のご飯も食べるけど、遅くなる時はマックか家系、あと牛丼も捨てがたい。

 一人でラーメン屋に入るのを躊躇する女子もいるらしいけど、それはその子が人並みには可愛いからだろう。

 ワタシは漫画の背景みたいな存在だから平気だし、実際、誰もワタシのことなど気にしない。

 

 さあ、夕食も終わってプライムタイムから深夜に移るころには今度はリアルタイムでアニメの視聴だ。

 覇権や推しのアニメは絶対リアル。

 なぜなら終了後は即グルチャで語り合いたいから。

 そういえば、リアルにはいないけどここにはけっこう知り合い多いかも。

 つい時間を忘れそうになるけれど、一応学校に行かないと叱られるから二時を回ったらそろそろ就寝。

 あ、そういえばソシャゲのガチャ、まだやってなかった――。

 

 こうしてワタシの尊い時間は終わり、朝目覚めたら再びモブに戻るのだった。

 

 その日、ワタシは少し焦っていた。

 やりたくもない委員会の仕事で帰るのが少し遅くなったからだ。

 

「ああ、もう! なんで今日かな」

 

 今日は夕方の時間帯では唯一リアルタイムで見ているアニメの放送日だった。

 もちろん録画予約はしてあるけど、絶対見たい。

 だって、グルチャで出遅れるのはイヤだし。

 

 こう見えて普段のワタシは割と注意深い人間だ。

 いつもならたいして広くない道路が交差するその交差点も左右を確認してから渡っていただろう。

 でも焦りのせいか、その日に限ってはワタシはそのまま駆け込んでいた。

 右手からけたたましいクラクションの音が鳴り響く。

 ワタシが最後に見たのは、迫りくるトラックの巨大な影だった。

  

 ※※※

 

「どうかなされましたか? イングリッド様」

 

 ルイーズがワタシの顔を覗き込むように話しかけてきた。

 ワタシはボンヤリと眺めていた馬車の車窓から隣のルイーズに視線を移す。

 

「別に……ちょっと昔の思い出に浸っていただけ」

「ああ、公爵様のお屋敷でお暮らしになっていた頃の事でございますね?」

「そのもっと前」

「ちょっと何を仰られてるか解りませんわ」

 

 ルイーズは澄ました笑顔のまま話を打ち切った。

 この赤毛のメイドは、ワタシの世話係の修道女達が次々と逃げ出す中、二ヶ月ほど前にどこからか送り込まれてきた。

 年齢は十八歳と言っているから、ワタシよりも一つ年上だけど、ほぼ同じ年齢とは思えないほどの職能と冷静さを兼ね備えている。

 聖女であるワタシはこの世界では結構な重要人物らしく、庶民はもとより貴族や王族からも敬われているようだけど、このルイーズだけは一切の遠慮なくワタシに接してきた。

 元々他人に構われるのはうっとおしいから、ワタシはルイーズにわざと無体で理不尽な態度をとり続けたのだけど、それでルイーズが凹むような事は一切なく、時には受け流し、時には小馬鹿にするように果断に対処されてきた。

 その強靭なメンタルをどこで獲得したのか尋ねたことがあったけど、ルイーズは涼やかな笑顔で「前の主がクズでしたので」と語っただけだった。

 その容赦のない献身ぶりに、ワタシは近頃ではルイーズを追い出すことを半ば諦めた。

 そもそも、聖女といっても中身が「すさんだ元オタのモブ」のワタシの相手をしてくれるのはルイーズの他にはいないだろうし。

 

「それはともかく、そろそろオルレア王宮に着きますわよ」

 

 ルイーズがワタシの装束の乱れを細々と直し始める。

 

 ぐっ……それを考えたくないから逃避してたのに。

 

 馬車は王宮の巨大な城門をくぐり、広場へと進んだ。

 馬車の両側には綺羅びやかな軍服を纏った近衛兵が整然と並んでいる。

 

「イングリッド様、くれぐれも粗相のないようお気をつけください」

 

 ルイーズが顔を寄せて耳元で囁く。

 

「なるべくは頑張るけど……」

「もし不都合があれば『聖母様』にご報告しなければなりませんので」

 

 その言葉を聞いた瞬間、ワタシの背筋がビンッと伸びた。

 

「やるっ、やるからあの人にだけは言わないでぇっ」

「ご聖務に真摯に取組まれるその姿勢、僥倖ぎょうこうでございますわ。さぁ、参りましょう」

 

 馬車の扉が開き、兵士が三段ほどの階段を馬車に寄せた。

 素早く先に降りたルイーズが階段の横からワタシに手を差し伸べる。

 ワタシはルイーズの手を取るとゆっくりと階段を降り始めた。

 

 ――ああ、かったるい。

 こんなの一人でも降りれるわ。

 だいたい転げ落ちたところで「祝福」があるからケガなんかしないじゃん。

 

 ワタシは心の中で毒づきながらも、表面上は慈愛に満ちた笑みを浮かべ優雅な所作で階段を降りた。

 そのまま、剣を捧げる姿勢を取る近衛兵達の前を微笑みを絶やさずに歩を進める。

 

 ――ううう、ヒト多い。視線コワイ。モブにとって視線は紫外線と同義語なの知らないの? 大量に浴びると死んじゃうのよぉ。

 

 市中引廻しのような入場を終えると、王宮の前ではオルレア国のアリオン王がワタシを待っていた。

 

「聖女イングリッド、よく参られた。我が王国を支える兵士達への慰問と祝福、感謝いたします」

 

 ワタシはスカートの裾を摘むと、アリオン王に作法に則ったお辞儀をする。

 チラッとルイーズのほうを窺うと、ルイーズは「上出来ですわ」とでも言うように頷いていた。

 

「さて、本日は我が精鋭達が成し得た、北方の獣人討伐の功績を全ての国民に語りたいと思う――」

 

 雄弁に語り始めたアリオン王の演説を、ワタシは欠伸をこらえながら聞いていた。

 

 ――早く終わんないかな……。この人の話長いのよね。祝福がなかったらきっと貧血起こしてるよ……って、うっ、この臭いは、まさか!?

 

 ワマシの周りには三十騎ほどの馬に乗った近衛兵がいるのだけど、その間近の一頭がブゾゾゾッという音と共に盛大にウ○コを放った。

 

 ――ぎゃあああ、止めてぇ。

 

 ほんのりと暖かさを含んだ馬のウ○コの匂いがワタシの顔にまとわりついてくる。

 だけど、周りの兵士もアリオン王も全く気にする様子はない。

 まあ、この人達にとっては日常茶飯事なんだろうなぁ。

 以前、閲兵式というものに参列させられた時もあっちこっちで馬がウ○コしてたけど、誰も気にしてなかったし。

 それにしても、普通小説とかの異世界ファンタジーじゃこういうのはたぶん描写が省略されるとこだろうな。

 でも、魔法とか祝福なんてものがあってもなんだし。

 そりゃ、食べもすればウ○コもするでしょうよ。

 

 ……とはわかっていても、曲りなりにも現代日本の大都会で生きてきた身としては、うう、牧場関係者の人達ごめんなさい。でもやっぱりキッツいのよぉ。

 

 考えてるそばから、他の馬も伝染したかのようにブゾゾゾッ、ブゾゾゾッと次々とウ○コをし始めた。

 

 ――ああっ、オマエら少し我慢しなさいよ。

 

 私が鼻を押さえたい衝動に駆られて指を動かしかけた時、頬に鋭い視線を感じた。

 隣を盗み見ると、獲物を狙う猛禽類の様な目をしたルイーズが静かに口角を上げていた。

 

【続く】

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