第46話 恋
「こんなの出来るかよぉ」
僕が連れられたのは、貧しい村だった。
藁を敷いただけの不潔な寝床に汚い建物。
とても食べれたものじゃない上に、量まで少ない食事。
そこにとんでもない重労働が加わるのだ。
そこを地獄と呼ばずなんというのか?
それでも、この村に支店が出れば少しはマシになる。
そう思っていたのに……
「今?なんて言った?」
やってきたオルブス商会の馬車に駆け寄った僕は我が耳を疑う。
「お坊ちゃま。残念ですが……オルブス商会は、この村に支店を出さない事が決まりました」
ありえない?
だって、支店を出さなければ僕のサポートは許されないんだぞ?
なのに出店しないだなんて、そんな事ありえない。
「嘘だ!そんなはずがない!」
「私も詳しくは伺ってはおりませんが……間違いなく事実かと」
「嘘だ!嘘だ嘘だ嘘だ!父や母が俺を見捨てるだなんて事ある物か!!」
ありえない。
ありえないありえないありえない。
もしそれが事実なら、父と母が自分を見捨てた事になる。
そう、そんな事があり得るはずがないのだ。
だって僕は、オルブス商会の跡取りなのだから。
だから、見捨てられるはずなどない!
でも……
でも、もし本当だったら?
そんな恐ろしい考えが頭を過り、僕はじっとしていられなくて、その場に転がり叫んで暴れまくる。
「うそだうそだうそだうそだ――うっ!?」
すると突然何かに締め付けられ、そして意識を失ってしまう。
「気づいたか?」
目覚めると僕は粗末な藁の上に寝かされていれ、目の前にはエドワード男爵の姿があった。
「お前に伝える事がある」
男爵が僕に告げる。
僕がオルブス商会の後継者として重大な欠落を抱えているため、両親は僕に対する支援をしない事に決めた、と。
その言葉を聞いた瞬間、全身から血の気が引く。
男爵が嫌がらせの為に、わざわざ僕に嘘を言いに来たとは思えない。
つまり、本当に、両親は僕を見捨てたのだ。
――それは死刑宣告と言っていい。
だって何のサポートもなく、5年もこの地獄で生きるなんて僕にはできる訳がないから。
「あ……あ……」
ショックのあまりか、絶望の慟哭も上げる事が出来ず僕は口をパクパクさせる。
そして体が震え、両目からは自然と涙があふれだした。
「そう悲観しなくていい。両親は本気で見捨てた訳じゃなく、あくまでもこれは君のための措置なんだから。そう、君が更生すると信じて突き放したんだ。だから君が立派に5年の労役を務めれば、その時はまた後継者として受け入れるそうだ」
そんなの嘘だ。
5年もこんな環境で、繊細な僕が生きていける訳がない。
それは両親だって分かっているはず。
だから本当は、僕の事なんか死ねばいいと思っているんだ。
先の事をどうこう言ったのは、実の息子の死を願う事が恥だから、叶いもしない条件で濁しているに過ぎない。
そんな事、僕にだって分かる。
「う……うぅぅぅぅぅぅぅ……」
僕はこの地獄で死ぬ。
両親に見捨てられ。
そう考えると、涙が止まらなかった。
悲しくて泣いて。
泣いて――
泣いて――
泣いて――
どれぐらい泣いていただろうか?
涙が枯れてでなくなった頃。
僕は生きる意志を失い。
何もする気が起きず、ただただ自分の終わりを待つ様になった。
もう、何もかもどうでもいい。
「もう、いつまでそうしてるつもり?ご飯もまともに食べないてないでしょ」
寝心地の汚い藁のベッドで、何も考えずただぼーっと寝ている僕に、アリンが声をかけてくる。
この村の人間は皆、僕の事を汚い物でも見る様な眼を向けて来た。
そんな中で、ただ一人だけ優しく接してくれたのが彼女だ。
もっとも、もう生きる気力もなく死を待つだけの僕にはどうでもいい事だけど……
「放っておいてくれ。僕なんて……僕なんてもう生きていてもしょうがないんだ」
「はぁ、もう……しっかりしなさい!」
ほほに鋭い痛みが走り、『ばしん』と乾いた音が響いた。
一瞬何が起きたのかわからなかったけど、アリンが僕を叩いた事に直ぐに気づく。
彼女に目を向けると、普段の優しげな表情とは違った、怒った様な顔で此方を見ていた。
「私のお父さんとお母さんは、8年前流行り病で死んだの。それだけじゃない。村の人達もいっぱい死んだ。その後だって、毎年の様に村の皆は死んでった」
「アリン……何を……」
アリンの唐突な話に、傷む頬を手で押さえ僕は恐る恐る尋ねる。
「努力したって、人はいつか死ぬの。どんなに生きたいと思っても。でも、あなたは生きてるじゃない。そう、貴方は生きてる。生きているだけで、死んでいった誰よりも恵まれてるの。だから簡単に死ぬなんて言っちゃダメ」
「生きてたからって……」
それが何になるというのか?
「両親は僕を見捨てたんだ。だからもう生きてたって……」
両親の元だったから幸せだった。
それを失った今、この先に待つのは地獄に決まっている。
そんな人生を送るぐらいなら、いっそ死んだほうがましだ。
「カンカン……生きてるって事は、可能性があるって事だよ」
アリンが僕の両肩を掴み、真っすぐ僕を見つめる。
もうその顔は怒っておらず、普段の穏やかな物に変わっていた。
「貴方の両親は見捨てた訳じゃないって、男爵様は言ってた。まあその事は信じないみたいだから、本当に見捨てられたって前提で話を進めるわね。で、カンカンに聞きたいんだけど……貴方はどうして見捨てられたの?」
「それは……僕が……無能だから……」
答えたくない様な、嫌な質問だ。
でもアリンが真っすぐ真摯な目を向け、からかったりするつもりがない事は分かったから。
だから、苦々しく思いながらも僕はきちんと答えた。
「じゃあ、どうして貴方は無能なの?」
アリンが更に突っ込んだ質問をしてくる。
「それは……」
何故自分が無能なのか?
