第60話
パニックはどんなに優秀な人でもちょっと残念になるよね
ロートバルト市の門の前で馬車とロリが送り出した令嬢たちがいた。
馬車馬は限界まで疲労し、馬車の扉は開けられていて、ざわついていた。
ロリがユズとアストラッドを引き連れて、馬車に近づくと、どうやら中に乗っていた貴族が怪我をしているようだった。
侍従と思われる年配の男性が大きな声をかけていtあ。
「閣下!! どうぞ、お気を確かに!! 」
ロリはこっそりと扉の隅から顔を覗かせると以前にエミリアの邸宅で会った元のリシュリュー伯爵、アルマン・デュ・プレシー卿が肩から血を流して青白い顔をしていた。
「殿下…… お久しぶりでございます。」
「お、おう…… よう見つけたのじゃ。おじじを追いかけていた奴らはブリュンヒルデたちが撃退したのじゃ。」
「アルマン・デュ・プレシー卿とお見受けいたしますわ。わたしはブリュンヒルデ・ユスティナ・プリンツェシン・ファブニール・フォン・クラシスと申します。」
「うぅ…… クラシス公爵家のじゃじゃ馬か…… お主が殿下の下に駆けつけたのか…… 殿下は人に恵まれておるな。」
「おじじよ、お主、存外余裕がありそうじゃな。……ユズ。」
ユズは頷いて、そっと中に入り、回復魔法を使いはじめた。
「殿下……エミーを…頼みますぞ…」
「おじじよ、何が起きておるのじゃ? 」
「シュトロホーフェン公爵が戦時中にロートバルト男爵の背信行為により損害を受けたと訴えた。」
「なんじゃと? 」
「国と国との戦いではなかったので、双方の王家直属の戦時監察官が出て、過激な戦にならないようにし、貴族同士の争いごとで留めておこうとしていた。
それに男爵自ら戦死するほどの勇猛果敢な戦働きをした男爵家に対して王家にも知られており、その忠誠に心を寄せている。
だが公爵は死人に口無しと言わんばかりに作戦の失敗と公爵軍の損害をロートバルト前男爵に押し付けた。
戦時監察官が作戦行動を全て記録している以上、ただの言い掛かりであることは公爵は百も承知している。だが、公爵はそれを事実にしてしまうだけの政治力を持つ。
さらに悪いことに今の財務卿閥がロートバルト領の現状を知り、その潜在的な価値に目を付けた。」
「やはりそうなったのじゃな。」
「今の王宮の大臣たちは学術肌で頭は良いのじゃが、若く理屈くさく泥に塗れたことのない現実を知らぬ者たちだ。血を流し国を守った貴族は王の名の下で好きに扱ってよいものじゃない。」
「そうじゃの。じゃが男爵家は潰されるのかの?」
「う…ぐぐぐ…… ヴェルナー王子の側室の枠が一つ空いている ……財務卿たちはエミーを側室に迎え、その嫁入り道具として男爵領を王領とすることを狙ってる。公爵は戦争裁判で男爵領もしくはなんらかの権益を狙っておるのだろう。」
「まあ、細かいお話はロートバルト女男爵の屋敷か、我々のカントリーハウスでしましょうか?」
「ブリュンヒルデ嬢、しかし…… わしももう長くはない…… 今のうちに伝えておかねば……」
「アルマンさま、痛みはどうですか?」
アルマン卿の苦しそうな言葉に穏やかにブリュンヒルデは声をかけ、彼の奥から馬車を出てきたユズを見上げると彼女は笑顔で頷いた。
「もう、痛みすら感じぬ。」
「そうですか。どこか苦しいところはないですか?」
「ない。死ぬということはこんなにも安らぎに満ちたものなのか? ジャンもそうだったのか? ならばよかった……」
「人はいつかは死ぬものですけど、それは今ではないですよ。治療しましたから。」
目を閉じて誰かに話しかけているアルマン卿にユズは容赦なく否定した。
「いや、もう…… 治療した?」
「ええ、回復魔法で治しました。血を流したようですし、お年もお年なので、栄養のある柔らかいものを食べるといいと思いますよ。例えばレバーペーストとほうれん草のシチューとか、レバーを練り込んだテリーヌとかにデザートにはいちじくやプルーンなどがいいと思いますよ。」
「…… 世話になった。」
「閣下!! よございました!! 」
侍従が追々と男泣きに暮れる中、顔を赤らめらめたアルマン卿がロリに頭を下げた。
「お、おう。 殿下、エミーの屋敷までお願い出来るだろうか? 」
「わかったのじゃ。エミリア邸まで出発するのじゃ。」
ロリと共に来ていたメイドが先触れとして先行して、チハたんを先頭に令嬢たちを乗せた馬が箱馬車を囲むように護衛してロートバルト女男爵の屋敷に向かった。
アルマン卿はそのまま客間で静養するためにメイドたちに運ばれていった。
ロリとユズ、アストラッド、それにブリュンヒルデとグレートヒェンはそのまま執事に先導されてエミリアの執務室へと向かった。
「こやつはどうじゃ。』
「……この家の使用人の中に人族はいないっす。」
「マジか〜 エミリアはよく正気度を保っておるのじゃ。」
