第45話 ぼんぼん

――世界はいつも僕を中心に回っていた。


貴族ではなかったけど、領内一の商家の一人息子として生まれ両親に愛された僕は、したい事をし、そして欲しい物は全て手に入れてきたのだ。

そう、世界は僕を中心に回っていたと言っても過言ではなかった。


そんな僕は、ある日出掛けた街の店である女性を一目で気に入る。


傍仕えの侍女やメイドは基本美人ぞろいだったが、彼女は次元が違った。

そのあまりの美しさに、僕は一瞬で心を奪われてしまったのだ。


そして迷わず声をかけた。

自分の妻にするために。


――思えがそれが大きな過ちだった。


「僕はカンカン・オルブス!この領一のオルブス商会の一人息子だ!喜べ!お前を僕の妻にしてやる!」


「興味がないので消えてください。フォカパッチョ」


「興味がないだと?僕はこの領一のオルブス商会の跡取りだぞ?それに、そのフォカパッチョってのはなんだ?」


僕に誘われ、断るなどありえない事だ。

ただそれよりも、妙にフォカパッチョという言葉が気になった。


どういう意味だろうか?


「フォカパッチョは、この豚野郎って意味です。分かったら失せてください。その不細工な顔を見てる気分が悪くなりますから」


「ぶ……ぶぶぶぶぶ、豚野郎だと!?」


信じられない。

この女、僕に向かって豚野郎と言っていたのか。


「ふざけるなふざけるなふざけるな!」


こんな屈辱は生まれて初めてだった。

普通でも憤慨者だが、心を奪われた相手だけに余計に腹立たしい。


「ブーブー五月蠅いですよ。フォカパッチョはさっさと豚小屋に帰ってください」


「むきー!この僕を侮辱するのは許せん!痛い目にあわせろ!」


可愛さ余って憎さ百倍。

この女には教育が必要だ。

そう判断した僕は、護衛達にお仕置きするよう命じた。


だが恐るべき事に、彼女をお仕置きするどころか、逆に此方が酷い目に合わされてしまう。


「早くその水の玉をとけ」


顔の周りに水が纏わりつき、呼吸が出来ず苦しんでいると一人の男が現れ解放される。


「お初にお目にかかります。わたくしは、スパム男爵家にお仕えする執事のジャガリックと申します。そしてこのお方は……男爵家当主、エドワード・スパム男爵様です」


その男は新興の男爵だそうだが、とてもそうは見えなかった。


「は!スパム男爵家だと!そんな名は聞いた事もない!デタラメを言うな!!」


貴族は華美な、もしくはそうでなくとも、一目で上質だと分かる衣類を身に着けている物である。

だがその男や取り巻きが身に着けていたものは、そこらの市民が身に着けている物と大差ないレベルだった。

その事から、僕はこの男が貴族を名乗る不埒物だと判断する。


――だが、本当にエドワード・スパムという男は男爵だった。


「ど、どうかお許しを!坊ちゃまは少々あれなオツムをしてまして!」


「なんだとバルン!」


執事のバルンが慌てて失礼な事を口にする。


「お坊ちゃま!貴族の方に無礼を働いたのですよ!」


「うちはこの領一の商会で、ボルモク子爵家と懇意にしてるんだぞ!男爵家に気を使う必要などない!」


そう、僕は領一の商家の跡継ぎ息子だ。

家は子爵家とも懇意にしている。

相手が男爵であったとしても、きっと何もできないだろう。


そうたかを括っていたのだが……


「くそっ!離せ!こんな事をし――」


僕はごつい男に組み伏せられ、そして――


「捕虜なんだから静かにしなさい」


「——ふげぇっ!?」


腹部に強い衝撃を受け気を失ってしまう。


――そして僕は男爵家の捕囚となった。


「処刑を回避するので精いっぱいだった。5年間……頑張るのだぞ」


父の、商会の力をもってしても僕を開放する事は出来ず。

僕は男爵家で、5年もの労役に就く事になってしまう。


「そんな!?父様どうにかしてよ!?」


冗談ではない。

囚人として働くなど、僕にできる訳がない。

だから父に救いを求めた。


だけど――


「すまん。これが限界なのだ」


父は悲し気に首を横に振るだけだった。


「そんな……」


この時になって、僕は初めて自分の取り返しのつかない失態に気づく。


いくら大きな家で。

お金を持っていても。

貴族に喧嘩を売る様な真似だけはしてはいけなかったのだ。


母さんに、貴族には礼儀正しく接する様にと耳にタコが出来るぐらいしつこく言われていたのに……


頭に血が上って、軽率に行動した自分の愚かさが恨めしい。


「5年も労役になんてやだよぉ……」


「泣くなカンカン。男爵様からは、領地に店舗を構えればその従業員に限ってお前のサポートをしてもいいと許可を貰っている。仕事だって、そんなにきつい物にはしないと約束も頂いた。たった5年の辛抱だ」


「ううぅぅぅぅ……」


労役なんて嫌で嫌で仕方ない。

でも、父にすらどうにも出来ないのなら、もうどうしようもないと諦めるしかなかった。


せめてもの救いは、ちゃんとサポートを受けられる事だろうか。

でも、それでも、今までの生活とは天と地ほどの差が出る。

それが容易に想像できてしまい、僕はただただ涙を流す。


屋敷に帰りたい。

こんな事なら、あの時あんな女に声をかけるんじゃなかった。

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