その質問に僕は戸惑う。
そもそも、少し前までは、世界は僕を中心に回っていたのだ。
だから何でも上手くいっていたし、叶わない願いもなかった。
でもそれは、両親が全て上手くいくよう手をまわしてくれていたからに過ぎない。
実際の僕は、一人では何もできない無能だ。
それで両親も僕を見限った。
そこまでは僕にも簡単にわかる。
けど、何故自分が無能なのか?
それに関しては、考えもしなかった事だった。
「カンカンはさ、何か頑張った事ってある?」
「頑張った事……」
常に自分の願いは叶ってきた。
そんな人生だ。
当然そこに努力の入り込む余地はない。
「……ない」
「うん、だと思った。カンカン見てたら、甘やかされまくって努力してなかったって一目瞭然だもん。でもまあ、これで問題解決だね」
「え?」
「だって努力してこなかったから無能だったんでしょ。で、無能だから見捨てられた。だったら、努力して無能じゃなくなればいいのよ」
単純明快な答え。
確かに言っている事は間違っていない様には思える。
けど……
「無理だよ。僕はこれまで努力なんてした事がないんだ。今更そんな風に……」
15年間、何の努力もせず生きてきたのだ。
そんな僕がここから頑張って、もう既に見捨てられている状態からの挽回なんて、出来るはずもない。
「もう死んでもいいって考えてたんでしょ?だったら死ぬ気で頑張ろうよ。ここで諦めたら、本当にもうお父さんにもお母さんにも会えなくなっちゃうかもしれないんだよ?そんなの嫌でしょ」
嫌だ。
嫌に決まってる。
「でも、僕には……」
こんな酷い環境で、更に両親に認めて貰えるぐらい努力を死ぬ気で重ねるなんて……
それがどれほど過酷かだなんて、考えるまでもない。
きっと途中で死んでしまうに決まってる。
だったら、余計な苦しみなんか味わわずに死んだ方が遥かに楽だ。
「大丈夫だよ。貴方は一人じゃないから」
僕が俯いていると、アリンがしゃがんで僕の手に自分の手を重ねてきた。
それはごつごつして固い感触で、とても女の子の手とは思えない物だ。
でもすごく暖かくて、なんだか不思議と安心できる手だった。
「私がちゃんと手伝ってあげるから安心して。大丈夫、カンカンなら出来るよ」
「なんで、僕の事をそこまで?」
彼女にとって、僕はただの厄介者のはずだ。
でも彼女は僕を他の人達のような眼では見ない。
それどころか真摯に向き合って、手助けまでしてくれるという。
それが不思議でしょうがない。
「んー、なんでだろ。なんかほっとけないんだよね。昔の私を見てるみたいで」
「昔のアリン?」
「私のお父さんとお母さんが亡くなった時ね……私も死んでもいいって思ってたんだ」
アリンが寂しそうに笑う。
「ここの暮らしってさ、実は今はマシな方なんだよ。男爵様が改善してくれたから。でさ……親が死んだ時に、こんな場所で生きてたって意味ないって思ってたんだ。ふふ、カンカンと一緒だね」
「アリン……」
笑顔で明るいアリンが、死にたがっている姿など僕には想像もできない。
でもそんな彼女にも、今の僕と同じような事があったのか。
「だからかな。なんか放っておけないんだよね」
「そっか……僕に……出来るかな?」
アリンが支えてくれるのなら、ひょっとしたらという思いが湧き上がって来る。
そこには何の根拠もない。
だけど、胸の奥から暖かいものが込みあがって来るんだ。
彼女と一緒なら頑張れるという思いが。
ひょっとしたら、これが誰かを好きになるって感情なのかもしれない。
「出来るよ!きっとカンカンのお父さんやお母さんも、その努力を認めてくれるはずよ」
「そうかな」
「うん、そうだよ」
「わかった、頑張ってみるよ」
やってみようと僕は決意する。
彼女と一緒ならやり遂げられると信じて。
「あのさ、アリン。もし……もし……僕が両親に認められて……」
僕はアリンの手を握る。
ごつごつして固くて、でもすごく暖かいその手を。
「うん」
アリンが不思議そうに首を傾げる。
「オルブス商会の跡を継げたら……」
「継げたら?」
「その時はその……僕の……僕のつま――」
「おい、何やってんだ」
勇気を振り絞って自分の気持を告げようとしていたら、そこに大柄な男性が急にやってきた。
アリンのお兄さんのタゴルだ。
「ふんっ!」
「あいたぁっ!」
彼は大股で僕達に近づき、僕の手を払う。
「ちょっとお兄ちゃん!急に何やってんのよ!」
非難の声を上げるアリンを無視し、タゴルは僕に顔を近づける。
お互いの鼻息がかかる程に。
そして小さく、僕にだけ聞こえる様に呟いた。
「妹に手を出したらコロス」
と。
「……」
血走った、獣の様な目。
それは間違いなく本気の目だった。
その目を間近にして――
僕はこの先生きのこれるのだろうか?
そんな不安が、僕の胸に到来する。
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