「彼女が人族か、疑いたくなる話ですわね。」
ロートバルト女男爵邸に向かう途中に、ロリからロートバルト家の奉仕種族の説明を受けたブリュンヒルデはそれらの知識だけは持っていたため、薄寒い表情で辺りを見回した。
「人族には間違いなんだけどね〜 魔力はさほど強くはないけど、不思議だよね。」
エミリアの執務室に着くと、ごく普通の年若い貴族令嬢にしか見えないエミリアが目の下にクマを作ってみんなを出迎えた。
「皆様、お久しぶりでございます。この度は無理を言ってしまい、ご迷惑をかけてしまいました。」
「いいのじゃ。エミリアは妾たちに経済的に報いてくれれば、それでいいのじゃ。おじじは無事だったが、血が抜けすぎたようじゃ。なのでそのまま寝てもらっておるのじゃ。」
「はい。ありがとうございました。ところで、どのような方が襲ってきたのでしょうか?」
「エミリアよ、言葉使いを間違っておるのじゃ。
方ではなく輩じゃ。
奴らはどうやら裕福な高位貴族の裏仕事をする奴らじゃろう。どこの貴族に所属するかを明らかにする紋章も何も無いが乗っていた軍馬や鎧、それに奴らの特徴から推察できるのじゃ。
あとはおじじがシュトロホーフェン公爵が前ロートバルト男爵が戦争中に背信行為を行ったと抜かして、訴えたようじゃ。まあやつらじゃろうなぁ。」
「……どうすればよいのでしょうか?」
「バイスローゼン王家のヴェルナー王子に側室枠があるらしいのじゃ。予定していたどこぞの姫が殺されてしまったからの。そこに輿入れして男爵領を王家に差し出せと今の財務卿派閥が考えておるらしいのじゃ。
まったくどいつもこいつも好き勝手にゆうて来るものじゃ。」
「んだば、わぁ、とっとと嫁入り支度せねばなんねなぁ。」
「エミリアさま!! 」
気軽に覚悟を口にしたエミリアの表情は悲壮な覚悟に満ちていた。
奉仕種族の侍女、メイドが両手で顔を覆って泣きはじめた。
男性の召使いたちも悲痛な面持ちで頭を下げた。
「奉仕種族、泣けるんだ。」
「……よくわからないっす。人だったらこうすると言う行動をしているだけかも知れないっす。」
「なるほど。」
悲しみに包まれたホールの中、老齢の執事長が前に進み出た。
「今やロートバルト男爵家の直系はエミリアさましかおりません。それを王家の薄ら寒い頭をした汚れた血を入れることのみならず、この地も奪われてしまうことはわたしがエミリアさまの高祖母であられるリュニリョールの始原の一たるスワニールさまのご意志に反します。
いま、一言お言葉を… いえ、ひとつ頷いてくだされば、よろしいのです。」
「ちょっとまったーっす!!!!!! 」
「なじょしたっすか、アストラッドちゃん? 」
「エミリアさん、こいつらの言うことを聞いて頷いたらバイスローゼン王国がタールの海に沈むっすよ。」
「アストラッドさま、奉仕種族はとても高い学習能力があります。帝国の時のように大ごとにはいたしません。ただ数名の貴族が遠い旅に出てしまうだけです。」
「それは黄泉への旅立ちっすね。」
「いえ、その方々は死にませんよ。」
「永劫の苦しみの生を生きるなら、一思いに黄泉の世界に送った方が慈悲っすよ。兎も角、うちのロリちゃんに任せるっす。」
「ん? 妾は戦争しかないと思っておるのじゃ。」
「ロリちゃ〜ん!? もっと真剣に考えるっすよ!! 」
「いや、よく考えてみるのじゃ。公爵はおじじを暗殺するためにロートバルトまで兵を送り込んで来たのじゃぞ。
エミリアは王家に御目見も済ませていない書状だけの田舎育ちの女男爵ではないか。
この娘が覚悟の決まった公爵に舌戦で勝てるわけなかろう。
ましてや南諸王国の女王に働きかけてマムルクを引き上げさせるなど、完全にやる気じゃろ。
それに頭でっかちの物知らずが王国を動かそうとしとるのなら、エミリアはここを独立させるつもりで戦わねば生き残ることができんのじゃ。」
「ロリちゃさ、わぁたちが独立さ、せねばならんほど追い詰められておるんか? 」
「戦の序盤は相手に取られたのじゃ。ここから巻き返すのは余程な覚悟が必要じゃぞ。よいかエミリア、戦うことは生きることなのじゃぞ。」
「ロリちゃん、それどっかで聞いたセリフっすよ。」
「戦いこそが生……」
「エミリアさま、変な感じに解釈しちゃってるよ? 」
「ロートバルト男爵家は僅かな家臣と領民で小鬼たちの魔境であったこの平原を切り取った戦の民ですので。」
「うぇぇ……どうするっすかね? 」
「いいんじゃないかなぁ。やる気になったみたいだし。」
「ブリュンヒルデさまはどう思うっすかね?」
「姫さまの言うとおりですわね。」
「ああ…… 」
アストラッドは両手で顔を覆った。
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