第75話
箱の中身はなんじゃろな
従者見習いの青年が向けた先には大きな扉が微かに開き、影のようにメイドが入ってくる様子があった。
「なんでしょうか? 」
「南の諸王国の一つ、雄国の女王からの使いがいらっしゃいました。 」
「そのようなお約束はなかったとおもいますが?」
「……エミリアよ、入れてやるがよい。この間のマムルクの件もあるじゃろ。 」
「はい。入れて差し上げなさい。」
メイドたちが招き入れた使者たちが部屋に入ってきた。十名の使者たちは大きなつづらと小さなつづらを神輿のような台に載せて運んできた。
彼女らは一人を除いて南方諸国の正装をした娘たちだった。
「エミリア・アレクサンドラ・リュニリョール・フォン・ロートバルト女男爵閣下におかれましてはお美しくご健勝のこと、我が女王に代わりお喜び申し上げます。
今回は男爵領でのささやかな舞台と南方の物産の販売の許可をお願いに来ました。」
南方の諸王国はオアシスや放牧のための地域を支配する部族が一つ一つ王国を名乗っているために、部族長の姓が国の名前になるが、頻繁に入れ替わるために諸王国とまとめて呼ばれている。
その中でも雄国は武力に優れ、蛇を信仰する女王の下、女系の王族が支配し、逞しく他国にも名の知れた傭兵団、マムルクを各国に派遣する余裕がある国で周囲からは部族名ではなく雄国と呼ばれていた。
薄衣を身に纏い、褐色の肌を隠しているようで透けて見える喉元やうなじ、くびれの美しい腹や艶やかな長い手足が扇情的だった。
最後に付き従っていたものはまだ幼い様子で使者たちとは違って北方の王国民たちのように白い肌をした少女で顔には厚いベールで覆われていた。
黒瑪瑙に金が散ったような美しい瞳を持つ先頭の娘が挑戦的な眼差しで膝をつき、エミリアに首を垂れた。
「また、南方の雄国の美しき女王、ネファルティティスより東方平原の覇者であるエミリア・アレクサンドラ・リュニリョール・フォン・ロートバルト女男爵へ謹んで戦の勝利をこと祝ぎ、通商条約の継続に対する謝意を申し上げます。 」
「戦の祝いは謹んで承ります。条約継続はお互いの利あってのこと、女王陛下におかれましてはご理解承りこちらこそ感謝いたします。また、踊りや物産など南方の物産は我が両地でも人気があります。許可を与え、領民を楽しませてください。 」
「ありがとうございます。では勝利の祝いの品と言ってはささやかなものですが、これを受け取りください。 ほれ。 」
使者が目配せをすると供のものたちが小さなつづらを神輿から下ろした。
それは黒色の四角い箱で、二人の供まわりの娘が慎重におろし、赤い紐を解き蓋を開けた。
中には丸い桶のような箱があり、岩塩を粉のように砕いた薄いピンクの塩が箱を傾けないようにみっちりと敷き詰められていた。
使者は紙封を破り蓋を開けた。
「ヒィィィィィ!!!」
「エミリアさま!!!!」
叫び声をあげて卒倒したエミリアを受け止めたメイドたちが彼女を後ろに下げ、代わりにブリュンヒルデが中を覗いた。
「生首か。南方ではまだこのような風習があるのですね。……おんじ、この女に見覚えはありますか?」
「公女よ、其方までわしのことをそう呼ぶのか? なんじゃ? ……ぬぅ……これは…… おい、ロメオ卿を呼べ。」
アルマン卿が声をかけるとすぐにエミリアの侍従がロメオを連れてきた。
ロメオは言われるがままに箱の中身を覗き込んだ。
「なんだ……これは……姉貴じゃねぇか!! 」
「どういうことじゃい!? 」
「我が女王様に置かれましては何より偽り、侮りは嫌うものであります。この雌犬は己の才覚を見誤り、女王様を偽り、国を危うくしようとした愚か者でございます。
聞くと男爵さまにもご迷惑がかかっているとのこと、せめてもの慰みとわれらからのささやかな贈り物の一つでございます。
あと、もう一つは……それ、こちらへ来ぬか… 」
押されるように白い肌のまだ子供のような踊り子が前に出された。
彼女はいくつもの薄い布を重ねたベールで顔を隠していた。
「その女が連れていた男童でございます。何やら女から逃げたがっていたようでしたので、生かして連れてきました。 」
「お、男の子ですか!? 」
「ほれぃ、顔をみせよ。 」
「はい。 」
まだ変声期前のボーイソプラノで震えながらもしっかりとした声がエミリアの執務室にひろがった。
淡いピンク色のマニュキアをつけた細い指が自らのベールを取り去ると、そこには金髪碧眼の幼いながらも落ち着いた知性を感じる眼差しをした中性的な美少年の顔だった。
「貴族の子弟ですか。名前を伺ってもいいですか? 」
「このような姿で失礼致します。ノイエハイデルベルク辺境伯が一子、ディートフリート・ガブリエル・クラシス・フォン・ノイエハイデルベルクです。 」
「これは失礼いたしました。わたしはエミリア・フォン・ロートバルト女男爵です。隣国とはいえ辺境伯の長男に先に名乗らせてしまい失礼しました。 」
「いえ、父と祖国を裏切り、出奔した不肖の息子など貴族を名乗る資格はありません…… 」
「そうでございますわね。ディートフリートどの。 」
威圧感のある声でディートフリートに声を掛けたブリュンヒルデは絶対零度の眼差しで見下ろした。
「お、お見かけした覚えはありますが、申し訳ありませんが、お名前が…… 」
「左様ですか? では改めて、この地では姓を名乗ることは控えていますので、ブリュンヒルデとだけ申しますわ。 」
「……カロリーヌ殿下の教育係をされていた公女様でしょうか? 」
「ええ。 」
「では、あなたに僕の介錯をお願いするのがいちばんの願いにしていいみたいですね。」
「バカなことを言うなじゃ!お主にはたくさん聞きたいことがあるのじゃ!! 」
ロリの声に驚き、顔をあげた少年は彼女を見つけ、大声で泣き崩れた。
「ぼ、僕はもう汚されてしまいました!!!!! 姫さまの前に出ることなど許されません!!!!! 」
ディートフリートはおもむろに立ち上がり、窓に駆け寄り、飛び降りようとした。
「なんだかわからんが、あれを止めるのじゃ!! 」
部屋にいた誰もが手を伸ばしたが、小柄な身体を活かして逃げたディートフリートは窓から飛び降りた。
ロリやエミリアの叫び声が部屋の中に響き、ブリュンヒルデが身を乗り出して窓の外を見下ろすと、建物の下には黒いタール状のぷよぷよしたものがディートフリートを受け止めていた。
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